錆喰いビスコ7 瞬火剣・猫の爪

2 ①

 埼玉てつばく

 巨大なかにの八本足が砂をみ、のしのしとその巨体を前に運んでいく。そのあんじように風が吹き荒れ、細かい鉄の砂がびしびしと打ち付ける。

 東京が、きらきらと虹色の胞子を放つ様を、横目に見て……

 少年たちはがいとう身体からだを覆い、アクタガワを駆ってさらに南へと急いだ。

 東京を過ぎるともはやそこは前人未踏、ウツボもてつも住まない黒鉄の海である。

 晴天のはずだが、黒く煙ったような鉄砂が空中を覆って陽光を遮り、砂漠一帯を夜のように変えてしまっていた。

 ただ、その荒涼の景色の中でひときわ、ぎらぎらと生をみなぎらせる相棒の瞳を……

 ミロは楽しそうに時折眺めた。ビスコはしばらくしてその視線に気づき、何か妙に気恥ずかしくなったらしく、すぐにねこゴーグルで瞳の輝きを覆ってしまった。



またたけんようかんの言い伝えというのは、あにゃがち創作神話という訳ではないのぢゃ』

「では、大僧正さま。ぼくら人間の国の裏に、猫の国が本当にあると?」

「おめでてえジジイだ。サンタさんがいまだに来るらしい」

「ビスコ!!」

じんこくびようこく。本来それは分岐した別可能性の位相に存在し、お互いに観測はできにゅ。でも、こないだ神奈川に落ちた奇跡の矢が、人と猫とを門でつなげてしまった』

「「奇跡の矢……?」」


 助手席で揺られながら、ミロと視線を合わせるビスコ。

 二人の眼前、ポータブルディスプレイの向こうから『おほん』とき込むのは、白いモコモコの中から猫耳を生やしたばんりようおおちやがま大僧正その人である。


『おヌシらがくろかわを倒した、ちようしんきゆうの矢のことぢゃ』

「ええっっ」

「つ、つまり。今回の猫病の原因はっ」

『おヌシらのせいじゃ、このすかぽんたんっ』


 いつもはぼけっと温厚なおおちやがま大僧正も、さすがに世界のコトワリを乱されてはたまったものではないのか、ぷんぷん! と蒸気を噴いて珍しく怒っている。


『別の可能性、アナザー日本と門をつなげてしまうなんて、たらもいいとこ。今後あの弓は禁止ぢゃ。超信弓禁止!!』

「んなこと言ったって! あそこでくろかわを撃たなきゃ……」

「うみゃぁ~~っっ……」

「チロル!」


 手綱を預かるミロは、先ほどからしきりにバックパック中のチロルを気にしている。


「大丈夫? またアンプルを打とうか?」

「だ、だいじょぶ……暇なだけ……」


 チロルは手慰みに持っていたねずみのおもちゃを壊してしまったらしく、猫の身体からだにすっかり退屈を持て余していた。内側をやたらとくので、バックパックも傷だらけである。


(爪も牙も鋭くなってる。もたもたしてられない)


 一方いみはまに残ったパウーの方は、チロルより猫病への耐性が強かったため、ひとまず服薬によって正気を保っている。今頃は自警の指揮を執っているはずだが、とはいえ猫と化した民衆がいつ暴力蜂起するか知れたものではなく、それも心配の種だ。


「ねえビスコ。まだ門は見えない?」


 ややあせりにとらわれて相棒を振り向くミロに、


「…………。」

「ビスコ!」

あせるな。近づいてる」


 ねこゴーグルのメモリをいじりながら、ビスコが答える。

 先ほどからねこゴーグルは、鉄砂の嵐の中にきらめく、またたく火の粉のような粒子を観測し続けていた。おおちやがま僧正いわく、


またたび 粒子』


 とばんりように伝わるそれは、アクタガワの歩みに合わせて、着実に濃く、強くなっているようであった。

 どうやら、それに誘われてか……


ぶりが泳ぎ出したな」


 黒い空にほむらのような背びれが揺らめき、物珍しそうにアクタガワを見下ろしている。

 大ぶりの空中魚たちであった。

 それに興味が移りがちなアクタガワを制して、ビスコがつぶやく。


「背びれの元気がいい。場の生命力が強い証拠だ。近いぞ」

またたび 粒子を吸わないように気を付けてね。いちおうアンプルは打ってるけど、僕もビスコも、いつ発症するか……」

「! 見えたぞ」


 ゴーグルの倍率を上げて、ビスコがわずかに身を乗り出す。


「な……何だよ、ありゃ!?」

「ビスコ、僕も見たい!」

「待ってろ。今晴らす」


 ビスコは背中の弓を引き抜き、前方の砂漠に向けて一筋の矢を放つ。

 ぼぐんっっ!

