錆喰いビスコ4 業花の帝冠、花束の剣

3 ②

「出自のことなら、ご心配には及びません! おれはホウセン王の実子……未熟ではありますが、れっきとした王子の身の上です」

「ほ、ほうせん……? 誰それ」

「父上の教えなのです。継承者たるもの、王の道と離れた場所に師を見出さねばならぬ。お前の心に火を灯す、真の男が現れたら……必ずそれを兄と慕い、尽くし、生き様を学べって。さあ、兄上、何なりと。このシシ、兄上の手足となります!」

「だったら座ってミロの治療を受けろ! お前は、全身火傷やけどで……」


 ビスコは、少女シシの勢いにされながらも、なんとか威厳を保ってそう言い放ち……

 その直後に、


『ぎゅるるる』


 と、盛大に腹を鳴らした。

 考えてみれば、救出劇のあと追っ手をききる間、何も口にしていない。


「……腹が減っているのですね、兄上!」

「いや、今のは……おい、どこ行く気だ、お前!」

「兄上はそこでお待ちを! 配給の看守に、飯をもらってきます!」

「ああっ、待って、きみ、ちょっとぉっ!」


 ミロの手をするりとすり抜け、おおを負っているとは思えないすばしっこさで、シシは部屋のドアを思い切り開けると、すぐ横の階段に足をかけて……

 ずがっしゃん、がん、どがしゃん!

 そのまま足を滑らせ、いんせきのように階段の下へと転がっていった。


「あちゃああ……!」


 顔をしかめてうつむくミロの前に、パウーがすばやく階段の下からシシをかつげて、再び気絶してしまったその身体を横たえた。


「ふむ、おそろしく元気な子だ。麻酔が効いているから、うまく動けなかったんだろう」

「そもそも、起きるのがおかしいんだけど。気絶してるうちに、ちゃんと薬を塗っておかなくちゃ……」

「ミロ。忠告するが、お前の右目の周りにも、薬を塗っておけ……あと、私がメイクで隠してやるから、そのままビスコの方を向くなよ」

「……パウー、急に何言うの?」

「ぎゃっはははは!!」

「遅かった」


 ミロがきょとんとビスコを振り返ると、相棒は自分の顔を見てげらげら笑っている。

 パウーがついと差し出した手鏡には、先ほどのシシの蹴りによるものであろう、健康な右目のほうに青アザができ、左のそれと合わさって完璧なパンダを形成してしまっていた。


「ぱ、パンダが、パンダが出た! いいのか!? 無料で見ても」

「お前このやろ────っっ!!」


 もみくちゃになって暴れるいつもの二人を見ながらパウーはため息をつき、眼下で安らかに眠っている少女を見下ろした。

 その身体のあちこちの傷が、その少女の越えてきた修羅場の数々をパウーに訴え、しばらくその視線を外させなかった。


「ごめん、ミロ。手当てまでしてもらったのに。それ、おれが蹴ったのか……?」

「気にしないで! 麻酔切れ直後の記憶混濁とかパニックは、よくあることだよ。それだけ、強い強迫観念があったってことだから」

「でも。痛かっただろう、その両目のあざ……」

「あ、あはは、これは……」

「大丈夫だ、片っぽは天然モノだ。お前のおかげで、ようやく二つそろった」

「ビスコは黙ってて!!」

「…………。でも、よかった。兄上たちに会えてなかったら、おれは今頃……!」


 細い身体を抱きしめてわずかに震えるシシを見て、三人は顔を見合わせた。

 ビスコへの異常な敬愛っぷりは相変わらずだが、シシも一通りの治療を終えてようやく精神が落ち着いたらしく、話が通じるようになってきた。

 そして今更ながらに、紙一重で助かった自分の運命に身震いし、その壮絶であったであろう過去に思いをせている。


「それだけ、運命がお前を救いたがったのだろう。私たちは旅の者で、この県とは何のつながりもない。気持ちの整理がついたら、何でも言うといい」

「ありがとう、パウー……!」


 シシには今のところ、一番フィットするミロのチュニックを着せてあり、街中で目立ちそうなその白い肌をなるべく隠すようにしてある。それでも、鮮やかな紫の髪から漂う、妖しげな花のような香りが、人とすれ違うたびに注目を集めてしまいそうだった。


「あい。四名様、おまちどうさまです」

「簡単な料理の割に、随分待たせるじゃねえかよォ」


 シシももちろんだが、一同そろってひどく腹を空かせていたので、四人は連れ立って罪人どもでにぎわう食堂へ赴き、適当な食事を頼んでいる。

 ビスコが大口を開けてしるをかっこむのを見て、シシがそれへ楽しげに擦り寄った。


「兄上、腹が減っていたのでしょう。どうぞ、おれの分も食べてください!」

「だ、だめだよ、シシ! まず、きみが食べないと!」

「そうだマヌケ。お前に食わせるために、頼んでんだぞ」

「……兄上が、おれの、ために……!?」


 シシの顔が、またも喜びにぱあっと輝き、つぼみに戻っていた耳の椿つばきを、一瞬で、ぽんっ! と開かせた。


うれしいです、兄上……! でもやはり兄上より先に、口にするわけには。そうか、兄上も、先の戦でお疲れなのでしょう! おれが、食べさせて差し上げます!」

「お前、頭ん中にも花咲いてんのか!?」

「はい、あーん!」

「やめろォ! ひっつくな!」

(……なんなんだよー、この子ぉーっ)


