周囲に巡らされた崖で外界と隔絶された出雲六塔は、その不気味な黒の五角塔の、その南壁にのみ裂け目を持ち、外部からその内側を窺うことは不可能な造りになっている。
六塔の名前通り、その五角塔の内部は更に六つの塔で区切られており、それぞれが入り組んだ通路や階段で歪に繫がって、さながら巨大な昆虫の巣のような有様であった。
そこへ……。
南壁の裂け目を越えて、凄まじいスピードでかっ飛んでくる、二つの影がある。
「ビスコ、パラシュート!」
「飛ぶ前に言えェッ」
ミロが激しくはためく外套の留め金を外し、中空に放れば、ビスコがアンカー矢の狙いを定め、それへ撃ッぱなす。外套を突き破ったアンカー矢は、ぼむん! と鏃から白色の布のようなものを咲かせ、風を受けてその傘を大きく開いた。
空中でブレーキをかけたビスコの身体は、追って飛んでくるミロの身体を受け止めて、そのまま浮力を保ってふよふよと漂い、やがて六塔の床に打ち付けられてゴロゴロと転がった。
「成功だね! フウセンダケと、ハガネグモ毒……苦労したんだよ、調合に!」
「ぶっつけで試すな! うげぇっ、早くどけ、胃が、胃がいてえ」
するりとビスコから離れ、短刀でパラシュートの始末をするミロの横で、ビスコは胃の不調と合わせてアクタガワにブン回された酔いが重なり、吐き出しかける口を押さえて、ぶんぶんと頭を振る。そこへ、
「ビスコ」
耳元で鋭く囁く相棒の視線を追って、ビスコも気を引き締めた。
二人の見上げる先、中央の塔の高くに埋め込まれた巨大スクリーンを背後に、瘦せた人型のシルエットが二人を見下ろしている。背後のビジョンの明かりでその表情は影になり、窺い知ることはできないが、何やら愉快そうな、泰然とした気配が漂っている。
「りん、ける、しゃだ。りん、ける、すなう……」
ビスコが耳を澄ませば、スクリーンの震える音に混じって、呟くような経が聞こえてくる。そのトーンから、その影が先の老人であろうことはわかる、ものの。
「あのジジイ……! 高えとこから見下ろしやがる。さっきまでシワシワだったくせによ」
「でも、おかしいよ。撃ち抜いたはずなのに、腕も、足も無事だ」
ミロの言葉どおり、弾き飛ばしたはずの片手片足はしっかり生えそろっており、ひん曲がっていたはずの背筋も伸びて、先ほどまでのしおれた気配とは、すっかり様子が違う。
「我が神格の、証明である」
二人の思考を遮るように、影が掠れた声を吐き出した。
「何ィ……?」
「敬虔なる功徳の実証なればこそ。儂の今際の際にあって、天が貴様を遣わしたもうた。貴様の、さびくいの力を使い、再度、六塔の頂上に立てと。そう、天が儂を渇望しておる」
「勝手なことっ!」
ミロの声に、かかか、と笑い声を返した黒い影は、スクリーンを蹴って20mほどの高さをどすんと飛び下り、二人と同じ目線に着地した。そして、無数に走る塔の配管の一部を軽々と千切り取り、それを槍のように見立てて、くるくると回してみせる。
「胃の腑を抜かれて、まだ、そこまで動くか、あかぼし。もう、粥に溶けた米の一粒すら、啜れぬ身体。放っておいて、よいと思うたが……。」
ネオンに照らされて、老人の顔が露わになった。歯をむき出しにした笑みに、ぎらぎらと両目を光らせている。驚くべきことに、骨と皮ばかりであったはずの身体には、うっすらとたくましい筋肉まで備えている。
「この、得体の知れぬ、さびくいの胃の力。所詮はくだらぬヤクシャの一匹と思うていたが、あるいは貴様も、妙な神格を備えているのやもしれぬ。ここで、殺しておく」
「……老いぼれがまた、随分調子に乗ったもんだな、ああ?」
ビスコは老人に向かい合うように立ち、ぎらりと犬歯を光らせる。
「老い先短いジジイだと思うから、親切にしてやったんだ。そういうことなら、俺も遠慮しないでてめえを殺せるぞ」
「くかかかッ……。不敬なり、あかぼし。赦す、愉快である」
「すぐ、不愉快にしてやらァッッ!」
老人の舐めきった態度がビスコの逆鱗に触れたのか、怒りを露わにして弓に手をかけるビスコ。その弓を、鞘から抜ききる前に、
どすり!
