(かんかんっっ。)
時は猫永十八年。
八ッ橋家八代将軍・羊羹の治世に、突如として襲う黒い影。
邪悪の麒麟児、宿敵「甘草月餅」の復活!!
にんげんに伝わりし謎の超力手に入れしこの甘草、かつての「鬼ノ子の乱」の再来とばかりに、猫摩の国に大混乱を呼び起こす。
我らが将軍・八ッ橋羊羹、もちろんこれに討って出る。ところが将軍がその御庭番に選びたるは、地上より出でし「にんげん」の若者たちで……!?
これより語るは秘口伝「瞬火剣・猫の爪」。瞬き無用に願いまする!
***
先代将軍・八ッ橋落雁の崩御ももう十年の前のこと。以来その八男坊、八ッ橋羊羹の治世により、猫摩国は永らく安寧を保ってきた。
出自こそ卑しけれど、猫摩の民のために不正をくじき、善良なものを大切にする羊羹のまつりごとは、民草にも大いに評判がよかった。暴れ者のきらいはあれど、その人柄、もといお猫柄に幾人もの傑物が惚れこみ、猫摩幕府を盤石にしたものである。
しかし……
猫永十八年、その猫摩国に危機がおとずれる。
突如として天から落ちた『黄金のいなづま』によって発生した、原因不明の死病、
『さびつき』
の蔓延であった。
ところは猫摩の国、猫摩城。
「うう。い、痛や、痛や……」
病の床に伏せるは、老中・柴舟。
先代・落雁将軍の代より八ッ橋家に仕え、羊羹の幼少期よりその成長を見守ってきた老チンチラである。
足腰矍鑠、老いを知らぬと言われた、この柴舟が……
いま、『さびつき』の毒牙にかかり、死の床にあった。
皮膚がまるで錆のようなもので覆われ、徐々に死へといざなうという、まさしく奇病。施術で進行は遅らせられるものの、いまだ完治の目途は立たぬ。
それを見守るは、
「爺。辛抱せよ。じきに痛みは引く」
我らが八代将軍、八ッ橋羊羹。
御年三十歳とまさに雄ざかり。黒い毛並みは艶やかに輝き、その顔つきの精悍なこと。将軍の身分を抜きにしても、この双眸に見つめられて惚れぬ猫は、この猫摩の国にはおらぬ……と、ひそかに評判の美貌であった。
「いつもの癇癪がなければ、己れも張り合いがない。気を確り持て」
羊羹、そう爺を励ますが……
「上様。どうか介錯を。この爺、上様の足枷ににゃりたくはありませぬ」
「弱気を申すな」
涙で潤んだ老猫の顔を、赤い猫眼が覗き込み、力づけるように手を握る。
「かならず療法が見つかる。それまで辛抱するのだ……爺に死なれては、猫摩の国を再び栄えさせることかなわぬ」
「うう……にゃさけなや……」
うなされて眠りにつく爺の腹を、布団越しに優しく撫でてやり……
(まこと、奇病である)
羊羹も思案に沈む。
瞬火剣の羊羹に、斬れぬものなし……と言いたいが、病が相手ではこれはどうにもならぬ。そばからお付きの医者猫が、爺の包帯を替えにかかった。
「上様。あまり根を詰められては。あとは我々が」
「まだ、病の原因はつかめぬのか」
「黄金のいなづまが天を裂いたせいだと、占術師は申しておりますが……何分まじない猫の言うこと、あてにはできませぬ。ささ、お休みになられませ」
「薬草の藻が切れていたはず。余が浜まで取ってこよう」
「いけません! 上様自ら、城下にお出になるなど……!」
「かまうな。今、猫摩で働けるものは余ぐらいだ」
言い出したら聞かぬのがこの羊羹。大小を腰に差すと、風のような素早さで城を飛び出し、
「ホクサイ。ゆくぞ!」
愛馬ホクサイに跨って、城下へ駆けてゆくのであった。
猫摩城、城下街。
いつもは鰹節や鮮魚、飴や薬売りで賑わうこの猫摩の街も……
今は、ひっそりしたものだ。
町にぽつぽつと構えられた養生所からは、さびつきの病を患った猫の町民たちが、口々に唸りながら病の苦しみをまぎらわせておった。その声を聞くたび、羊羹の御心は千々に乱れ、ホクサイの脚を早めたものである。
(不甲斐ない。将軍の身でありながら、民に何もしてやれぬ)
そこに、
びしゃん!!
突如、黄金の輝きとともに、雷鳴が鳴り響いた。
「きゃぁっ」
家屋の中から町猫の悲鳴。
びしゃん、びしゃん! と、更に続けて二発。
どおおおん、と、ホクサイが足を止めるほどの轟音だ。海岸が「おおおお」と慄くように震え、焦げるような匂いすら漂ってくる。
いななきを上げ、恐怖に暴れるホクサイを鎮めながら、
「どうどう! ホクサイ。大丈夫だ」
羊羹は眼を細め、じっと雷の落ちた浜の方角を睨んだ。
占術師いわく、天が裂けるときに現ずるという、黄金のいなづま……
(それが、三発。不吉な。更なる疫病の予兆であろうか)
胸騒ぎを覚え、羊羹はホクサイを急がせる。次第に家屋はまばらになってゆき、やがて暗雲の空に猫摩の浜が見渡せるようになってきた。
潮の匂い。大気がじんわりと冷え、雨の予兆を毛先に伝える。
雷に打たれた砂浜は焦げたような香りが強く、敏感な猫の嗅覚を刺す。そして、辿り着いた羊羹が崖から見下ろす猫摩の浜の有様は……
普段とは全く異なるものだった。
「これは」
丸焦げである。
海岸の岩は真っ黒に焦げ、湯気すら立てている。船着き場は火炎に包まれてぼうぼうと燃え落ち、浅瀬には感電死したイワシやクエが腹を見せて浮いている。
崖を飛び下って浜に降りた羊羹は、
「むう、船が」
思わず落胆の声を上げる。船着き場に停めてあった自分用の小舟も、同様にいなづまにやられたらしく、中央から真っ二つに燃え割れてしまっていた。
難儀な。
そう思いはしたが、病床で苦しむ爺のことを考えれば、羊羹これしきでくじけてはおれぬ。いっそ泳いでいこうと腹を決め……
沖の方を見て、ふと。
海面にぷかぷかと浮かぶ、外套に包まれた身体を発見した。
「! 溺れ猫!」
二人いる。
漁師であろうか? 丸焦げではあるが、雷はつい先ごろだ。
(息があるやもしれぬ)。
羊羹はざばんと海へ飛び込むと、素早くそこまで泳いでいき、外套を口で引っ張って浜に戻る。予想外に重い身体に苦労しながらも、羊羹は二人を浜に仰向けにして……
ぎょっ! と、固まった。
(こ、こやつらは!?)
真っ赤な、燃え立つような髪。
額に備えた奇妙なからくり眼鏡。梵字のような目の下の刺青……
なにより、その顔面。毛のない、つるりとした肌は。
まぎれもなく……
(人間だ!)
羊羹の慄きのとおり、人間のそれであった。
(これは驚いた。いなづまとともに、人間が落ちてきた)
もう一方、空色の髪の少年もまた、人間の出で立ちに間違いない。
『あまり乱暴をされますと、地上よりにんげんが攫いに参りますぞ……』
羊羹も幼少期、そう聞かされて育ったものである。爺や側近が近くに居れば、かようなあやかし、ただちに斬られませい! と声が飛んだであろうが……