錆喰いビスコ5 大海獣北海道、食陸す

3 ①

 赤黒く脈打つ、巨大な洞穴であった。

 皮膚を透かして太い血管のようなものが幾筋も走り、どくんどくんと脈打つたびに周囲を明るく照らすため、ともだけの光源はいらなくなった。洞穴の中には白い草花やこけのようなものが時折地面や壁にえており、それはまさに生物と大地を融合させたような、学術者にとって極めて不思議な光景であったといっていい。

 その光景を不思議たらしめる、その最たるものが……

 空中をふよふよと無数に漂う、奇妙な白い球状のものであった。


「見て!! これは、血球だよ、ビスコ!!」


 大小さまざまなその「ふよふよ」のひとつをつかみとって、ミロは大興奮でそれを見つめ、抱き着き、でまわしたりした。まるで玩具を与えられたハムスターのようなそのありさまに、ビスコはげっそりと眉をひくつかせる。


ほつかいどうの血って、白いんだなあ。それにお餅みたいな感触っ! だいかいじゆうの血球に抱き着いた医者なんて、日本で僕だけじゃない!?」

「パンダ大先生におかれましては、研究熱心で結構なことだがよぉ」


 一方のビスコは、とにかく見慣れない不思議な景色に終始されているようで、先を急がせるようにミロの袖を引っ張った。


「さっさとコトを済ませて、早く出ようぜ、こんなとこ。いつ何が出るかわかったもんじゃねえ! 第一ちゃんとあるんだろうな、その、ほつかいどうを止めるプランは」

「生命の神秘の真っただ中にいるのに、まんのない相棒だなあ」


 ミロはなんだか間延びしたような事を言って、何やら得意げに、ふところから一枚の紙を取り出して見せた。ビスコがそれをひったくるようにして受け取ると、そこにはミロの手書きで「海獣ほつかいどう 大解剖図!」と妙にはしゃいだ題字があり、その下には何やら動物の解剖図とおぼしきものがかなり精密に描かれている。


「……し、しんぞう。はい。せぼね……けん……けん? けんぞう」

「腎臓ね。体内の内部組織とかから判断するにこのほつかいどうは、しろがねマイマイとかほつかいウミウシみたいな、軟体進化属に近しい組成を持っていると推測できるんだ」


 ミロはかじりつくように解剖図をにらむビスコの目線までかがみこんで、指先で指し示すようにその図をなぞった。


「ここが、食道のライン。今僕らが歩いてるところだけど、これはどこかで必ず呼吸器系につながってて、そこから脳幹と接続するはずなんだ。ほとんどの生物兵器は脳幹に神経制御ピンを刺して動かすから、それを引っこ抜いてやれば、ほつかいどうを止められるはず」





「……ほんとかぁ~~っ!? だってこれ、お前の推測の図なんだろ!?」

「パンダ先生を信じなさいって。あっっ! また血球っっ!!」


 手頃な高さに血球を見つけ、ぼふん! と飛びつくミロを見て、ビスコは時折見せるこのミロの天然っぷりにためいきをついた。

 ふと、その時……

 ビスコの視線が、はるか前方から走ってくる、小さな人影を捉えた。目を細めてそれを追っていると、何やら人影の後ろから、無数の白いものがうじゃうじゃと湧いてくるのが見える。

 白いうじゃうじゃどもは、明らかに攻撃か排除の意志を持って、人影に襲い掛かっているようであった。


「ミロ……ミロ、おいっ!」

「んあ?」

「人がいるぞ! ありゃ、まだガキだ……何かに襲われてる!!」

「! 人が……こんなところに、どうして!?」

「俺が知るかよッ! とにかく助ける!」


 ビスコとミロは顔を見合わせると、それぞれが空中の血球を「ぼんっ!」と蹴って加速をつけ、駆けてくる前方の人影目掛けて跳び急いだ。


「きゃああっ!」


 哀れ人影は、地面に生えていたこけの群れに足を取られ、前方に向けて思い切り転んでしまう。その細い身体からだ目掛けて、すぐそばまで迫っていた白いものの一匹が、そのしの歯を大開きにして飛び掛かった。


「きゃああああ────っっ!!」


 ずばんっっ!!