老人が、あろうことか自分の腹に、槍に見立てた管を突き立てた。
「な、何して……!?」
自らも弓に手をかけていたミロが、老人の異様な行動に凍りつく。その胸に、ぐらりと倒れ込んだビスコが、「がばァッ」と、滝のように血を吐き出した。
「ビスコッッ!」
「野郎……、俺の胃を……!」
「く。くく。くかかかかかァァ────ッッ!」
高らかに笑う老人の、貫かれた腹のあたりから、橙色の光があたたかく漏れている。ぐりぐりと槍をこじるように動かせば、苦悶の声と新しい血がビスコの口から溢れ出た。
「おまえぇ──ッ!」
雄叫びとともにミロの放つ矢が老人の肩口に突き刺さり、その動きを止める。老人はわずかに顔をしかめると、矢の刺さった肩を逆の腕で千切り飛ばし、遠く放った。ほどなくしてその腕からは、キノコが炸裂するように咲き誇る。
「奇ッ怪な、技なり」老人はキノコに覆われたそれを眺めながら呟き、考え込むように顎の髭を撫でた。「稚児と思うて眼中になかったが、侮れぬ。お前も殺しておく」
「ビスコ、撃てる!? エリンギと、錆喰いの時間差でいく!」
「解ったッ!」
精悍に弓を構える二人のキノコ守りと、顔から笑みを消した老人の視線がぶつかりあう、
そこへ、
「こっちだ、ケルシンハッ!!」
凜とした雄叫びとともに、何か鋭利な札のようなものが放たれ、老人の額や身体にカミソリのように突き刺さって、その動きを止めた。
「ぬう!?」
二人のキノコ守りに気を取られた老人を急襲するように、長い羅沙のローブをなびかせた二つの影が塔から飛び下り、音もなく着地した。二つの影のうち、大柄な一人から矢継ぎ早に放たれる刃の札を老人は次々と弾くが、片腕だけでは受け流すのが精一杯であるようだ。
「お師さま、起爆しますわ。下がって!」
「よし。アムリィ!」
「シケルバ・シャダ・スナウ!」
小さい方の影の叫ぶ呪文に応えて、札がにわかに赤く染まり、どん! とくぐもった音を立てて炸裂した。老人の身体はその衝撃で大きく仰け反るも、倒れることなくぐわりと身体を立て直す。
「……ふん。阿婆擦れめが。まだ永らえておったか」
その顔の半分は先の爆発によって吹き飛び、断面が露わになっている。それでもなお老人は平然と、羅沙のローブをはためかせる新たな敵を睨み据えた。
「地獄からはじき出されたか。この六塔に、もはや貴様の居場所はないぞ!」
「くかか……儂を、止めるというのか? 貴様のような半端者が」
「私と、腑抜けの元僧正。どっちが半端か、試してみるか?」
次いで影から放たれる札のナイフをゆうゆうと避けるケルシンハはしかし、側面から放たれる凄まじい強弓を危ういところで避け、流石に肝を冷やした。そちらへ目をやれば、真紅の髪のキノコ守りの貫くような眼光が自らを見据え、次の矢を弓に番えている。
「りん、ける、しゃだ……。あかぼし、油断ならぬ奴よ。これは分が悪い」
老人は自分で捥ぎ飛ばした片腕を忌々しげに睨むと、そのまま蛇のようにぬるりと次の矢を躱し、塔と塔の間を跳ね飛んで、どんどん上階へその姿をくらましてゆく。
「野郎ッ!」
老人を狙って弓を引くビスコの、その眼ががぎらりと輝くタイミングを見計らったように、ずどんっ!! と、輝く錆喰いが腰のあたりから咲く。
ビスコはその勢いに、叩きつけられるように床に倒れ、歯を食いしばって悔しげに呻いた。
「ああっ、ビスコッッ!!」
「……ちく、しょう……! この、身体さえ……!」