空色の髪の上に、様々なキノコをあしらった藤細工の冠が載せられると、ミロはその意外な重みに少し驚いて、わずかに眼を見開いた。
篝火がいくつも灯る集落の夜は霊験あらたかな静寂に満ち、その場に居並ぶキノコ守りの誰もが、長老と、その前に跪く新たなキノコ守りの姿を見守っていた。時折、幼い子供達がミロを指差して楽しそうにはしゃいでは、母親に諫められている。
「ひょの、ひのひをこそ、しゃびは」
「その命をこそ錆は畏れ」
「……ひょのまえに、み」
「その前に道を開けよう」
歯がすっかり抜けてしまっている長老の言葉を、隣の巫女が代弁してミロに伝える。巫女がいつも喰い気味に自分の言葉を遮るので長老はなんだか不満そうだったが、新たな美貌のキノコ守りが厳粛に頭を垂れるのを見て、満足そうに大きく頷き、背後に控える若衆へ、
「たこ!」
と、ひとつ声を張り上げた。
(……た、たこ?)
ジャビやビスコから聞いていた儀式の段取りはここまでだったので、意外な事の運びにミロは思わず面を上げる。やがて、草木や革を組んで作ったとおぼしき大きな蛸のオブジェが、若衆に運ばれて儀式の間に姿を現した。
「古来から、蛸は蟹の天敵て言うっしょ。だから、あいつをキノコでぶっ飛ばせたら、一人前の証をやる、って……ついこないだから、長老が儀式に追加したんよ」
「弓で、あれを……ですか?」
「そ。ま、別に余興みたいなもんだから。咲かなくても笑い話でおしまい。気楽にやんなぁ」
褐色肌の巫女が、美しい顔をミロに寄せてそっとささやいた。篝火の火の粉に照らされた大蛸のオブジェは、その八本足を広げ、ミロに喰いかかるような体勢で広場の中央に置かれる。
(……わあ。よくできてるなあ)
芸術に長けたキノコ守りらしい凝った造形に、ミロが半ば呆けてそんなことを考えていると、巫女の手から数本の矢と緑色の短弓が手渡された。
周囲を見渡せば、儀式の場を囲むキノコ守り達は、声を抑えつつもわくわくが止まらないといった様子で、大人から子供まできらきらと眼を輝かせてミロの動向を見守っている。
ミロはその雰囲気に気圧されてごくりと固唾を吞み、一度、後方を振り返った。
奥のほうに建てられた高台に腰掛けて、見知った顔がふたつ、見える。
少女がピンク色のくらげ髪をしゃらりと揺らして楽しそうに手を振り、その隣の赤髪の相棒は、ミロの儀式すら見ずに、なんだか漫画本を一心不乱に読みふけっている。
赤髪は何か刺すような視線をミロから感じてぴくりと視線を合わせると、一目でだいたいの事情を察して、こともなげに顎の先で大蛸をしゃくった。
(……あのバカ!)
ミロは相棒への憤懣を込めるように、緑色の弓に矢をつがえ、強く引く。ぎりぎりぎり、と弦が鳴れば、その華奢な身体からは想像もつかない膂力に、にわかに里がざわつきだす。
「……シッ!!」
一呼吸置いて眼を見開いたミロは、中空に跳び上がりざま凄まじい早業を見せ、大蛸の脳天に縦に並ぶよう、一回の跳躍で三本の矢を打ち込んだ。
「おおっっ!!」「わあーっ!」「すごい!」
口々に叫ぶキノコ守りたちの声を搔き消すように、すぐさま爆発するシメジが ぼん、ぼん、ぼん!! と大蛸の骨組みを弾き飛ばし、盛大に咲き誇った。
発芽の勢いですっ転んだ長老は、慌てた若衆に抱きかかえられながら手を叩いて喜び、
「ミロ!!」
と叫んだ。
「ミロ!」「ミロ、ミロ!」
長老の言葉に応えて群衆達は口々に新たなキノコ守りの名を叫び、群れとなって押し寄せた。ミロはそのままもみくちゃにされて若衆に抱え上げられ、その軽い身体で、しばらくの間胴上げの餌食になっていた。
「お! 来たよ、新しいキノコ守りが……あ、あっははは! ミロ、髪、髪!!」
