錆喰いビスコ7 瞬火剣・猫の爪

1 ④

 キノコ守りが獣を仕留める動き、その精密動作においてミロの右に出る者はない。チロルは注がれる薬液にぶるりと震えながら、「あぅぅぃぃ……!」と熱っぽい吐息を漏らす。


「動かないで。すぐ効くから、リラックスして……」

「うぎゅいいい……」


 チロルは即効性のアンプルで数分かからず理性を取り戻し、「んいい──っ!」と一声うなってミロの身体からだからなんとか自分を引きはがした。


「はあっ、はあっ! み、ミロ、ごめん。あたし……!」

「チロルこそ、手遅れにならないうちに来てくれてよかった。まだベッドは余ってるから、しばらくうちに入院──」

「冗談っ! 寝てる暇なんてないよ、ミロ!」


 ミロの言葉にチロルは、はっ! と使命を思い出して、びりびりの白衣を揺さぶる。


「あたし、おじいちゃんの代わりにここへ来たの。はやく猫病の根元を断たなくちゃ!」


 薬は効いたようだが、猫病がもたらす動物的本能をおさえるのはやはり至難の業らしく、チロルはしきりにカーペットをきむしってなんとか己を抑えている。


おおちやがま僧正の代わりに……? ばんりようは、猫病の根源を突き止めたの?」

「これ見て」


 チロルが携帯コンピュータのディスプレイをすばやく広げると、衛星からの中継がそこに映る。映像はいみはま上空を中心に、北は浮きばら、南は埼玉てつばくまでを捉えている。


「おじいちゃんが言うには、『マタタビ粒子』とかいう未知の粒子が猫病の原因なんだって。それが急に湧いた原因が、はっきり衛星に映ってる」


 チロルの指はディスプレイをなぞり、いみはまの下、埼玉てつばくを南下して……


『東京』の顕現した東京ばくしんけつ、そのさらに南方を指さした。


「これ見て」

「……えええっ、何これ!?」

「『猫門』ていうんだって。見たまんま」

「冗談でしょ!?」


 ミロが悲鳴を上げるのも無理はない。

 かつては神奈川と呼ばれたそのさびの砂漠の中に、ぽつねんと、


『巨大な猫の顔』


 が生え、衛星をにらんでいるのだ。衛星写真から視認できるのだからこれはとんでもない大きさであり、表情のないがより不気味さをかきたてる。

 そして大きく開けた口からは、何やら火のようにまたたく霧のようなものが湧き出し、風に乗っていみはまへ運ばれてきているのが見てとれた。


「この、猫の、顔が!? 猫の粒子を吐き出してるって!?」

「いろいろ説明したいけど、それは後! おじいちゃんの経文を直接流し込めば、この『猫門』は消えるはずなの。ねえミロ、そこまで護衛を……」


 ふと。

 早口気味にしやべっていたチロルの言葉が、止まる。食い入るように衛星写真を見つめていたミロは、ややあってそれに振り返り……


「……チロル?」

「ちょうちょっっ!」


 ひゅばんっ! と跳んだチロルの身体からだを、「わあっっ!」とかがんでかわした。

 一匹の白いちようが、窓からひらひらと院長室に入り込んだのだ。それを追って暴れたくるピンク色の尻尾に引っ掛かり、花瓶が音を立てて倒れる。


「わああっ。チロル、暴れちゃだめっ! おすわり! ステイ!」

「ふぎゃ───ッッ!!」


 ミロの言葉も届かない。チロルは狩猟動物の本能に任せてちようをぴょんぴょん追いかけ回し、カルテの紙吹雪を部屋中に舞い上げた。


(……チロルがこのありさまじゃ、本当に悠長にしてられない。猫病を放っておいたら、人間がみんな獣になっちゃう!)


 追加のこうびようアンプルを抜き、ミロが止めようと身体からだを起こすと……


「み゛ゃ───ッッ!!」

「ええっっ!?」


 息つく暇もない。

 ばりんっっ!! と医院の窓を突き破って、今度は長い黒髪の猫女が院長室へ躍りこんできたのだ。

 さながら、猫というより、くろひよう……

 浴衣ゆかた姿に、らんらんと輝く藍色のねこは、


「パウー!?」


 いみはまの黒鉄知事、ねこやなぎパウーその人のものに間違いない。

 れいな仕立てだったつつへび浴衣ゆかたは今やすっかり着崩され。猫病によってしなやかさを増したその豊満な肢体を包み切れず、あやういところを衣類としてのきようでもってかろうじて覆っているといった具合だ。


「ちょ──っ!! 服、ちゃんと着て! すぐ脱ぐなって言ってるじゃん!」

「み゛ゃッ」


 弟の言葉も耳に入らないのか、パウーは目ざとくちようちようを見つけてチロルとそれを争い、


「んみ゛ゃ───ッッ」

「みゃご────!!」


 お互いをけんせいしあって転げまわっている。

 そこへ、


「追いつめたぞ、コラ───!!」


 がしゃぁんっ! と、同じく窓から飛び込んできたのはビスコだ。

 その顔面には今や、めためたに引っ掛かれた爪傷の筋が生々しく残り、首筋にもいくつもみ傷の跡。燃えるさびいの血がそれらを治癒しようと、活火山の亀裂のように傷口を輝かせている。


