華蘇県・六道囚獄。
もはやくろがねの門を打ち破られ、獄としての権威を失った、その正門前広場には。
寒椿の花が紅菱の勝利を声高に叫ぶように咲き誇り、地面といわず石壁といわずそのツタと花を咲き巡らせている。
剣闘場の舞台がごとく彩られた、その花の土俵の中央で──
ひとりの修羅とキノコ守りが、研ぎ澄ました己の魂を打ち付け合っている。
「死に花咲かせっ、赤星、ビスコッッ!!」
「キノコ守りの命に、花が咲いてたまるかァッッ!!」
どずんっ! と、獅子紅剣をその肩口に受けて、なおもぎらりとその目を輝かせたビスコは、その怪力でツタの剣を撥ねのけてぐるりと宙空へ躍り、必殺の廻し蹴りをシシの細首へ向けて疾風のごとく振り抜いた。
「……ぐうっ!!」
「これでぇぇ───ッッ!!」
ばぎんっっ!!
雷光のごとき蹴りの一閃が、シシの首へ突き刺さった。めぎめぎめぎっ、と、シシの骨が砕ける感触がビスコの脚に伝わる。
「がっ……は!」
しかし。
大木をへし折るその一撃を受けてなお、シシは口から血を吹き零しながら、その瞳のほむらを消すことはなかった。それどころか、その意志は吐き出す血に合わせて一層に燃え上がり、紅色の光でビスコを照らす。
「凄い……凄い、力だ……でも」
「何ぃぃッ……こいつッ!」
「おれは、受け……きったぞ……兄上の蹴りを……!!」
シシは、ビスコの蹴りが自らへ炸裂する直前、片手の獅子紅剣をほどき、その輝く強靭なツタを首の周りに発現させ、間一髪のところで衝撃を殺したのである。
(まずいッ!)
乾坤の蹴りを受けきられたビスコの身体は、空中でわずかにバランスを崩す。
「これは、狼煙だ……!」
シシの盾となった輝くツタは再び獅子紅剣へと戻り、防御の構えを作れないビスコへ向かって、大きく振りかぶられる。
「日本最強の人間に。紅菱が、勝つ。我ら覇道の狼煙は、兄上の血煙なんだッ!」
「シシ、てめえええッッ……!」
「発花! 獅子、紅剣ぇぇぇぇんッッ!!」
ずばんっっ!!
「ぐうおおあ───ッッ!!」
ビスコは、シシ必殺の獅子紅剣の袈裟斬りをまともに受けて、きりもみうって空中をすっ飛んでいく。
「花の種が咬んだ。終わりです、兄上……!」
シシは更に身体を翻し、吹き飛んでゆくビスコへ片手を向けて、持てる有りっ丈の花力を解き放った。
「発花、獅子椿ぃぃ──ッ!!」
ばうん、ばうん、ばうんっっ!
獅子紅剣によって身体に咬んだ種子が次々と発芽し、ビスコの身体に真っ赤な椿を無数に咲かせる。吹き飛ぶビスコはそれによってさらに勢いを増し、石壁にぶつかってそれを崩し、もうもうと白煙を上げた。
「おれの寒椿の花力は、隷属の力。咲かせたものの『精神』を退行させ、奴隷にする……」
シシは肩で息をしながらも勝利を確信し、静かな声でビスコに語り掛けた。
「チェックメイトです、兄上。あなたがおれに歯向かうことは、もう、できない」
シシはもうもうと立ち昇る白煙をしばらく睨んでいて、右手の獅子紅剣をほどこうとし……不意にきらめく鏃の輝きに、その眼を見開いた。
「こいつを喰らっても、そう言えるか、コラァ───ッッ!」
白煙の中から一筋の矢が飛び出し、シシを狙う。流石のシシも驚き、獅子紅剣をひらめかせてその一弓を弾けば、逸らされた矢が背後の地面に突き立って小ぶりのシメジを咲かせた。
「まだ勝負は終わってねえ。隷属の花だかなんだか知らねえが……俺の魂を支配できると思ったら、大間違いだ、シシッ!!」
「……おどろくこと、ばかりだ……!」
シシは驚愕に歯嚙みしながら、しかしそれでも、余裕を失うことはなかった。
