「俺はあのシロクマどもより、こいつのが不気味だぜ。どうしてこんなバケモンの腹ン中に女のガキがいる? しかも一人で!」
「そんなの僕だってわかんないよ。僕らみたいに、吞み込まれたんじゃないのかな?」
「華蘇県民の格好か、これが!? この肌色だって、どう見たって北方人だぞ」
年若い少年のような囁き声が、少女の耳をくすぐる。
肌に触れる涼し気な風と、時折飛んでくる飛沫の冷たさに少女は「ううん」と唸り、ほどなくして、その瞳をゆっくりと見開いた。
「あっ、わかったぞ。いいかミロ、こいつは妖怪だ。絵本で見たことがある……肝抜き童つってな、ちっちゃいガキに化けて、おんぶしたやつの心臓を」
「しっ! ビスコ。気が付いたみたい!」
「…………。」
「おい、大丈夫かよ。酔ってねえか? 水飲むか?」
「きゃあああ───っっ! デヴィカ───っっ!!」
少女の上げる盛大な悲鳴にビスコは吹っ飛ばされてゴロゴロと転がり、わけもわからず起き上がって目を白黒させた。
「で、デヴィカ?」
「珍しい言葉だ、古代カラフト語だよ。たしか、小鬼? のこと……だったと思う」
「小鬼い? ……なんだとお、コラッ!」ミロから翻訳を受けて、ビスコの幼い顔が真っ赤に燃え上がる。「命の恩人に向かって、小鬼呼ばわりがあるかよ!? せめて鬼と言えっ」
「いや、殺さないで……! 里に帰りたいっ。チャイカを、ペクティカまで帰してえっ!」
「大丈夫、落ち着いて……誰も君を、傷つけたりなんてしない。さあ、水を飲んで」
ミロがパニックになりかける少女を覗き込み、その星のような瞳で見つめれば、不思議と少女は荒い息を落ち着け、差し出された水の瓶を知らず受け取る。
「ここは浄葉帯っていう、軟体属が持つ特有の器官。飲みこんだ水を、きれいに浄化するところなんだ。その水は栄養が溶け出してるし、冷たくて美味しいよ」
少女は水を覗き込んで少し不安そうにミロを見上げたが、にこっ! と笑うパンダ先生に警戒心を解かれて、一口、二口……やがて嗄れきった喉を潤すように、ごくごくごくっ! と一息にそれを飲み干した。
「わ。すごい飲みっぷり! ビスコーっ、新しいの汲んできて!」
「パシるなーっ! くそーっ」
文句を垂れながらも、存外すなおに肉の滝つぼへ水を汲みにいくビスコと、それを見て微笑むミロを交互に見つめながら、少女は不思議そうに口を開いた。
「あ、あなたたち、誰なの……紅菱じゃ、ない。かといって、里のスポアコでもない……。ひょっとして、サウシャカ人なの?」
「さ、サウシャカ……?」
「北海道の外からやってきたのか、聞いているの!」
(えええ~~っ……カラフト語の授業なんて、まともに聞いてなかったよお……!)
