華蘇県。
九州は阿蘇山の噴火・消失後、平らになった灰まみれの土地に復興したここは、大分・福岡・熊本といった強豪県を相手取り、ついに県としての統治を獲得した、日本中を見渡してみてもかなり新しい部類の自治体である。
もっとも、華蘇県の灰まじりの土はもともと錆が強く、土地的にもメリットが少ないがゆえ、周囲の県から見逃されたという見方もできる。
では、この作物の実りから見放された県が、どうやって経済を回し、自治を保っていられるのか?
それは華蘇県が、いわゆる『監獄都市』であることに由来する。
華蘇県が擁する巨大監獄『六道囚獄』は、難攻不落の監獄として全国でも評判であり、またこれを支配する鉄の裁判官『沙汰晴吐華蘇守染吉』の、絶対中立かつ容赦のない裁判も、ルール無用の現代にひとつの規範として尊重されている。
法が法の力をまともに行使できない現代にあって、どんな凶悪犯も受け入れ拒否しない六道囚獄は非常に重用された。増え続ける罪人を、多少の金を払ってでも自県から追っ払いたい……というのは、日本各県の見解としても共通するところである。
つまるところ、華蘇県の産業というのは……
『罪人に関する一切を引き受け、金を貰う』という、いわゆる監獄ビジネスであり、そういった関係で、今日も全国から搬送される凶悪犯が後を絶たないのであった。
「罪人引き渡し、ですかあ?」
裁判を待つ罪人を収容する、一時収監所、その受付。
手渡されたある囚人の写真と、京都府警の手帳をまじまじと眺めながら、一時収監所の管理人はうさんくさそうに、カウンター越しの刑事二人を見やった。
両人が二人一組であることを示す、黒と白のトレンチコート。その胸に金閣印のバッヂをつけた装いは、警察関係者ならよく知る京都府警の正装で、なんら怪しいところはない。
「こちらにいますか? 出自がキノコ守りの囚人は」
「……リストを見ないとなんとも。しかし、いたとしても、ねえ……」
目深に被った帽子と口元を隠す黒いマスクも、高度の機密を扱うエージェントにとっては珍しいものではないのだが、それにしても……
「こっちで裁判の終わってない罪人を、勝手に引き渡すのは……」
華蘇県としても、面子が立たない、というのだろう。
「無論、迅速に裁判・収監が行われるのであれば、わざわざ出向きません」
白いトレンチの方が、涼やかな声で言った。
「しかし現在法務を預かるサタハバキ殿は、日本各地を駆け回ってご多忙のご様子。裁判を待つ罪人も、渋滞気味だとか……。我々としても、サタハバキ殿のお人柄を信頼して罪人を預けている。早々にお裁きをいただけないのなら、我々へお戻しいただきたい」
「確かに華蘇守さまはご多忙です、しかし現在、六道囚獄を預かるゴピス様、メパオシャ様も、法の番人として申し分のない……」
「俺たちは、一流だと見込んだ相手にしか、裁判は任せない」
黒いトレンチが、ドスの利いた声で管理人に詰め寄った。
「収監されてるキノコ守りがいるなら黙ってこっちへ寄越せ。京都と戦争やる気なら、それでもいいんだぜ」
「ううっ……」
(京都府警も、一度滅んでから、ずいぶん過激になった)
収容所の管理人はぶつぶつと呟きながらリストをめくり、囚われの罪人達の怒声が響く、奥の部屋へと消えてゆく。
その後ろ姿を見送って、二人の刑事は小声で囁きあった。
「ほんとに捕まってるのか? こんなしみったれた所に」
「六道囚獄に入ったのなら、かならず裁判があったはず。ここ一週間の公判記録に、キノコ守りの形跡はなかった。いるとすれば、こういう一時収監所に間違いないよ」
「ふうん?」
黒トレンチは暇を持て余し、首をごきりと鳴らして、窓から外を眺めた。
よく晴れた春であるのに、窓の外には、役所や警察署などの冷たいコンクリートの建物が並ぶばかりで、およそ豊かな景観とは言い難い。
唯一、遠く巨大にそびえ立つ、漆黒の門……『六道囚獄』の入口だけが、この鬱屈とした街の中に、鉄の威厳を振りまいているようであった。
「華蘇県、監獄の街か。どこもかしこも陰気で、殺風景な……」
黒トレンチは窓に寄りかかり、つまらなさそうな目を、徐々に大きく見開いていく。
「……どうしたの?」
「伏せろ!」
二人が身を伏せた直後、ばりいん! と轟音を立てて、白い人形のものが自ら窓を突き破り、その部屋の中に飛び込んできた。
(……子供!?)
