錆喰いビスコ5 大海獣北海道、食陸す

2 ①

 県・りくどうしゆうごく

 もはやくろがねの門を打ち破られ、獄としての権威を失った、その正門前広場には。

 かん椿つばきの花がべにびしの勝利を声高に叫ぶように咲き誇り、地面といわず石壁といわずそのツタと花を咲き巡らせている。

 剣闘場の舞台がごとくいろどられた、その花の土俵の中央で──

 ひとりの修羅とキノコ守りが、研ぎ澄ました己の魂を打ち付け合っている。


「死に花咲かせっ、あかぼし、ビスコッッ!!」

「キノコ守りの命に、花が咲いてたまるかァッッ!!」


 どずんっ! と、こうけんをその肩口に受けて、なおもぎらりとその目を輝かせたビスコは、その怪力でツタの剣をねのけてぐるりと宙空へ躍り、必殺のまわし蹴りをシシの細首へ向けて疾風のごとく振り抜いた。


「……ぐうっ!!」

「これでぇぇ───ッッ!!」


 ばぎんっっ!!

 雷光のごとき蹴りのいつせんが、シシの首へ突き刺さった。めぎめぎめぎっ、と、シシの骨が砕ける感触がビスコの脚に伝わる。


「がっ……は!」


 しかし。

 大木をへし折るその一撃を受けてなお、シシは口から血を吹きこぼしながら、その瞳のほむらを消すことはなかった。それどころか、その意志は吐き出す血に合わせて一層に燃え上がり、紅色の光でビスコを照らす。


すごい……すごい、力だ……でも」

「何ぃぃッ……こいつッ!」

「おれは、受け……きったぞ……兄上の蹴りを……!!」


 シシは、ビスコの蹴りが自らへさくれつする直前、片手のこうけんをほどき、その輝くきようじんなツタを首の周りに発現させ、間一髪のところで衝撃を殺したのである。


(まずいッ!)


 けんこんの蹴りを受けきられたビスコの身体からだは、空中でわずかにバランスを崩す。


「これは、狼煙のろしだ……!」


 シシの盾となった輝くツタは再びこうけんへと戻り、防御の構えを作れないビスコへ向かって、大きく振りかぶられる。


「日本最強の人間に。べにびしが、勝つ。我ら覇道の狼煙のろしは、兄上の血煙なんだッ!」

「シシ、てめえええッッ……!」

はつ! こうぇぇぇぇんッッ!!」


 ずばんっっ!!


「ぐうおおあ───ッッ!!」


 ビスコは、シシ必殺のこうけんりをまともに受けて、きりもみうって空中をすっ飛んでいく。


「花の種がんだ。終わりです、兄上……!」


 シシは更に身体からだひるがえし、吹き飛んでゆくビスコへ片手を向けて、持てる有りっ丈のりよくを解き放った。


はつ椿つばきぃぃ──ッ!!」


 ばうん、ばうん、ばうんっっ!

 こうけんによって身体からだんだ種子が次々と発芽し、ビスコの身体からだに真っ赤な椿つばきを無数に咲かせる。吹き飛ぶビスコはそれによってさらに勢いを増し、石壁にぶつかってそれを崩し、もうもうと白煙を上げた。


「おれのかん椿つばきりよくは、隷属の力。咲かせたものの『精神』を退行させ、奴隷にする……」


 シシは肩で息をしながらも勝利を確信し、静かな声でビスコに語り掛けた。


「チェックメイトです、兄上。あなたがおれに歯向かうことは、もう、できない」


 シシはもうもうと立ち昇る白煙をしばらくにらんでいて、右手のこうけんをほどこうとし……不意にきらめくやじりの輝きに、そのを見開いた。


「こいつをらっても、そう言えるか、コラァ───ッッ!」


 白煙の中から一筋の矢が飛び出し、シシを狙う。流石さすがのシシも驚き、こうけんをひらめかせてその一弓をはじけば、らされた矢が背後の地面に突き立って小ぶりのシメジを咲かせた。