「……強靭すぎる、心の力だ。流石は、おれがかつて師と仰いだ男。おれの花力をもってしても、魂までは奪えないか……」
「他の連中と同じにするな。俺の身体は、どこも操られちゃいねえッ! 第二ラウンドだッ! そこへ構えやがれ、シシ───ッッ!」
ぶわり! と白煙を巻き上げて跳び出し、外套をはためかせてシシの前に立ちはだかったのは、天下無双のキノコ守り、赤星ビスコ……
の、はずである。
キノコ守りの装いや、燃えるような赤い髪、翡翠に輝く両目が、何よりもそれを証明している……が、しかし、それまでのビスコと今のビスコには、決定的な違いがあった。
子供なのだ。
高かった背丈は十歳前後のそれへと縮み、キノコ守りの服をだぼだぼに余らせている。シシに向けて引き絞る弓は大きすぎて、とてもその身の丈には合っていない。
「……んん!?」
ビスコは弓で狙うシシの様子を見ながら、なんだか間の抜けたような事を言う。
「シシ、お前……なんか、急にでかくなったな!? それも、花の力か!?」
「とはいえ、先の一撃で勝負が決まったことには、変わりはない」
シシの片手がしゅるりと獅子紅剣をほどき、その白い肌に戻る。
「おれの隷属の花力は、甘くはない。相手の『精神』に隙がなければ、代わりに『肉体』を退行させるようにできている……今の、兄上のように」
「…………??」
シシはもはやビスコに向けた殺意すら消し、すっかり事が済んだように、ズボンの裾の汚れを払ったりしている。
「あなたは今や、何の力も持たぬ稚児の一人に過ぎない……もはや、殺す価値もない」
「肉体を、退行させただって……!?」
ビスコは徐々に自分の身体の違和感を感じ取り、声変わり前の声で叫ぶ。
「どういう意味だ……!? 俺に何をしやがった、シシ!」
シシは踵を返しざま、戦場に砕け落ちていた大きなガラスの欠片を拾い上げ、それをビスコに向けて放り投げた。
ビスコは……
ガラスを覗き込んで、そこに映るものが自分だと認識できず、しばらくの間怪訝そうにそれを眺め続けていて。
そして、やがて──
「…………。」
「……な」
「な……!」
「なんだぁァ──ッ、こりゃああ──ッッ!!?」
***
「俺を、元に戻せ、シシぃぃ───ッッ!!」
ばっっ! と起きるビスコの身体中は汗にまみれ、吐く息もぜえぜえと荒い。
自身の身体を子供にされる場面の、もう何度目かわからない夢を反芻しながら、ビスコはしばらく同じ姿勢のまま固まり、やがて乱れた思考を落ち着けるようにかぶりを振った。
そして……
「こ……ここは、どこだよ!?」
暗く、なんだか生暖かい空間を見回して、不思議そうに眼を瞬かせる。
「……ミロ!」
ビスコは即座に相棒の安否に思い至り、アンプルサックから灯し茸の粉を口に含むと、床に向かって吹きちらかす。ぽこぽこぽこっ、と生えてきた灯し茸の明かりを頼りに探せば、相棒はほど近いところで意識を失っていた。
ビスコはすかさず相棒へ駆け寄ってその脈を確かめ、頰をぺちぺちと叩く。
「ミロ! ミロ……起きろよ、おいっ!」
「う、ん……」
美貌のパンダ医師はそれに薄眼をあけて、ぼんやりとビスコを認めると、嬉しそうに微笑んで答えた。
「ビスコ……よかった、二人とも、地獄行きだったんだね! ……あ痛ぁっ!!」
ぼんやりと目を開けたミロの鼻が、指で思い切り摘ままれた。子供のくせにとんでもない力でもって鼻っ柱を捻られ、ミロの意識が一気に覚醒する。
「いいい、痛ったい痛い──ッッ! な、なにするんだよっ! 相棒に向かってえっ!」