錆喰いビスコ3 都市生命体「東京」

1 ③

 てのひらは放出する青い粒子でチロルの頭部をむしばみ、「めぎめぎめぎ」と壮絶な音を立てた。すさまじい力で頭部を握られる激痛に、チロルの悲痛な叫びが響く。


「痛い、痛いいっ!! ミロ、ビスコっ! 助けてぇ───っ!!」

「チロル────ッッ!!」

「野郎ッ!!」


 寝転びながらもビスコが放ったさびいの矢が、絶妙なコントロールでそのてのひらをチロルから強引にがす。ぼん、ぼん!! と数回キノコを咲かせて、アポロの手はそこでようやくおとなしくなった。


「転送、準備、完了。東京まで、5、4、……」

「てめえ! チロルに、何をしやがったァッ!」

「急いで……抗体を作らなければ……。『胞子』だ。原因は『胞子』にあった……」


 アポロは歩きながらその身体からだをほの青く光る粒子に変えてゆき、やがてひとつ大きく風が吹くと、ビスコの放つ矢がその身を捉える寸前に、まるでかすみのようにかき消えてしまった。

 後には、散々に都市に食い破られた集落、キノコ守りや、かになきがら……

 そして、荒い息をつくチロルだけが残った。


「チロルッッ!! あ、ああっ、そんなっ!!」


 ビスコは相棒の悲痛な声を聞いてそちらへ駆け寄り、ミロの肩越しに、チロルのその身体からだを見て言葉を失ってしまう。

 アポロのてのひらつかんだ左の頭部から、首、鎖骨あたりにかけて、ミニチュアのような都市が覆い、それはなおも皮膚を突き破って広がり続けている。


「チロル、どうして! 隠れててって、言ったのに!」

「あははは……ほんとだよ。あんたらの毒が……ったの、かな……」

さびいアンプルはどうした! どこにある!?」

「もう打ってるっっ! でもだめだ、侵食が止まらない……!」

「あはは、これ、で……おしまいかあ。しょーもない、人生……げほぉっ、げほっ!」


 チロルがミロの胸にすがってむと、かつけつに小さな建物や鉄柱のようなものが混じり、それはもはやチロルの内臓にもこの都市化症状が及んでいることの証左であった。


「げほっ。でも、あ、あたし。た、楽し、かった。最後に、あんたたちに、会えて……」

「諦めちゃだめだよっっ! 絶対、僕が助けるから!」

「じ、地獄、で……待ってる、から。ちゃんと、来てよ? ミロ、あかぼし……」

「そんな……嫌だよ、死なないで、チロルッッ!!」


 涙の粒を散らして叫ぶミロの声に、呼応するように。

 突如ミロの全身から、緑色の胞子が、ぶわり! と噴き上がった。


(チロルを、助けて!)


 宿主の強力な一念に焼き焦がされるように、胞子は沸き立ち、その色を炎のように変え。

 硬く眼を閉じたミロの眼前に凝固し、小さな太陽を形作ってゆく。


「……な、何の光だ、こりゃ……!? ミロ、おいミロ、起きろ!」

「ビスコ! チロルが、チロルが……」

「バカ野郎、しっかりしろ! 目の前のそれ、しんごんで出したのか!?」


 ミロが、相棒の言葉にわずかに落ち着きを取り戻し、ゆっくり眼を開けば……

 普段の真言のものとは違う、眩い真紅のキューブが、そこにさんぜんと輝いていた。


「な……なに、これっっ??」


 その輝きに、思わずミロが眼を細める。発現させた本人にも覚えのない真紅のキューブは、チロルの様子を伺うようにふわりと周囲を旋回し、やおらその半開きの唇に触れると……

 しゅぽんっ! と間抜けな音を立てて、その体内に入り込んでしまった。


「!? んんおおお!?」

「うわ───っ! な、何してんの!? 言うこときいて!」


 真紅のキューブは宿主であるはずのミロの制止も聞かず、喉を押さえて暴れるチロルの全身を駆け巡って、身体からだじゆうを赤く輝かせた。


「あッ、ちょッ、いやッ、そんなこと……そ、そこは、肺!? ちょっ! こいつ、お、乙女の内臓を……ぎゃはははは! くすぐったい~~~っっ!!」

しんごんが、暴走して……! ああ、ビスコ、どうしよう!」

「ちょっと待て。見てみろ、チロルの身体からだが……!」


 緑色の光はチロルの半身を覆っていたミニチュアの都市をまたたに拭い溶かし、白い粉に変えて辺りへ散らしてゆく。少年たちはその奇跡のような治癒力にきようがくしたが、チロル本人にその感触はたまったものではないらしく、笑ったり叫んだりを繰り返しながらしきりにミロの腕の中で跳ね回っている。