 さびいが伸び上がる。急成長したさびいは周囲の砂をって鉄の嵐を晴らし、ぶりの群れをそこらに追い散らして、暗かったアクタガワ周辺に陽光を呼び込んだ。

 そして……


「う、うわあ……!」


 ミロのに飛び込んできたのは、小規模な山のように盛り上がった、巨大な、


『猫の顔』であった。

 都合、猫の鼻は天を向いているわけであるから、アクタガワから見れば、ちょうど鉄砂から頰のあたりがヌオウと生えてきている格好になる。

 猫の顔は突然差し込んできた太陽の光にわずかに目を細め、けたように、


『んマ───────────────────────────────オ。』


 と、間延びした長い声を上げた。

 音波は風となって少年たちのがいとうをばさばさと揺らし、驚きやらあきれやら、とにかく圧倒的な存在感でもって二人の口をあんぐりと開けさせた。


『出よった。あれが『猫門』ぢゃっ!』

「門っていうか、猫そのまんまじゃねえか!?」

『チロルっ!』

「あいさいっっ!」


 チロルの声に二人が振り返る。バックパックから飛び出たチロルは、おじいちゃんの映るコンピュータをしゅばりとかっさらい、ねこを金色に輝かせて猫門をにらんだ。


「あれに経文を流し込めばみんなの猫も治る。鼻の頭まで、あたしを連れてって!」

「常識外れだぜ。どうしてあんなモンが、砂漠に生えるんだ?」

「あんたたちのせいだってば!」

「急ごう。アクタガワ!」


 ミロの手綱に応えてアクタガワは勇んで走りゆくも、ちょうど猫の頰に八本足をいこませた時点で、


『くにゃあ』


 と、その思わぬ不気味な柔らかさに体勢を崩してしまう。


「うげえ。気味わる!!」

「アクタガワ、がんばって!」


 アクタガワにしても、強固な岩盤やぬかるんだ沼地こそ得意とすれ、さすがに猫の顔の上を歩いたことはないだろう。手綱を通していかにも困惑したありさまが伝わってきたが、それでもなんとかアクタガワは猫門をよじ登り、その鼻っ柱に登頂することに成功した。


『んマ───────────────────────────────オ。』

「これが……」

「「またたび の元凶!」」


 猫の声にびりびりと身体からだを震わされながら、三人は鼻の上から猫の顔をのぞき込んだ。大きく開いた猫の口の中には、銀河のように渦巻くまたたび の粒子が渦巻き、それが中空目掛けて噴き上がっている。


「この口の向こうが、猫の国につながってるのか?」

『門を見てはにゃらぬっ。無用な干渉は避けるのぢゃ。なんじが猫をのぞき込むとき──』

「猫もまた僕らをのぞいていると。なるほど、流石さすがのお言葉です」

「どこがどう流石さすがなんだ。普通の話だろ!!」

「猫の真上でべちゃくちゃしやべんなっ! いい!? あたしがこれからばんりようの経文でこいつを閉じる。あんたたちは、しっかりあたしを守って!」


 チロルは猫のしなやかさでもってアクタガワから飛び降りると、携帯コンピュータから何やらカラフルなケーブルを伸ばし、猫の鼻の頭に突き刺す。そして、爪の伸びた両手で器用にキーボードをたたき、ばんりように伝わる呪言を打ち込んでいった。


「おじいちゃん、準備できたっ!」

『接続確認ぢゃ。今こそばんりよう僧百人の仙力にて、ホープ様秘伝のしんごんを振るうとき!』


 おおちやがま僧正が「しゃんっ」としやくじようをかざせば、その背後に控えた百人の禅僧が、額に赤いぼんを浮かび上がらせ、口々にマントラをとなえ仙力を練り上げる。



刊行シリーズ

錆喰いビスコ10 約束の書影
錆喰いビスコ9 我の星、梵の星の書影
錆喰いビスコ8 神子煌誕!うなれ斉天大菌姫の書影
錆喰いビスコ7 瞬火剣・猫の爪の書影
錆喰いビスコ6 奇跡のファイナルカットの書影
錆喰いビスコ5 大海獣北海道、食陸すの書影
錆喰いビスコ4 業花の帝冠、花束の剣の書影
錆喰いビスコ3 都市生命体「東京」の書影
錆喰いビスコ2 血迫!超仙力ケルシンハの書影
錆喰いビスコの書影