「まだ勝負は終わってねえ。隷属の花だかなんだか知らねえが……俺の魂を支配できると思ったら、大間違いだ、シシッ!!」

「……おどろくこと、ばかりだ……!」


 シシはきようがくみしながら、しかしそれでも、余裕を失うことはなかった。


「……きようじんすぎる、心の力だ。流石さすがは、おれがかつて師と仰いだ男。おれのりよくをもってしても、魂までは奪えないか……」

「他の連中と同じにするな。俺の身体からだは、どこも操られちゃいねえッ! 第二ラウンドだッ! そこへ構えやがれ、シシ───ッッ!」


 ぶわり! と白煙を巻き上げて跳び出し、がいとうをはためかせてシシの前に立ちはだかったのは、天下無双のキノコ守り、あかぼしビスコ……

 の、はずである。

 キノコ守りのよそおいや、燃えるような赤い髪、すいに輝く両目が、何よりもそれを証明している……が、しかし、それまでのビスコと今のビスコには、決定的な違いがあった。

 子供なのだ。

 高かった背丈は十歳前後のそれへと縮み、キノコ守りの服をだぼだぼに余らせている。シシに向けて引き絞る弓は大きすぎて、とてもその身の丈には合っていない。


「……んん!?」


 ビスコは弓で狙うシシの様子を見ながら、なんだか間の抜けたような事を言う。


「シシ、お前……なんか、急にでかくなったな!? それも、花の力か!?」

「とはいえ、先の一撃で勝負が決まったことには、変わりはない」


 シシの片手がしゅるりとこうけんをほどき、その白い肌に戻る。


「おれの隷属のりよくは、甘くはない。相手の『精神』に隙がなければ、代わりに『肉体』を退行させるようにできている……今の、兄上のように」

「…………??」


 シシはもはやビスコに向けた殺意すら消し、すっかり事が済んだように、ズボンの裾の汚れを払ったりしている。


「あなたは今や、何の力も持たぬの一人に過ぎない……もはや、殺す価値もない」

「肉体を、退行させただって……!?」


 ビスコは徐々に自分の身体からだの違和感を感じ取り、声変わり前の声で叫ぶ。


「どういう意味だ……!? 俺に何をしやがった、シシ!」


 シシはきびすかえしざま、戦場に砕け落ちていた大きなガラスの欠片かけらを拾い上げ、それをビスコに向けて放り投げた。

 ビスコは……

 ガラスをのぞんで、そこに映るものが自分だと認識できず、しばらくの間げんそうにそれを眺め続けていて。

 そして、やがて──


「…………。」

「……な」

「な……!」

「なんだぁァ──ッ、こりゃああ──ッッ!!?」


***


「俺を、元に戻せ、シシぃぃ───ッッ!!」


 ばっっ! と起きるビスコの身体からだ中は汗にまみれ、吐く息もぜえぜえと荒い。

 自身の身体からだを子供にされる場面の、もう何度目かわからない夢をはんすうしながら、ビスコはしばらく同じ姿勢のまま固まり、やがて乱れた思考を落ち着けるようにかぶりを振った。

 そして……


「こ……ここは、どこだよ!?」


 暗く、なんだか生暖かい空間を見回して、不思議そうにしばたかせる。


「……ミロ!」


 ビスコは即座に相棒の安否に思い至り、アンプルサックからともだけの粉を口に含むと、床に向かって吹きちらかす。ぽこぽこぽこっ、と生えてきたともだけの明かりを頼りに探せば、相棒はほど近いところで意識を失っていた。

 ビスコはすかさず相棒へ駆け寄ってその脈を確かめ、頰をぺちぺちとたたく。


「ミロ! ミロ……起きろよ、おいっ!」

「う、ん……」


 美貌のパンダ医師はそれにうすをあけて、ぼんやりとビスコを認めると、うれしそうに微笑ほほえんで答えた。


「ビスコ……よかった、二人とも、地獄行きだったんだね! ……あ痛ぁっ!!」


 ぼんやりと目を開けたミロの鼻が、指で思い切り摘ままれた。子供のくせにとんでもない力でもって鼻っ柱をひねられ、ミロの意識が一気に覚醒する。


「いいい、痛ったい痛い──ッッ! な、なにするんだよっ! 相棒に向かってえっ!」


刊行シリーズ

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錆喰いビスコ9 我の星、梵の星の書影
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