 白いものの牙がその少女にかかる寸前、カッ飛んできたビスコの矢がその脳天を捉え、はるか向こうへその白いものをはじばした。白いものは食道の壁にぶつかり、ぼぐんっっ! と赤ヒラタケを盛大に咲かせる。

 壁に縫いめられて動きを止めたその白いものは、ふさふさとした体毛に覆われ、姿形だけなら白熊を思わせた。しかしその顔を見れば、あるべきところに両のがなく、その代わりにばかでかい口としの歯が顔全面を覆っているのがわかる。


「ああ、あ……?」


 状況を理解しかねる少女の声に、


「ボサっとするな! 立て、走れッッ!」


 ビスコのげきが飛んだ。少女はわけもわからずその声に従い、再び立ち上がってがむしゃらに走る。その髪や首筋をびゅんびゅんとかすめて、キノコ守り二人の矢が次々とひらめけば、少女は風が身体からだかすめるたびに「ひいいっ」と喉につめたような悲鳴を上げた。


「ビスコ! あのシロクマ、次々湧いてくる!」

「まずいぞ、後ろからも来る……挟み撃ちにされる!」


 キノコのさくれつに反応したのか、のない白熊たちは食道の壁の隙間からぬるりぬるりとして数を増やし、新たに少年二人を標的として襲い掛かってきた。


「やりすごそう、ビスコ! ケムリダケはどう!?」

「ケムリじゃだめだ! あいつらがねえだろ。視界を塞いでも意味ない……でも、口があるなら、それでッッ!」


 ビスコは矢筒からとつにピンク色の羽根矢を何本か抜き出し、二本を自分たちの背後へ、もう一本を少女の足先へ向けて撃ち放った。

 ぼうんっっ!!


「きゃあああっっ!?」


 キノコの発芽の勢いで跳ね跳んでくる少女を、ビスコの身体からだが受け止めた。


「よーし、もう大丈……のわああっっ!?」


 さつそうと地面に降り立つはずが、ビスコはともすると自分より重い少女の身体からだを受け止めきれずに、共に食道の床にゴロゴロと転がった。


「嫌あっ、死にたくない、死にたくないっっ! 放してぇっ!」

「落ち着け! ヨイドレダケの強いのを咲かせた。息を止めてろ、下手に吸うと、しばらく二日酔いが止まらなくなる!」

「そんなっ……ひいっっ!?」


 ビスコに抗議しようとする少女の眼前に、三体の白熊が立ちはだかり、二人に影を落とす。もはや追いつめられ、観念して固く目をつぶる少女の横に、一体の白熊が「ずうん!」と倒れ込んできた。


「ひわっっ!?」

(しっ。そいつを良く見てみろ)


 ビスコのささやきに少女が白熊を見れば、白熊はそのばかでかい口を開いたまま顔を紅潮させ、どうやら眠りこけているようであった。他の白熊達も一様にふらふらとおぼつかない動きになり、ばたん、ばたんとそこら中に倒れ込んでは、大きないびきを立てはじめる。


(胞子で酔いが回ったんだ。連中が酔っぱらってるうちに、こっからずらかるぞ)

(…………あ、あ……)

(ぼっとするな。歩けるな!?)

(…………!!)


 少女は言われるがままにこくこくとうなずいて、ビスコの後をついて、こっそりと白熊達の群れから逃げ出そうとする。でいすいした白熊達はもはや敵味方の区別が全くつかないらしく、お互いにじゃれあうようにしてもみ合って、そのまま床に倒れ込んだりしている。


(こいつらは、白毛抗体だね、ビスコ)

(はくもうこうたい?)

(体内に異物が入ってきたときに、それを排除するものだよ。やみに倒したりしないで正解だった……悪性のものじゃないし、いくらでも湧いてくるからね)


 ビスコのそばに走り寄り、医療バッグから取り出したマスクをかぶせてやるミロ。ビスコが手を引く少女にも、同じようにマスクをかぶせようとしたところで……

 ばたんっっ!

 と、突然少女が食道の床に倒れ込んでしまった。


(!? なんだ、どうしたんだ、おいッ!)

(顔が真っ赤だ。ヨイドレダケの胞子を、ちょっと吸っちゃったみたい)

(仕方ねえやつだなあ! よし、俺が背負って……)

(だめ! 体格で劣ってるから! 無茶しないで。僕が背負います)

(けぇっ!)


 少女の倒れた音で、数匹の白熊がこちらを振り向く。ミロはすばやく少女を抱きかかえて相棒と視線を交わすと、そのまま二人して音を立てずに食道の中を走り抜けていった。


 ざああああ……

 流れ落ちる清流が、たきつぼに落ちてゆくような、そういう音である。



刊行シリーズ

錆喰いビスコ10 約束の書影
錆喰いビスコ9 我の星、梵の星の書影
錆喰いビスコ8 神子煌誕!うなれ斉天大菌姫の書影
錆喰いビスコ7 瞬火剣・猫の爪の書影
錆喰いビスコ6 奇跡のファイナルカットの書影
錆喰いビスコ5 大海獣北海道、食陸すの書影
錆喰いビスコ4 業花の帝冠、花束の剣の書影
錆喰いビスコ3 都市生命体「東京」の書影
錆喰いビスコ2 血迫!超仙力ケルシンハの書影
錆喰いビスコの書影