白トレンチは咄嗟に身を翻し、床に激突しかけるその人影をすんでのところで抱きとめ、ゴロゴロと転がる。抱きとめた両手に感じるべっとりとした血の感触に、白トレンチは思わず唾を飲み込んだ。
「きみ、大丈夫!? 聞こえる!?」
「死ね、ない……こんな、ところで……」
長い紫色の前髪から覗く瞳が、涙に潤み、悲痛に訴えた。
「お願い、します。誰か、たすけて……」
「ひどい怪我だ……! 待ってて、すぐに……」
白トレンチが子供を励ます、その声をかき消すように。
「阿呆ゥめ。鬼ごっこはこれまでだ。シシ!」
「バカだなあ。袋小路に逃げ込むなんて、まだ子供だ」
がなるような女の声と、嘲笑うような女の声が、玄関から響いた。
どよめく職員達を乱暴に突き飛ばしながら、二人組の女が玄関を大股でまたぎ、トレンチ達へ向けて尊大に歩み寄ってくる。
「釜にぶちこまれてから逃げた阿呆ゥは初めてだ。どういう手品か知らんが、あのガキのせいで釜はメチャクチャだ! あたしに、恥をかかせやがって……!」
「ちゃんと殺してから釜に入れないからじゃないか。バカは仕事が雑だなあ」
「あのガキ、心臓が止まっていた。死んだと思ったのだ!」
コツ、コツ、と、ヒールの音を響かせて……
怒鳴るように喋る一人は、派手な赤いドレスに胸元を大きく開き、肩に牛頭の飾りをつけている。艶やかなウェーブがかかった金髪のロングヘアに、一目でサディストとわかる傲慢そうな顔。鼻の片方には、ぎらぎらと光るピアスをつけている。
もう一人は、藍色で、針葉樹のような尖った髪質の、これも長い髪の女であった。眼鏡をきらりと光らせ、耳に蹄鉄を模したピアスを揺らしている。横の女と対になる青いドレスの上には、ぱりっと清潔な白衣を羽織っており、傍目にも何らかの研究者であることがわかる。
「……今からここは、六道囚獄の預かりだ。何をぼさっと立ってる? 鉄格子にぶちこまれたくなけりゃ、さっさと散れ、阿呆ゥども!」
金髪の一喝に、職員達は面倒はごめんだというふうに、蜘蛛の子を散らすように逃げ去っていく。二人の女の後ろには、黒いローブに覆面の、死刑執行人みたいな看守達が大勢従ってきており、桜の紋を刻んだ倭刀をそれぞれ腰に差している。
トレンチ二人組はその看守達に囲まれ、それらから正体の知れない子供を守るような格好になっている。
「……おやあ? 立ち退かないバカがいると思えば……きししし、珍しいお客様だ」
「……阿呆ゥ府警の、エージェントか? 何故、こんなところに……」
六道の看守達も、目の前の京都府警の存在は予想外であったらしく、はたしてどうしていいものか、指示を待っているような具合であった。
ややあって、ひとつ咳払いをし、金髪のほうが声を張る。
「無能府警が華蘇に何用か知らんが、気に入らん態度だ」
金髪は強気な発言とは裏腹に、相手が他県ではさすがに手を出せないのか、革の鞭を片手に、焦れた様子である。
「あたしは六道囚獄・副獄長のゴピス。この根暗女は、助手のメパオシャ」
「しれっと手下にするな、バカ。私も副獄長だ」