「黒革フィルムってのは、あいつの映画会社のこと。よくこうやって特番やるんだよね。県庁をまるごと撮影スタジオにしたり、『思想浄化プログラム』とかいってむりやり映画ばっかり見せ続けたり、いろいろやりたい放題」
「え、映画を見せるだぁ!?」
ビスコが驚いて、思わずチロルに詰め寄る。
「じゃあ、忌浜の住民どもが見せられてた、洗脳映像っていうのは……!」
「映画だよ、映画。今日はランボー、ターミネーター2、ローマの休日……とにかく連日連夜、あいつのセレクションを強制的に見せられるわけ」
驚くやら呆れるやらの視線を左右から受け、チロルは頰杖をついて続ける。
「現代人に芸術的感性を育てる、って黒革は言ってるけど。本当は何がやりたいんだか……」
「待って……ビスコ、あれってっ!!」
チロルの解説に割り込んで、ミロが叫ぶ。画面を見れば、そこには黒革の側に毅然と控える、鉄棍を持った黒髪の女が映し出されていた。
その美しく鍛え抜かれた黒豹のような長身は、ショーガールめいたきわどいボンデージの衣装に包まれている。ぎらりと光る鉄棍、表情が読めないよう目深に被らされた自警団の鉢金と合わせて、なんとも危険な艶美さを醸し出していた。
「「パウーっっ!?」」
「あ~~。そうそう。あいつ、ADをパウーにやらせてんの。アシスタントっていうか、身辺警護っていうか……」
「な、なんてカッコさせられてるんだっっ! 黒革……許せない!!」
「……そうかあ? 普段とそこまで変わってねえと思うが……」
「ビスコもビスコで、もっと反応してあげなよ!! 失礼なっ!!」
やかましく言い争う二人に、割り込むように。
『え──忌浜県民、いや、日本国民の諸君。大変お待たせした……構想十七年、準備期間四年に及ぶ本作〈ラスト・イーター〉の制作が、本日から開始となる』
黒革のもったいぶった口上が、三人の視線を再びテレビに引き戻す。
『おめでとうございます、黒革知事。県民も待ちわびて……』
『監督と呼べ。場所をわきまえろ、バカ』
『失礼、黒革監督』
笑顔から一瞬で不機嫌になる黒革に、司会が恐縮する。
『さて今作では、徹底した『本物』にこだわった撮影になるとお伺いしております。本物、とは何か。その真意を伺ってもよろしいでしょうか?』
『ふふ、良い質問だ。……えーと? 何て言うんだっけ……おい、ちょっと……』
黒革は虚空を睨んで数秒固まり、側にいるパウーに小声で呼び掛けた。パウーはなにやら台本らしき紙を黒革に見せ、耳元で何事かつぶやく。黒革は小刻みに頷いてそれを聞き終え、悠然と白い太腿を組み替えて咳払いをひとつした。
『古代日本の伝説的映画監督、黒澤明は……とある映画、主人公すれすれに矢が突き立つというシーンで『本物』のリアクションが欲しいがために、実際に矢を放ってみせたというエピソードを持っている。……妥協なく『本物』を追い続けるその姿勢こそ、彼を伝説的存在に押し上げた一因であることは間違いない』
『ははあ。なるほど』
『しかし、オレは考えた……一瞬の『本物』が名作を生んだのならば、一本の映画まるまる『本物』を撮ったとき、はたしてどんな傑作が生まれてしまうのか?』
黒革はそう言って少し間を置き、『くくっ』と低い声で笑った。その狂的な眼光に、司会のイミーくんも思わず気圧されてしまう。
『今作〈ラスト・イーター〉は、最初の一瞬から最後まですべてが『本物』の大スペクタクル・ムービーだ。舞台はこの日本全域にまたがる可能性があるため、ロケ地としてあらかじめ、日本全域をオレが占領しておく必要があった。また、国民全員にも徹底した芸術教育を施し、いつカメラが向いてもいいよう、エキストラとしての素養を養っている』
『ロケ地として、占領……? 国民がエキストラ!?』
司会のイミーくんならびに、会場にひしめく記者達が一斉にどよめく。
『で、では、監督……これまで一年間の忌浜軍略のすべては。民衆への教育のすべては、この映画制作のためであったと……そ、そう、仰られるのですか!?』
『そうだ?』
『『 え、えええっっ!? 』』
「「 え、えええっっ!? 」」
「アホだこいつ」
大混乱になる発表会会場をテレビ越しに見ながら、ビスコがぽつりと呟いた。一方のミロとチロルのリアクションは、テレビ越しの記者達と完全に重なっている。
『それで、今作の目玉だが、いよいよ……おい、記者連中がうるさいなあ。AD!』
黒革が忌々しそうに言うと、側近のパウーが頷いて前方に進み出で、
がうんっっ!!
と、鉄棍を会場に振り抜く。
びりびりびり! と震える空気、その風圧に気圧されて、会場は一瞬で大人しくなった。
『そうだバカども。騒ぐ場所が違う……えー、そう。今回の制作に踏み切ったのは、主演俳優との交渉がまとまったからだ。皆も気になっているだろう、この世紀の大作映画を背負って立つスーパー・アクターが果たして誰か……発表しよう!』
ドラムロールが鳴り響き、会場にゴージャスな布で覆われたボードのようなものが運ばれてくる。黒革がぱちりと指を鳴らすと同時に、がうん、がうんっ! とパウーの鉄棍が閃いて、ボードを覆う布を十文字に斬り飛ばした。
布の下から現れたのは……
燃え立つような赤い髪をなびかせ、眼光鋭く睨む少年の勇姿。
等身大でプリントされた写真の横に、
〈主演 赤星ビスコ役 赤星ビスコ〉
と、仰々しい筆文字で記してある。
「……………何、だああ───ッッ!?」
その有様を見て、さすがにビスコも声を抑えきれず、素っ頓狂な叫び声を上げた。
『黒澤監督が、名優三船敏郎を抜擢した要因……それは「良い眼をしていたから」だそうだ。この目玉を見てみろ、素晴らしい輝きだと思うだろう? とにかくこの赤星はとうとう、オレの熱烈なラブコールに応えてすでに現地入りし……』
得意げに喋る黒革はそこで一度言葉を切り、ぎざっ歯を覗かせてにやりと笑った。
『いま、忌浜県内にいる』
「「!!」」
それまで驚くやら呆然とするやら忙しかった少年たちは、その短い言葉に電撃的に反応し、表情を引き締める。
『撮影は早ければ今晩から始まる、制作状況は逐一お知らせするため、県民の皆も楽しみに待っていてくれたまえ』
黒革がそう言って立ち上がると、嵐のようなカメラフラッシュが壇上に向けて点滅する。黒革は機嫌よくそれに手を振り返し、無表情のパウーを肘で小突くと、自警団長も機械的にカメラに手を振り返した。
『では、本日はこれまでといたします。監督、ありがとうございま──』
『ああ、それと。これは独り言だがァ』
場を締めようとする司会の言葉を遮って、黒革が愉快そうに話し出す。
『あの化蟹を助けたいんなら、深夜に忍び込むんじゃ間に合わないかもなァ……いまさっき、兵器工場に指示を出したところだ。迅速な行動をおすすめする』
カメラに寄り、サングラスの奥から漆黒の瞳を光らせる。
『また、すぐに会う。楽しもうぜ、ヒーロー』
黒革の細指がカメラのレンズを弾くと、レンズはびしりとひび割れ……そして画面はそのまま砂嵐になり、雑音を垂れ流すだけになった。