錆喰いビスコ5 大海獣北海道、食陸す

0 ①

 陸が、陸をらっている──

 そういうふうに言うほかなかった。

 切り立った大地が津波のように押し寄せ、生き物のようにうねり、形を変えて、町々をすさまじいスピードでんでくるのだ。

 見上げれば、陸地に影を落とすようにして太陽すら隠し、天空に地平線がそびえ上がっているようなありさまなのである。

 無理やり例えようとするならば、巨大なクジラが大口を開けて迫ってくる、といったところだが、目の前の景色はとにかく大地が大地をんでいるという他に形容しがたいもので、その圧倒的なスケール感はじんを超えたものであった。


「急げ、救助の輸送機へ逃げろ!!」

「あれにまれたら、粉々にされちまうぞ───っっ」


 突然に訪れた天変地異に、県の人間達は震えあがって我先にと逃げ出し、九州同盟軍の派遣した救助ヘリへと殺到した。

 その間にも、『ごごごごご』と県にいかかる巨大な大地の上顎は、県全体に巨大な影を落としつつ、ぼろぼろと大地の欠片かけらをこぼして建物を次々と潰してゆく。その落石の衝撃で、逃げ遅れた女が一人、盛大にすっ転んでしまった。


「きゃぁ──っ!! 助けてぇ───っっ!」

「いかんっ! 誰か一人逃げ遅れたぞ!」

「だめだ、岩が落ちてくる! 間に合わん、急げ!」


 悲鳴もむなしく、女の上に非情にも落ちる、更なる落石へ向けて。

 ひゅんっ、ばがんっっ!

 一筋の矢がせんこうのごとくそれを貫き、咲き誇る赤ヒラタケで四方へはじばした。


「……あ、あれっ!?」


 頭を抱えた女が不思議そうに顔を上げるのを、「ぐいっ」と抱えるようにして……

 真っ赤な髪をなびかせた人影がその場に降り立ち、怪力で女を抱えてその場から跳び上がった。背後に次々と落ちてくる落石を避け、あるいは蹴り飛ばしながら、がいとうを風に躍らせる人影はてんのような素早さでその場から逃げ去ってゆく。


「きゃーっ! あ、あなた、一体……!?」

「あんまり暴れるなっ! ……今のりよりよくじゃ、落としちまうっ!」


 赤髪はそう叫んで女を黙らせると、県の屋根の上を跳ね跳んで、今にも飛び立とうとプロペラを回す輸送ヘリの前に、さつそうと飛び降り……

 そこで、ずでぇっっ! と。


「んぎゃぼっっ!!」


 バランスを誤って着地しそこね、女をかばって盛大に鼻をすりむいた。


「きゃぁっ!? あ、あなた、平気っ!? だれか、誰か手当てを!」

「んるせーっ、おおゆうな。受け身をしくっただけだっ!」


 赤髪は擦れて真っ赤な鼻でぴょんと跳び起き、九州軍人に女を引き渡しながら叫ぶ。


「逃げ遅れはお前で最後だ! さっさと、こいつに乗ってずらかれ!」


 女はヘリの乗り込み口でようやく我に返り、すばやくきびすかえすその赤髪に叫び返した。


「あなたは……? あなたもはやく乗って! お父さんや、お母さんはどこなの!?」

「余計なお世話だ!」振り返りざま、ずっ、と鼻血を吸う。「俺はキノコ矢で時間を稼ぐ。モタついてねえで早く乗れ!」

「無茶よ! どれだけ腕が立つか知らないけれど、あなたはまだ子供じゃない!」


 その……


「子供じゃない!」の一言で、その赤髪の「子供」のこめかみに、びしり、と青筋が走った。


「……キノコ守りに、今やその人ありと知られた、俺の……!」


 わなわなと声を震わせ、思わず振り返って叫び返す。


ひとだけあかぼしビスコの! どこが、どう、ガキだってんだ、コラァ──ッ!」


 目を見開いてすごむ、その容姿は、しかし……

 女の言う通り、見まごう事なき子供のそれであった。

 背が低い。

 顔つきも幼い。

 ドスをかせて叫び返す声も、声変わり前である。

 身長は贔屓ひいきに見ても140そこらで、としの頃で言えば、十歳前後であろうか?