加減を知らない祭り好きのキノコ守りの胴上げからようやく解放されて、ミロはパンダ顔で不貞腐れたように、逆立った髪の毛をしきりに気にしている。
「サイヤ人みたいでいい。あいつらも、満月を見るとパンダになる」
「大猿!」
「ちょっと、なんで怒ってんの? かっこよかったじゃん! 長老も大喜びでさ」
「だってさあ。大事な儀式だって言うから出たのに、ビスコ全然見てないんだよ!?」
「俺は見る必要ない、相棒なんだから」広場の中央から漂う、巨大な魚が焼ける香りにつられて、ビスコは楽しそうに腰を上げた。「お前を誰より知ってる。本物の大蛸を仕留めるところも、生で見てるしな」
「えっ……」
「だとさ。ほらミロ、あたしたちも食べに行こう!」
チロルはミロの手を引き、惚けて相棒の背中を見送るミロの頰を、ぺちんと張った。
「い、痛った! チロル、急になに!?」
「ミロは赤星にチョロすぎるよ! もちょっと耐性つけなさい」
すでにキバガツオの丸焼きの、脂の多いところを皿に貰っていたビスコに二人は追いつき、祭りの喧騒から離れたところへ腰掛けて、素手でそれをつまみながらしばらくキノコ守りの祭りを眺めていた。
島根・出雲六塔にて、摩錆天ケルシンハを討ち果たした二人は、そのままビスコの故郷、四国は愛媛の石鎚山にある四国キノコ守りの里を目指した。道中、純金のガナンジャ像を売り払ったことで商売の元手を手に入れたチロルが、キノコ守りと取り引きがしたいという目的でアクタガワに相乗りし、今日に至る。
里では帰郷したビスコがもみくちゃにされると思いきや、ビスコは今や英雄というよりもキノコの神様みたいな扱いになっていて、強い子に育つように赤ん坊の手や蟹のハサミを撫でさせられたりと(これはチロルとミロが頭を撫でたらバカになってしまうという判断でやんわりとビスコに助言したものだが)、とにかく寺か神社みたいにして大勢のキノコ守りがビスコを崇め奉った。
当然ながらビスコにしてみれば居心地悪い事この上ない。
せっかくの里帰りがこれでは可哀想だとミロも思ったため、ビスコと持ってきた黒革の漫画・アニメ・映画コレクションを里にばらまいてやると、目先のことしか見えないキノコ守りたちの興味はそちらへ移り、ビスコへの関心は途端にどっかへ行ってしまったらしかった。
現に、今日のミロの儀式も本来一晩かけて行うはずのものだが、すでに子供達はそんな事にかまわず、広場に置かれたテレビに釘付けになっている。
「あ……あ……そんなあ……」
「げ、ゲンキダマが、当たったのに……!」
「はっ! ガキは単純で羨ましいぜ。アニメごときに、あんなに入り込めてよ」
「あのシーン、ビスコも全く同じリアクションしてたよ」
「……。」
「単純で羨ましいぜ」
「パンダてめえコラ!!」
転げ回る野良猫のような少年二人を横目に、子供達は食い入るようにアニメの続きを見つめている。
やがて、先ほどから妙にむずかっていたその中の一人が、とうとう耐えかねたように一時停止ボタンを押して立ち上がった。
「ご、ごめん、止めといて! ちょ、ちょっと、トイレ」
「ええー!? ユッ太、お前これで何回めだよー! 今、めっちゃいいとこなのに!」
「すぐ戻って来るからっ! 止めといてよ!!」
ユッ太少年は強引に仲間に念を押すと、小ぶりの蟹を抱えて、いそいそと集落のはずれの暗がりへ駆けて行く。
そして、石造りの蟹地蔵が数多く立ち並ぶ、戦没した蟹を祀る一角へ来ると、少年ならではの恐れ知らずで、そこで小用を済ませてしまった。
「……ふ───。みかんジュース飲みすぎたな。ナツメ、お前もする?」
人心地ついたユッ太が自分の蟹に語りかけると、蟹はおもむろにユッ太の腕から離れ、目の前の蟹地蔵に飛びついて、しきりにそれをハサミで叩きだした。