「見てビスコ、チロルの身体からだれいになってく!」

「……釣りあげた魚みてえだ。それだけ元気なら、まだ死なねえだろ」

「この状況で、よくそんなこと言えるね!!」


 チロルはしばらくそのかれたような動きを繰り返して、やがて びくん! とひとつけいれんして止まると、がばっ! とミロの腕から起き上がって、全身をぼきぼきと鳴らし、妙にぎこちない、ロボットのような動きで二人へ向きなおった。


「シティ・メイカー、94%イレース完了。正常動作範囲内。本デバイスの生命活動維持のため、シティ・メイカー管理者の削除まで本デバイスに残留する」


 チロルが無表情でいきなり訳のわからないことをしやべり出したので、少年二人はぽかんと口を開けて顔を見合わせる。二人にかまわず、チロルは自分の身体からだをまじまじと眺め回して、腕を組んで「ううむ」とうなり、なにやら小声でつぶやいた。


「……まだミロから出る予定はなかったのだが、あれほど強く念じられればむをない。ぼくが介入しなければ、この子は都市のじきになっていた……」

「……おい。どうした、チロル。どっか、まだおかしいのか?」

「いや、すっかり平気だとも。いつも通りだ」

「いつも通り、って、お前……」


 すっかり元の白い肌を取り戻したくらげ髪の少女からはしかし、いつものいたずらっぽい表情は消え、代わりにきりっとしいものになり、何よりチャームポイントのひとつであったきんいろの瞳が、真っ赤な色に変わっていることに二人はぎょっとしてしまう。

 さらにその眉間の少し上、額の中央には、何かひしがたの、幾何学的な模様の赤い刻印が入れられており、淡く赤い光をゆるやかに点滅させている。


「……変わったところがあるかい? だとしても、多感な時期の女子の容姿なんて、そんなものだよ。ちょっと目を離した間に、別人に見えたりするものさ」

「一瞬も離してねえけど」

「長い付き合いなのに。信用できないのか、ビスコ」チロルは真っ赤な両目を見開いてビスコと向かい合い、ぜんとして言った。「ぼくは正真正銘、君たちの友人、おおちやがまチロルだ。身長143㎝36㎏二十一歳。好きなものはお金とココア、初恋は十一歳、その時ろくでもない男に引っかかり、そいつがくらげ嫌いだったからくらげ髪をしてる。スリーサイズは上から」

「うわァッ、わかったわかった! そこまで言わなくていいっ!」

「ね、ねえチロル、本当にあの侵食は止まったの? もうどこも、痛くない?」

「もちろんだ! まだ内部に多少の因子を残しているが体表上の都市はすべてイレースしたからね。ここも無事だし、ここも……」


 チロルは少年たちの前で服をぽいぽい脱ぎ出し、しまいには下着に手をかけたあたりで、突然右手で思い切り自らの顔面を張った。吹っ飛んだチロルは地面にすっ転び、きようがくの表情で、自分の腫れた頰をでる。


「こ、この子、内側からぼくを動かして……すごい意志力だ。……えっ? 脱ぐときはお金を取れって? そ、それは、どういう」

「チロル!! 誰と話してるの!? 本当にどうしちゃったんだよ!」

「見たとこ、き物の類だな。ひとまずそいつを連れて長老んとこへ行こう。気付けの香をけば治るかもしれない。それに、あいつの部下がまだいるかも。長老たちが心配だ」


 タイミングを見計らったように、ずどん! と空から飛び下りて大地を揺らすアクタガワに、少年たちが飛び乗る。ビスコが手を貸すまでもなく、赤い目のチロルはぴょんぴょん跳ねてミロの背中にしがみつく。


「よし。ビスコ、行こう! チロルを治さなきゃ」

「……チロル。さっきの話はほんとか? 昔の男へのあてつけで、その髪型にしてるって」

「そうだよ。記憶領域に、そう書いて……」


 チロルはそこまで言って、またもや突然自分の手で自分の頰をはたき、鼻血を伝わせながら、いかにも痛そうにビスコへ答えた。


「……い、いや。さっきのは、聞かなかったことにしてくれ……髪がくらげなのは、くらげ商店の覚えがいいから、だそうだ……」

「もともと、そういう話だったよね??」

「いよいよ変だぜこいつ。アクタガワ、長老んとこへ急ごう!」


 アクタガワは、仕留めた一体の白人形のむくろを放り捨て、ビスコのづなに応えて、一直線に長老の元へと走ってゆくのだった。



刊行シリーズ

錆喰いビスコ10 約束の書影
錆喰いビスコ9 我の星、梵の星の書影
錆喰いビスコ8 神子煌誕!うなれ斉天大菌姫の書影
錆喰いビスコ7 瞬火剣・猫の爪の書影
錆喰いビスコ6 奇跡のファイナルカットの書影
錆喰いビスコ5 大海獣北海道、食陸すの書影
錆喰いビスコ4 業花の帝冠、花束の剣の書影
錆喰いビスコ3 都市生命体「東京」の書影
錆喰いビスコ2 血迫!超仙力ケルシンハの書影
錆喰いビスコの書影