錆喰いビスコ2 血迫!超仙力ケルシンハ

1 ⑤

 ビスコの鋭い聴覚でなければ聞き取れないような、弱くか細いうめきのようなものが、地下に響いた。


「……る……すなう……きゅるもん……ける……」


 ビスコはかりうどの表情を取り戻すと、矢をつがえてゆっくりと気配の方へ進む。一つめのろう、二つめのろうを通り過ぎて……三つめのろうの隅に、亡霊のような老人が一人。

 己の身体を抱きしめるようにして、ただ延々と、


「ける……きゅるもん……ける……」


 所以ゆえんの知れぬ経のようなものを、ただただ唱え続けていた。

 その身体はすっかり骨と皮ばかりにやせ細ってはいるのだが、今にも折れそうな頼りない身体に、らんらんと光る両目の生命力のギャップが、ビスコをしてわずかに汗を浮かせるほど、異様な気配を放っていた。


(なんだ、この、ジジイは……?)


 ビスコは一瞬その異様さにされかけたが、なにしろこのろうの唯一の生き残りには間違いなかったので、弓を背中にしまい、足早に老人に駆けよっていく。


「おい、じいさん。もう平気だ、上の賊どもは片付いてる。ここから逃げよう……あんた、どっから来たんだ? 家まで送ってやる」

「ける……ける……きゅるもん……くぐのつ……」

「こりゃ駄目だな。ひとまずミロに診せねえと……」


 ビスコはもはや意思疎通もままならないその老人の、軽い身体をひょいと背負って、得体の知れないその凄惨な場所を足早に後にするのだった。


「……。残念だけど。ビスコ、この人はもうだめだよ、さびの根が深すぎる。身体の中を、全部やられてる……むしろ、どうやって今まで、生きてこられたんだろう?」

「俺の血を使っても、だめか?」

「うん。さびいアンプルでさびを取り去ったとしても、内臓の機能自体をすっかりやられちゃってる。ヨモギタケで処置はするけど、持って二日ぐらいだと、思う」


 眠る老人の身体を触診し、透過スコープでひととおりの内臓機能を確認して、ミロが首を振った。医者として人の死はいくつも経験してきたが、それを救えない無力感は、ミロにとってはいつまでも慣れないものらしい。


「そうか。なら、それはそれでいいさ。少なくとも、死ぬ前に拾えてよかった」

「えっ、でも……もう、この人は、」

「くたばるのは仕方ねえ。誰でも死ぬようにできてんだからな。ただ、死に目に会いたいやつがいるだろうって話だ。そのジジイにも、子供や孫の一人ぐらい、いるだろう」

「それは……うん、そうかもしれないね……。でも、どうやって探そう? もう、ほとんど時間がない。当てずっぽうじゃ、間に合わないよ」


 ミロの言葉に、ビスコはごそごそと自分のふところあさり……何やら木でできた、鍵札のようなものを取り出した。つややかなうるしりのそれの中央には、赤字で「出雲いずも」の印が彫られており、ゆいしよある品であることをうかがわせる。


「これって……手形だ! 出雲いずもりくとうの!」

「そのジジイ、他には何も持ってなかったけど、それだけ大事そうに抱えてた。そんなモン持ってるってことは、出身がそこだってことだろ」


 ビスコは言いながら、歩くアクタガワに、先の宿場で大量にもらった島根をぽいぽい放ってやる。アクタガワは歩きながら右のハサミで器用にそれをつかまえて、殻のままぼりぼりと貪り食った。


「……ねえ、ビスコ、まさか。この札で、りくとうの中まで、送ってくつもりじゃ……」

「丁度よかったじゃねえかよ。俺達だって、出雲いずもりくとうに入り込むには何か工夫する必要があった。でも、そのジジイの付き添いってなら、大掛かりな変装もせずに……」

「僕の話、ひとっっつも、聞いてなかったのかよっっ!」


 ビスコの首根っこをつかんで、ミロが耳元で叫ぶ。目を白黒させるビスコが抗議を返す前に、ミロがその鼻先を付き合わせて声を荒げた。


「さっきの、山賊の死骸を見なかったの!? どう考えても、宗教組織の仕業だった! ただでさえ治安が悪いそんな連中の坩堝るつぼに、今わざわざ潜り込むなんて、正気の沙汰じゃない!」

「いまさら正気もクソもあるかよっ、第一、お前の大好きな、人助けのためでもあるじゃねえか! ジジイ一人、家族の元で死なせてやりたくないのかよ!?」

「それはっ、……そうだけど、でもっ……」

「あのなあ。俺だって何も、考えなしで言ってるんじゃない」ビスコはミロの声に痛む右耳をてのひらたたきながら、目元をしかめて続ける。「そりゃ、危ねえよ、りくとうに潜り込むのは。キノコ守りは多神教で有名だから、出雲いずもじゃ目の敵にされるだろうしな」

「そこまで解ってて、どうして!」

「お前がいるからだろ」ビスコはこともなげに、横目でミロと視線を合わせ、答えた。


「俺一人なら行かない。でも、背中にお前が居て、あの街にかなわないとは思わねえ。だから、行くんだ」

「……ええっっ!?」


 ビスコがさらりと言ってのけた信頼の一言で、ミロの表情は不意の喜びに真っ赤に燃え上がり、用意していた千の反論を一発で沈黙させてしまった。


「それでも、ここまで言って、どうしてもお前が反対するなら、やめる。どうする、行くか、行かねえのか。俺よりお前のが賢い。お前の決断を信じる」

「……。び、ビスコが……。」


 ミロはみみたぶを真っ赤にして何度か口ごもり、とうとう根負けしたように言う。


「そこまで、言うなら。わかったよ。あ、相棒、なんだから……」

「まあ、ジャビが居りゃ、ジャビでもいいけどな」

うそでも、僕じゃないとって言えよっっ!!」


 二人がやかましく騒ぐ間、揺れるアクタガワのくらの後ろで、テントをとん代わりに横たえられている老人は、夢うつつの状態にありながら……


「りん……しゅるき……かるな……」

「りん……しゅるき……かるろ……」


 うわごとのように、経を唱え続けていたのだった。



刊行シリーズ

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