「ミロ、パウーを押さえろ! そいつ亭主をみやがった。口より先に歯が出る女なんて、お前の姉貴ぐらいだぞ!」

「にゃが───っ!!」

「ぎゃお──っっ!!」

「えっ、クラゲもいるんだけど!? ぐわぁっ! やめろ──っ!!」


 カルテはもとより、レントゲンの写真もあちこちに散らばり……みるみる散らかってゆく部屋の中で、名もなきちょうちょだけが死に物狂いに逃げ続けている。

 一方のミロは。

 ビスコが飛び込んできたあたりからゆらりと覚悟を決めてガスマスクをかぶり、アンプルサックの中からシビレダケりゆうだんをおもむろに取り出していた。

 ぼんっっ!!

 床にたたきつけられたシビレダケのりゆうだんは、院長室の部屋中に白いガスとなって広がり、


「みゃ……お~~?」

「にゃふぁ~~……っ」


 感覚の鋭敏な猫にクリティカルにヒット。

 あれだけすばしこかった二人の猫女を、数秒とたたずにパタリとその場に倒れさせた。

 その一方、


「わあッバカバカ。投げるんなら投げるって言えッ」


 さすが菌術の気配には敏感なビスコ、シビレダケのさくれつの瞬間に口鼻をがいとうで覆い、かろうじてこんとうまぬがれている。

 白いガスが、ゆっくりと晴れた後──

 荒れ果てた院長室には、むにゃむにゃと顔を擦る黒とピンクの猫女が、それぞれ浅い眠りにその身体からだを委ねていた。

 カマボコのような(ビスコ評)白いおなかを上下させるチロルと、肩をはだけて危うくいろいろこぼしそうな姉の浴衣ゆかたを、ミロは慌てて整えてやる。


「やっと捕まえたぞ」


 ビスコは戦闘の余韻冷めやらぬ、すいに輝くでパウーを見下ろし、姉の脈拍を測るミロに声をかけた。


「しかし、爪やら牙が生えるほど怒らせたのは初めてだ。何がまずかったんだ? お前の言うとおり髪型も、浴衣ゆかたも褒めたのに」

「バカ!! ただのヒステリーで、人間に牙が生えるわけないでしょ!!」

(パウーには生えかねないぞ)

「人を獣に変える『猫病』に、パウーも感染したんだ。準備して、ビスコ! パウーを処置したら、その原因を断ちに行かなきゃ!」

「!」


 赤髪の少年の二つの瞳が、ミロの言葉のトーンにきらりと輝いた。


いみはまから出るんだな!」

「詳しくはチロルが知ってる! 待ってて、今起こすよ……」

「何でもいい。アクタガワを起こしてくる!!」

「ええっ!? ちょ、ちょっと!」

「あいつ、都市にめなくて退屈してるはずだ。俺と違って、社会性がないからな!」


 まだ、に行くとも言っていないのに。

 ビスコはまるで水を得た魚のように飛び跳ねて、太陽の胞子をきらつかせながら、


「すぐ来いよ、ミロ!」


 一瞬だけ振り返り、窓から飛び出していく。

 この頃、平穏の中に何かと曇りがちだったすいそうぼうが、とにかく何らかの脅威を得て、新たな冒険の鼓動に熱く輝くのを、ミロは確かに見てとった。


「……うれしそうにしちゃってえ」


 相棒の頭上で輝く冒険の星の性質を、ミロが知らぬはずはない。



(……我慢してたんだな。)

(そうゆうとこ、ばかだよ。)

(ひととき、手を取って、引いてくれれば──)

(きみに誰だってついていくのに)



 ミロはひとりおもってガスマスクを脱ぎ捨て、吹き込む風に空色の髪をきらきらと揺らした。

 そして、

 散らかり切った自分の部屋を見て表情を一転、げっそりといきをつく。部屋の片づけに入る前に、床でぴくぴくと動く一匹のちようを見つけると、それを指で元気づけ、割れた窓から外に逃がしてやった。




刊行シリーズ

錆喰いビスコ10 約束の書影
錆喰いビスコ9 我の星、梵の星の書影
錆喰いビスコ8 神子煌誕!うなれ斉天大菌姫の書影
錆喰いビスコ7 瞬火剣・猫の爪の書影
錆喰いビスコ6 奇跡のファイナルカットの書影
錆喰いビスコ5 大海獣北海道、食陸すの書影
錆喰いビスコ4 業花の帝冠、花束の剣の書影
錆喰いビスコ3 都市生命体「東京」の書影
錆喰いビスコ2 血迫!超仙力ケルシンハの書影
錆喰いビスコの書影