ミロは少女から次々と出る古代語になんとか必死でついていきながら、苦心して少女の安心につとめ、言葉を選んだ。
「そ、そう! 僕らはサウシャカ、南方人なんだ。僕は忌浜出身の元医者で、猫柳ミロ。パンダ先生って呼ばれてる!」
「……ねこやなぎ、ミロ? あのデヴィカは?」
「あの狂暴なのは、赤星ビスコ。花の呪いで子供にされちゃったけど、本当は」
「赤星、ビスコですって……!」
少女は急に血相を変えて、おそろしい形相でミロに詰め寄った。
「噓を言わないで!! 赤星ビスコと猫柳ミロは、サウシャカの中では最強のスポアコだって聞いてる。あんなちっちゃい子供のはずがないわ。あなた、やっぱりチャイカを騙してるのね。本当は紅菱の手先で、チャイカを連れ戻しに来たんでしょう!!」
「あわわっ、あの、違っ、そうじゃなくて……!」
「落ち着いたり怒ったり、忙しいやつだなー!」
詰め寄られて慌てるミロと少女の間に、湿った肉の床を跳ね跳んでビスコが割り込んだ。ビスコが、「ん」と水の瓶を差し出すと、少女は「ぷい」と横を向いてしまう。ビスコが肩をすくめて自分でその水を飲もうとすると、少女の手がすかさず伸びてビスコから水の瓶をひったくり、一瞬でごくごくと飲み干してしまった。
「何だこいつ!! 助けて損した。ミロ、こんな奴置いてさっさと行こう!!」
「ねえ、きみ。……えっと、何て呼んだらいいかな?」
怒りに唸るビスコの頭をがっしり押さえて、ミロが笑顔で少女に尋ねる。少女は少女で不審そうな表情は崩さないものの、この二人に邪悪なものがないことは伝わっているらしく、しぶしぶ自分の名前を二人に明かした。
「……『霊雹の手』カビラカンの子、チャイカ……みんな、単にチャイカって呼ぶわ」
チャイカはそう言って、自分を守るように身体をちぢこめた。
ビスコはそこで改めて、チャイカの姿形をまじまじと見る。歳の頃で言えば、ナッツやプラムと同じくらいであろうか? 細く鍛え抜かれた本州人とは毛色が違い、子供ながらにグラマーな体つきをしている。セミロングの髪は眩い金色で、白い肌とのコントラストが美しい。身体は厚い毛皮のコートやブーツで覆っており、それらにはなかなか見栄えのする意匠が施されていて、ビスコの所感からすれば「雪国の里のいいとこの娘」というような外見であった。
「……ちょっとっ! じろじろ見ないで。キャビ! ベデレロ!」
「きゃび……べでれろ……?」
「えーと。どすけべ、ひきょうもの、だって」
「だっ!! 誰がてめえみたいな、ガキの身体なんか!」
「ガキはあんたじゃないっっ!! ばかっ、エロガキッ!!」
「わ──っ、ちょっとちょっと! 二人とも、喧嘩っぱやすぎ!!」
ミロは二人の間に割って入って、もう一度チャイカの顔を覗き込む。
「チャイカ。とりあえずさっきの戦いで、怪我がなかったか知りたい。僕はお医者さんだから、診てあげられるよ。どこか、痛いところはない?」
「怪我……。あっ!」
チャイカはミロの言葉に、突然思い当たったようにコートをはだけると、自分の肩の肌を見て、「あ……あああっ!」と恐怖に戦慄いた。
チャイカの美しい白い肩には、わずかではあるがツタが這い、その上に、赤く咲き誇る寒椿の花をつけていたのである。
「これは……!」
「花だ。シシの寒椿だ!」
少年二人はその有様に思わず息を吞み、チャイカ当人はすっかり取り乱したように、涙に濡れてしくしくと泣き出した。
「逃げてくるときに、紅菱の短剣に斬りつけられたの。花に取りつかれたら、じきに紅菱のスレヴィになってしまう……いや。いやああ。チャイカ、そんなの嫌」
「チャイカ、落ち着いて! きっと、治す方法が……」
「お願い、チャイカを里までつれていって!!」
チャイカは警戒心すら忘れ、傍らのミロに両腕でひしと抱き着いた。その身体は花に蝕まれたことへの恐怖と心細さで、かたかたと震えている。
「『霊雹の手』であるお父様の力があれば、紅菱の花力を消し去れるわ。この際、あなたたちがサウシャカのスポアコでもかまわない。はやく里へ連れてって。チャイカを治して」
「チャイカ……」
震えるチャイカの身体を優しく抱きしめるミロを見て、ビスコが口を挟む。
「いつもの人助け癖が出たぞー。おい、寄り道してる暇があるのか? 俺たちはさっさと脳に行って、このデカブツを止めなきゃいけねえんだろ?」
「駄目!! 北海道のブレティカはもう駄目よ、脳幹も海馬も、すごい数のツタや花の根に、支配されてしまってた。北海道の止め方は他にもあるはずだけど、それはお父様しか知らないわ……ねえ、チャイカ、こんな遠くまで来たことない、ここがどこだかわからないの。チャイカをペクティカまで帰してっ! 父様に会いたいっ!」
「ペクティカ……は、たしか、膵臓のことだったはずだ。膵臓に、きみの部族の里があるの? ねえチャイカ、チャイカってば!」
すっかりおびえ切ってミロにすがりつき、すすり泣くだけになってしまったチャイカを見て、少年たちは困り切ったように顔を見合わせた。