錆喰いビスコ7 瞬火剣・猫の爪

1 ③

 ***


『 本日は 忌 浜 猫 鎮 祭 』

 の、

 バルーンが引きずり降ろされ……

 何か鋭利な爪のようなモノで、ずたずたにされている。

 静まり返っている。

 先ほどまでのにぎわいはどこへやらだ。各種露店は店主もおらず、商品や小銭入れはそこらに散乱し、自警団のイグアナは騎乗者を失って、所在なさげにそこらをうろつくばかりだ。


「くそっ、」


 門番すらせたいみはま北門をくぐって、


「遅かった! いみはまもやられちゃったみたい」


 背中にバックパックを背負ったクラゲ髪の少女が、ぜえぜえと息を荒らげた。

 商人チロル、びようちんさいに乗じて商売に現れたかと思いきや、これはどうやらそういうわけではない。というのも、その身体からだありさまを見れば瞭然であった。

 チロルの瞳孔は三日月のように細くなり、その上、なにやら獣の耳のようなものが、髪をかきわけて生えてきている。わいらしいが口からは明らかに牙とおぼしき歯が生えてきており、言うなればこれはまさしく


『猫人』


 に変異したようなありさまであった。


「おじいちゃんの言った通りだ。はやく、ミロに伝えないと……」


 チロルが獣性に侵されそうになる思考を必死に回す、それへ、


(ひゅんひゅん)


 と羽音を立てて、ホネヤンマが物珍しそうに近寄ってきた。何珍しくもないトンボの一匹、無視してパンダ医院へ駆け出すチロル。

 の、はずが、


「に゛ゃっ!!」


 チロルの鋭い爪がホネヤンマを襲う! 間一髪でそれをかわしたホネヤンマを見上げながら、チロルは喉の奥で「ぐるぐるぐる」とうなり、


「はッ」と我に返る。


「な、なにしてんだあたしはっ! 行くんだよ、ミロんとこへ!」


 ぎぎぎぎ、と猫の本能から己を引きはがし、街中へ視線を向ける。そして、街の窓々からのぞく妖しく光る視線に、ぎょっ、とチロルは再び固まった。


「にゃご」

「にゃがが」

「にゃご───っ」

「あわわわ……ま、まずいっ!」


 ばりいん! とそこらじゅうの窓を突き破って、半猫と化したいみはま県民たちが、

 チロル……もとい、

 チロルの周りを飛ぶホネヤンマ目掛けて飛びかかってきた。子供、商人、自警団員とそれこそ見境なく襲い掛かってくる半猫人たちを、しなやかな半獣の身体からだでするりとかわし、チロルは間一髪でそこから跳び抜けた。


「「「にゃばば───っ」」」

「やべえよマジで。はよせんと、あたしもああなる!」


 つちぼこりをあげ、球のようになってう半猫たちをしりに、チロルは理性を取り戻してパンダ医院へ跳び駆けていった。


ねこやなぎ先生! また急患です!」

「こっちへ!」


 担架が運ばれてくる。

 寝台の上に、腕、腰、脚と念入りに固定されているのは、生まれはカルベロの漁師、現いみはま自警団のエース・ナッツその人であった。

 流血はなく、らしいは見当たらないが……

 その様子は異様である。


「ナッツ! そんな……!」

「にゃががァ──ッッ!」


 トレードマークのサメマスクは、自ら食い千切ってしまったようだ。

 歯茎をしにしてえかかるナッツの口に、ベルトを強引にませれば、ナッツは抗議するように「にゃがあおお」と首を振りたくった。


(みんなと同じ症状だ。まさか、ナッツまでが……!)


 パンダあざを伝う汗を拭いながら……

 久々の医師業務に追われるミロは、今や大病院になった『パンダ医院』院長として、現場の医師たちに次々に指示を飛ばす。


「これじゃ感染が広がる一方だ。びようちんさいの中止命令はまだ出ないの? パウーに伝えた!?」

「それが。本日いっぱいは、いかなる案件でも声をかけるなと、第一級命令が……」

「デートだな。職権濫用だよっ!」


 ミロは頭を振って気を取り直すと、若い医師たちに呼び掛けた。


「皆さん集まって! おおむね問題症状の特定ができました。この患者さんで説明します」

「にゃががーっ!」

「まず、このを見て」


 続々と集まる医師たちに向け、ナッツのを開いて見せる。その眼光は、まるでどうもうな獣のようにぎらりと輝き、医師たちを委縮させた。


「明るいところで、患者さんの瞳孔はこうやって針のように細くなります。暗いところでは大きく開き、光を吸収する能力が非常に高くなるようです」

「感染から間もないはずよ」

「すごいスピードの身体変異だ」

「もう一つ特徴的なのは、この、歯の変化」


 油断すると食い千切られかねない。ミロが金属のかんでもって半ば強引にナッツの口を開くと、そのれいだった歯並びは、いまや狩猟動物のそれへと変化しつつあった。


「個人差はありますが、このように鋭利になり……彼の犬歯に至っては、およそ牙と言って差し支えないほど発達しています」

(まるで、これは……!)


