「な───────にが!」
講談小屋の扉を、ばん! と乱暴に開けて、
「忌浜幕府に『猫の手も借りたい』……だ!! おあとがよろしくてたまるか。私が普段、どんなに外交に腐心しているか知らないで!!」
忌浜県知事その人が憤然と飛び出してきた。
話のオチに、どうやら気分を害したようである……とはいえこれは噺家も災難で、まさか客席に知事が座っているとは思うまい。
猫柳パウー。
美しく、可憐な佇まいである。
サイドアップに挿された芭猿のかんざしは、きらりと白く陽光に光り、艶やかな黒髪の魅力をより一層際立たせている。
激動の世の中、普段は公務にかかりきりの彼女も、今日ばかりはひととき解き放たれ──
かっちりしたスーツから筒蛇柄の浴衣に着替え、猫招天の祭りを大いに、かつ平穏に楽しむ心算であった。
ただ、それも……
ばんばんばんばんっ! と猛り狂ったように打ち鳴らす水ヨーヨーの爆音が示すとおり、台無しであった。
周囲の民衆も思わず、
「なんだなんだ」
「空襲か?」
怯え混じりに振り返る始末である。
「待てまてまてっ! パウー! ああっ、居た!」
やや遅れて小屋を出たビスコは、パウーの剣幕にすっかり怯んでしまった受付に後払いの料金を払い、ぷんぷんと怒り散らして進んでゆくパウーへ慌てて追いついた。
「出たないつもの発作が。帰ることないだろ!! 話はこっから本番なんだぞ」
「だって、ひどいではないか! せっかく二人で猫将軍の英雄譚を楽しんでいたのに……いきなり現実に引き戻されてしまったぞ」
「そう言われてもなー。猫将軍のヨーカンの話は、まつりごとをいじるとこまででセットなんだよ。『猫の手も借りたい』まで言って、はじめてオチだからな」
「むうう……!?」
綺麗にまとめたパウーの髪がわずかにほつれ、怒りで黒蛇のように躍り出す。
「それでは、あの話のたびに、私がバカにされているということではないか!」
「あ、いや、そういう、」
「今後忌浜で猫の講談をうつ者は、所得税を二割増しにする」
(恐怖政治じゃん)
「さあ! もういいさ。つまらない話はやめだ!」
猫柳の血に伝わる、驚くべき切り替えの早さ。
パウーは鉄棍のかわりにヒトデ飴をくるくると回して、びしっ! と亭主の眼前へ突き付けた。
「今日は忌浜県を挙げての猫鎮祭。夫婦水入らずで楽しもうではないか、亭主殿!」
(……けっこうおもしろい話なんだけどなあ)
瞬火剣・羊羹と、邪悪の仙猫・甘草の死闘の話は、その勇ましさからキノコ守りにも馴染みが深く、子供向けの絵本などにもなっている。
猫の侍が戦うという荒唐無稽な物語でありながら、ビスコをして、
(まるで、本当にあったことみたいな……)
不思議なリアリティを持つ、異色の昔語りであると言っていいだろう。
そのお気に入りの話が妻の機嫌を損ねてしまったのはいささか残念な話ではあった。ビスコはぽりぽりと刺青を搔いて講談小屋を振り返り……直後に、祭囃子の響く唐草大通りへ向けて、嫁の怪力で引っ張られていった。
『 本日は 忌 浜 猫 鎮 祭 』
『人間の友を 祭りましょう』
『祭具 貴金属 20%~70%OFF!』
晴天の空にいくつもバルーンが浮き、宣伝文句を風に揺らしている。
猫の耳をイグアナに着けた騎兵たちが、はしゃぐ子供たちに小判型の飴を配っている。巡業の僧侶たちは露店を物珍し気に見て回り、祭具屋はかきいれどきとばかりにそこらじゅうで呼び込みに大忙しだ。
『猫鎮祭』。
かつて東京爆災より以前、人間は友として「猫」を飼い、共に暮らした。街の片隅に猫を見ることも、ごく日常的なことだったという。
ところが、錆び風が日本に吹き荒れて以降──