 服はだぼだぼの着古した狩人かりゆうどの服、がいとうは地面にべったりと付いており、その顔も、目つきこそ悪いものの、やんちゃで可愛かわいらしい十歳児のぜいかもしている。


(どこが、っていうか、全部……)


 女がその言葉を言うか迷ううち、一時は収まっていた地面が再び大きく揺れだした。


「まずい、あいつがまた動き出した。早く飛べよ、いいな!」

「待ちたまえ! この人の言う通りだ。子供一人分なら空きがある、君も乗りなさい!」

「うるッせえんだよォォ───ッッ! 人を、ガキ扱いするなァーッ!」


 赤髪の子供は九州軍人にそう言い返して、津波のように迫る大地に向けて果敢にも立ち向かってゆく。跳び上がった身体からだはくるくると器用に中空でひるがえり、落ちてくる落石を足場がわりに避け跳びながら、背中からずらりと使い込まれた短弓を引き抜いた。


「そんなに腹が減ってんなら……! これでも、らっていやがれェッッ!」


 子供……本人いわあかぼしビスコが、宙空で深く息を吸い込むと、きらきらと光る太陽色の胞子が、その身体からだ中からあふした。

 光り輝く胞子は弓と矢に伝染し、ぶかぶかのがいとうも明るく染めて、ビスコ一人を小さな太陽のように輝かせる。


「行ィィけえェェ────ッッ!!!」


 ず、ばんっっ!

 発射の衝撃でビスコごとぶっ飛ばした陽光の矢は、一直線に巨大な大地の壁へと吸い込まれ、そこで『ぼぐんっっ!』と連鎖的にさびいを咲かせた。咲いたさびいは大地の上顎と県の間に、ついたてをするようにつっかえ、大地の進行を食い止める。


「オラッ! 見たか……あ、あれっ!?」


 しかし。

 ビスコが得意げな笑みを浮かべたのもつか、無敵のキノコであるはずのさびいは、べぎべぎべぎ!! とごうおんを立ててひき潰され、まるで猛獣の口にかみ砕かれるようにして大地の腹の中へおさまってゆく。


「そんな。咲き方が弱いのか!? くそッ……いつもの身体からださえありゃァッ!」


 ぼうぜんと地面に着地するビスコの直上から、大地の上顎がひとみにしようといかかる、

 そこへ、


「ビスコ、危ないっ!!」


 ばぐん、ばぐん、ばぐんっっ!!

 エリンギ矢の束ね撃ちがビスコの眼前に突き刺さり、何本も白柱のように咲きそびえて、そこに大地の上顎を食い止めた。そのままさつそうと舞い降りた一人のキノコ守りが、ビスコを抱きかかえて再び宙空へ躍り上がる。


「こら──っ! 僕がいない間、無茶するなって言ったじゃんっ!」


 さらさらとなびく空色の髪を、美しく陽光に輝かせるのは……

 美貌の少年キノコ守りにしてビスコの相棒、ねこやなぎミロその人であった。


「あんなの無茶のうちに入らねえっ! 放せ、自分で跳べる!」

「いい!? まだわかってないみたいだから、ちゃんと言っておくけど!」


 ミロはビスコを抱き抱えたままのビルの屋根上へ着地し、子供の目線までかがみこんで、ビスコの肩を強く揺さぶった。


「今の君は、『子供』なんだ、ビスコ! 今までのパワーで、キノコ矢は撃てないよ!」

「俺は、ガキなんかじゃ……!」

「自分を信じるのはいい。でもまずは、今の身体からだを自覚して、ビスコ! 自分の力量を見誤ったら、死ぬことになる。君の言葉だよ!」


 ミロは言いながら、最後の輸送ヘリが遠く飛び立つのを見て、ひとつあんの息をつく。ビスコから離れて自分が面倒を見たヘリと合わせて、これで全てが無事に飛び立ったはずであった。

 ミロはくされたように膨れるビスコの髪をくしゃくしゃとでて、諭すように言う。


「大丈夫! 僕が、君を絶対に元に戻す。それまで僕から離れないこと。約束できる?」

「『一緒に死ぬ』とかいうエグい約束がもうあるのに、まだ増やそうってのか?」

「融通きかないなあ、もう! じゃあ、どうすればいいんだよっ!?」

「今度はお前が俺の約束を受けろ。俺を戻すまで、絶対に俺から離れるな!」

「……あのさ。それ、結局同じことじゃ……ああっ、ビスコ、待ってっっ!!」


 また一人で飛び出しかけるビスコを慌てて背中に背負い、意志を持つように降りかかってくる落石の群れを、ミロは街の建物を跳ね跳んで避け続ける。


「逃げててもらちかねえ。下ろせ、ミロ! もう一発ブチ込んでやる!」


刊行シリーズ

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