 ミロは自分で説明しながら、ナッツの身体からだの変化に戦慄わなないた。


(「猫」だ。この病気は猫科の動物に、人間をどんどん寄せていくんだ!)

「先生、病名を!」

「仮にですが『猫病』としましょう」


 安易だが通りがいい。ミロはナッツのよだれを拭いてやった後、並んだ調ちようざいのスイッチを次々に立ち上げていく。


「院内すべての調ちようざいを『こうびようアンプル』に切り替えてください。素材はサボテンダケ・ヒソミタケ・エノキ・ヒラチナミン。麻酔効果にラステインも」

「「はい、先生!」」


 医師たちはナッツの担架を押してばたばたと持ち場に戻り、この緊急事態に備えて一斉に調剤に入った。


(いっときはこれでしのげる。とはいえ……!)


 一人の院長室、ミロは考え込む。

 患者を落ち着けることはできてもこれは時間稼ぎであり、根本解決には至らない。それどころかこの『猫病』は、具体的な感染経路がいまだ明らかになっていないのだ。


(原因をつきとめないと。このままじゃ日本中が猫に……)

「パンダ医院! ここだ、間に合った!」

「きゃっ! ちょっと、困ります!」


 考え事をしているミロの耳に、ばたばたと騒がしい音が聞こえてくる。


「院長はお忙しいんです、今はお取次ぎできません……わぁッ」

「あたしは末期患者だぞ──っ! どけこら──っ!!」


 何事かとドアに近づくミロの眼前に、

 ばんっっ!!


「わあっっ!?」


 ドアを蹴り開けて、転がるようにピンクのくらげ髪が飛び込んできた。


「ミロっっ!!」


 ミロと顔を合わせた瞬間、くらげ少女は喜びに猫耳をばたばたと扇がせ、まるで獣がい掛かるようにその白い喉元に跳びつくと、


「にゃ──っっ。会いたかった!」

「ち、チロル!! 一体どうして……あっ、ちょっ、痛いよ、痛い!」

「ふぎゃ────っっ!!」


 そのままパンダ医師の細い身体からだを押し倒して、その首元に何度も甘く牙を立てた。夢中でじゃれつくチロルの爪がミロの白衣にかかり、無遠慮にびりびりと引き裂いていく。


「これは。猫病だ……!」


 チロルに不釣り合いな獣のりよりよくを感じたミロは、


(まずは落ち着かせなきゃ)


 その狩猟本能を刺激しないよう全身を脱力させ、優しく猫耳の間をでてやる。


「……よーしよし。猫になるの怖かったね。もう平気だよ、チロル……」

「ふ───っ。ふ───っ!」

(めちゃめちゃ興奮してる。まずいかも)


 すでにチロルの爪はミロの襟元を裂き、鎖骨のあたりを舌でめ続けている。肉と汗の味が興奮をあおり続ければ、獣性が振り切れてみかかってくる恐れもあった。

 ミロは瞬時に判断を切り替え、


「チロル」

「ふぎゅ?」


 チロルに見せつけるように。

 白い首に自分の爪をいこませ、つ、と肉を裂いて見せる。真っ赤な鮮血が喉元にわずかにこぼれれば、生命の香りが強烈にチロルの嗅覚に訴えた。


「汗より、血のほうがしいよ」

「っ……!」


 血を見つめてぎらぎらと輝く、金色のそうぼう


「おいで?」


 その声が、チロルの最後の理性をねじ切った。しなやかな獣の身体からだを躍動させ、ミロの喉にかぶりついたチロルは、鼻が赤く染まるのにもかまわず、無我夢中でミロからこぼれる生命の鮮血をしゃぶり続ける。


(隙っ!)


 ミロはすばやく腰のアンプルサックからこうびようアンプルを抜き放つと、血に夢中なチロルの身体からだを抱き留め、そのうなじに注射した。


「はぎゅっっ!?」



刊行シリーズ

錆喰いビスコ10 約束の書影
錆喰いビスコ9 我の星、梵の星の書影
錆喰いビスコ8 神子煌誕!うなれ斉天大菌姫の書影
錆喰いビスコ7 瞬火剣・猫の爪の書影
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錆喰いビスコ5 大海獣北海道、食陸すの書影
錆喰いビスコ4 業花の帝冠、花束の剣の書影
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