人間よりも錆に敏感であった「猫」たちは、一部の強靭に進化した種を除いて、現代に生き残ることはなかった。少なくとも「イエネコ」と呼ばれる存在はほぼ絶滅したと言っていいだろう。
その後、イエネコ達は神格化され、様々な宗派で信仰された。神武十八天が一「猫招天」もまた、自由・金運の神として、所謂招き猫の姿で描かれる。
猫鎮祭は、そうした猫たちへの鎮魂を目的とした神事であり、先の講談師が語った「瞬火剣・羊羹」の伝説も、猫を忘れぬための物語である。
この忌浜猫鎮祭もまた、同様の行事であるのだが……
「チロルからの提言もあり、忌浜の猫鎮祭はより娯楽色を濃くしてな。県を挙げて大々的にやろうという話になったのだ」
パウーが得意げに言う。筒蛇柄の浴衣は、袖のところが筒蛇の頭になっており、腕を引くとちょうど亭主の腕に咬み付くようだ。
「民衆は勝手なもので、新知事は娯楽が少ない! などと評判が立っていたから、丁度いい。近隣県からの来客も多く、経済効果も覿面なのだ」
「ふ~~ん……」
「…………。」
どこか遠くを見るような亭主の目線に少し眉をひそめたパウーは、なんとか自分を励まして会話を続ける。
「そうそう! それよりも。喜んでくれ、近々京都政府から、おまえの赦免状が下りる予定なのだ。これは前例のないことなのだぞ!」
「しゃめんじょう?」
「指名手配の 完 全 解 除 だ」
勿体つけて、これでどうだという風に、パウーがビスコの双眸を覗き込む。
「これまでは忌浜から出られず、新婚旅行も満足にできなかったからな。全国どこでも行ってよくなる。国から晴れて自由を認められるのだ!」
(……自由を、認められる??)
「苦労したのだぞ。嬉しかろう、亭主殿!」
「う~ん??」
「薄いのだ、リアクションがっっ!!」
パウーが弾いた乾坤のデコピンが伴侶の額を捉え、赤い髪を風圧でなびかせた。大きく仰け反ったビスコは「いいぃッ」と唸りながら額をさすり、すっかり怒ってしまった妻を慌てて追い掛けていく。
この、とおり。
今のビスコに、死地に輝く矢の鋭さはない。どこかうつろな瞳で祭りを眺めるばかりで、双眸の翡翠の輝きも雲がかかったようである。
一言で言い表すならば……
あるいはそれは『退屈』であっただろうか?
穏やかで静かなはずのビスコの表情は、それに振り返るパウーの心を、
(…………っ。)
真綿のような不安でぎゅっと締め付ける。
思いこめば一途な女、伴侶の幸せのためにと身を粉にして尽くしているのだが。どうにもやることなすこと、風のようなビスコの心を捕まえられない。
ふと眼を離せば、
(もうそこに、居ないのでは)
そんな気さえして……
とにかくビスコを繫ぎ止めようと、パウーも必死なのだ。
「おい、なにがどうして気に障ったんだよ! お前最近、怒ってばっかだぞ」
「……おまえが喜ばねば、なすことなにもかも意味がない。どうすれば喜んでくれるのだ?」
「そう言われてもなあ」
「遠慮なく言え、私は知事だぞ! その気になればなんだって変えてやれるのだ。例えばこの祭りの、どこが気に喰わん?」
「……う~~ん……?」
ビスコも猫鎮祭は嫌いではない。
ただ、一般の都市人とキノコ守りとでは、神事に対する捉え方がぜんぜん違う。キノコ守りにとって祭りというのはもっとストイックな存在なのだ。
猫招天は束縛を撥ねのける狩りの神として身近に信仰されていたもの。誰かが大切な獲物を仕留めた時に、自然と周囲のキノコ守りが集まって、祭りの形になる……そういう、祈りが高まったときに自主的に神と向き合うという姿勢が、ビスコにとってはごく当たり前の、祭りの在り方なのだ。
年にこの日と決めて行うというのはそもそも祭りの考え方が違うし、
ましてや目の前の、この……
わたあめとか、チョコバナナとかイグアナフランクとかそういう感じではない。