 ビスコにすっかり心酔しているシシが、時折露骨にべったりとビスコに張り付くのに、ミロが目元をひくつかせる。意外にも妻のパウーの方は冷静に、不思議そうにシシの動向を観察している。


「シシ。ビスコがお前の言う通り真の男なら、かえって世話を焼くものでもない。お前がきちんと食事をするのはミロの治療の一環なのだから、まずはお前がそれを食え」

「平気だよ! おれは、これしきの傷でっ……」

「お前を生かしたのは俺じゃない、ミロだ。まずはあいつに敬意を払え」ビスコがぴしゃりと言う。「そして素直にそれを食うんだよ。わかったか?」

「は、はい。ごめんなさい、兄上……」


 シシはビスコの言葉に途端にしおらしくなり、ミロの方を見てぺこりと頭を下げた。


「ミロ、ごめんよ。面倒みてくれたのに、勝手なこと言って」

「い、いやあ、別に! 元気なのはもちろんいいことだし、別に謝るような……」


 ミロはそれまでの不機嫌な表情を慌てて笑顔に戻して答えるものの、シシから向けられる笑顔とは裏腹に、耳の椿つばきの花がすっかり閉じ切っているのを見てとってしまう。


「ミロの言う通り、これ、ちゃんと食べるね。それでいい?」

「えっ、あ、うん……」

「兄上! ミロは、許してくれました! これで、よろしいですか!?」


 ミロが戸惑いがちに、うん、と言い切る前にシシはビスコを振り向き、即座に満開の椿つばきを咲かせて、はじけるような笑顔でビスコに擦り寄る。


「あのな。別に許すとか許さねえとか、そういう話じゃ……」

「では改めて、はい、あーん……兄上、お口を開けてくださらないと!」

「お前なに一つわかってねえな!? やめろォッ、自分のを食えコラァッ」


 ぴきぴきと目元のけいれんを一層激しくさせるミロの横で、パウーが面白半分、あきれ半分という感じで笑い、弟の肩をこっそりたたいた。


(ミロ、気がついたか? シシのあの、耳の花……なかなか興味深いぞ。心を動かした時だけ、開くようになっているらしい。先天的に、うそをつけない体質のようだな)

(パウー、なんでそんな冷静なの!? 仮にも旦那に、あんな……!)

(はは。ミロ、あれでいちいち嫉妬するほど、私は未熟ではないぞ)


 パウーは長い黒髪をぐしで後ろへ流し、胸を強調するように、得意げに腕を組んだ。


(シシはまだ子供。女としての、が違う)



 県で出てくる料理というのはおよそ質素なものばかりで、何しろ食料品のほとんどを囚人に作らせているというのだからそれも致し方ないと言える。

 こめとカブト芋を練り合わせたものを焼いた『もち』というものが県の名物であり、ぼそぼそと素朴な歯触りの餅に豆を砕いたものが入っている。決してまずいということはないが、島根の豪勢な料理の味を知っている少年たちには、やはり物足りなかった。


「? いでっ」

「どうしたの? ビスコ」

「なんだこりゃ……げえっ。餅の中に、歯が入ってたぞ」

「あははっ! 外れを引きましたね、兄上! はい、おれのと交換……」

「黙って食え! でも、歯? 気味わりい、なんで歯が……」

「餅を作る現場は、仕事する前にまかないが出るんですが、飯の取り合いで必ずけんになるんです。その時に飛んだ歯が、餅に入ったのかもしれない」

「そんなモンを客に出すな! 文句言ってきてやる」

「お供します、兄上!」


 ビスコが憤然と席を立つのに、ぴょこぴょこと引っ付くシシ。そのタイミングを見計らって、パウーが声を低めてミロに問いかける。



刊行シリーズ

錆喰いビスコ10 約束の書影
錆喰いビスコ9 我の星、梵の星の書影
錆喰いビスコ8 神子煌誕!うなれ斉天大菌姫の書影
錆喰いビスコ7 瞬火剣・猫の爪の書影
錆喰いビスコ6 奇跡のファイナルカットの書影
錆喰いビスコ5 大海獣北海道、食陸すの書影
錆喰いビスコ4 業花の帝冠、花束の剣の書影
錆喰いビスコ3 都市生命体「東京」の書影
錆喰いビスコ2 血迫!超仙力ケルシンハの書影
錆喰いビスコの書影