ばしゅんっ、と夜を引き裂いて放たれた矢が、閃光のようにきらめいて黒革へ襲いかかる。あわや、その鏃が黒革の鼻先に突き刺さる、その直前──
がうんっ!!
半月の軌道で振り抜かれた鉄棍が、横合いから矢を弾き飛ばし、黒革を守る。
弾かれたキノコ矢は工業区の一角に『ばうんっ!』と咲き誇り、夜の闇にほのかに輝く赤ヒラタケを咲き誇らせた。
『ヒュ──ッ。何度見ても肝の冷える矢だ。……おい、次はもっと早く助けろ』
「はい。監督殿」
「ビスコ! あれは……!」
ミロの視線の先を、同じくビスコも見ている。そこには、ゴンドラの縁に立ち、艶やかな黒髪をはためかせる、二人にとっては見知った姿がある。
「赤星ビスコ! ならびに、猫柳ミロ!」
パウーは鉄棍の先端を走るアクタガワへ向け、凜と美しい声を放った。
「監督殿に弓引く無礼千万な行い、自警団長パウーが捨て置かぬ。此度のフィルムの主役ゆえその命は留めておくが、その矢がこのダカラビアに届くことはないと知れ」
「なああにいい……!」
「我が亭主なら聞き分けよ。主役抜擢の栄誉に素直にあずかり、撮影に全力で臨むのだ」
「てめええ、家庭と仕事と、どっちが大事なんだァッ!!」
(ビスコが言っていい台詞じゃないでしょ~~)
などと思いつつ、ミロはアクタガワを巧みに操って夜の工業区を疾駆し、新潟へ続く忌浜北西門へと近付きつつあった。ただ今回の逃走劇は、黒革側が一向に攻撃を仕掛けてこないという点で少年たちに不気味さを残す。
『ようし。シーン1、赤星ビスコ、忌浜を脱出せり、と……完璧に撮れた。もうぼちぼちいいだろう、次の準備に移る』
黒革は手元の台本を見つつ、ボールペンをがじがじ齧りながら呟いて、あらたまってビスコたちへ呼び掛けた。
『次の撮影は新潟県の離島、古尾鷲島で行う。我々撮影班は先に行って準備があるから、演者のきみらは後入りでたのむ』
「バカかお前は!? てめえの言う通りに、ノコノコ出向くわけねえだろ!」
『それが来るんだよお前ってやつは。古尾鷲島に、何があるか知らんのか?』
黒革の言葉に、ミロがはっと顔を上げる。
「スポアコの皆だ……古尾鷲島には、北のスポアコ達がまとめて捕まってるんだ! チャイカも、カビラカン族長も、そこに居るはずだよ!」
『猫柳がいてくれてよかったよ、赤星一人じゃバカすぎて話が進まん……とにかく、現時刻からきっかり二日後に、新型ガネーシャ砲で古尾鷲島を砲撃する。新型砲は凄いぞお、人っ子一人どころか、草の一本も残らないだろうな』
「何だと……!?」
『誰かが助けにいってあげないと、希少民族スポアコは全滅してしまう……なんとも悲しい話じゃないか。どこにもいないのか!? 彼らを救い出せるヒーローは!?』
ぎり、と奥歯を嚙み締め、翡翠の瞳を怒りに燃やすビスコの眼光を受けて、黒革のサングラスがきらりときらめいた。ようやく捕まえた、と言わんばかりにその眼を外さず、黒革は恐怖と興奮に紅潮した自らの身体を抱きしめた。
『……その眼だ。その眼が欲しいんだ、赤星……。遊びじゃないぜ。お前の本気のためなら、何だってする……オレがどういう奴だったか、思い出してくれたか?』
「この野郎……!」
『もう野郎じゃない。レディ、と呼んでくれ……では、また会おう』
黒革がぱちりと指を鳴らすと、ダカラビアはその巨大な五芒星の身体を回転させ、すさまじい暴風を辺りにまき散らす。外套をはためかせながら二人は腕で目を守り、新潟方向へ飛び去ってゆくダカラビアをとうとう見送りきってしまった。
「……撮影準備のために、日本全土を占領した……」
ミロの脳裏に、会見で喋った黒革の台詞がリフレインする。
(あの黒革の様子。『映画のために』というのは存外、本当なのか……?)
女となった黒革に、以前とは違う吹っ切れたものを感じて、ミロはアクタガワの上でしばし物思いに耽る。
「ミロ。モタモタしてられねえ、その離島に急ごう」
「スポアコの皆を、助けに行くんだね?」
「黒革のやつ、ふざけてるようだが……どこかで、本気だ。俺から眼を逸らさなかった。間違いなく、男の時より手強い」
ミロは頷き返して手綱を握り……ふと何かに気が付いたように、相棒を振り返った。
「ビスコ。二手に分かれて、助けを呼ぶのはどう?」
「助けを?」
「僕らにはあの人がいる! きっと、今回だって……」
「だめだ。それ以上言うな、ミロ」
ビスコはミロの言葉に少し眼を細めて、相棒を振り返らずに、続ける。
「最期まで息子の尻拭いじゃ、浮かばれない。俺たちだけでやるんだ。あの弓に育てられた、俺たちだけで……冥途の土産を渡す、これが最期の機会だ」
ミロは、ひとつひとつ呟くような相棒の言葉に、やがてゆっくりと頷き、その傷跡だらけの手に自分の手を添えてやった。
「わかった。行ける?」
「俺は誰だよォ」
「ようし、行くよ、アクタガワっ!!」
少年たちは表情にいつもの切れ味を取り戻し、忌浜の夜の漆黒の中を、ダカラビアを追って走り抜けていった。