(……猫とこやつら人間はかつての友と聞く。邪なものではあるまい)
羊羹、すばやくそう決心し、気絶した二人の丹田に「えいッ」と気を打ち込んでやる。
「げはッ!!」
「ぷあっ!」
達人の気付け術はどうやら人間の身体にも効いたとみえ、二人はすぐさま、気道の中に溜まった水を吐き出し、派手に咳き込んだ。
どうやら満身創痍、意識も朦朧として、まともに頭の働かぬようだ。
「命は助けた。これ以上の世話はせぬぞ」
「な、んだ、てめえは……」
赤髪のほうが、辛うじて首だけ起き、羊羹を見つめ……
やがて驚愕にその眼を見開く。
「ね……ねこにんげん!? おわあっ、バケモノ!」
「不遜なやつだ」
死に体のくせに元気のよいやつ。羊羹、少し笑う。
「ここは猫摩国、猫の聖域ぞ。化け物はお主らのほうであろう」
「びょうまこく……?」
「人間とて礼を知るならば命は取らぬ。くれぐれも、猫里に降りて悪さをするなよ」
「ま、待て、お前……? げほっ、がはっ!」
咳き込む赤髪の口から、小魚がぴょんと飛び出してきた。羊羹はそれを横目で見、ふたたび薬草を求めて海へ向かう……
それへ。
「羊羹さま! ようかんさま────っっ!!」
「む」
羊羹の後ろ、浜に切り立った崖の上から、呼び掛ける声が聞こえる。
猫摩国の町猫、呉服問屋の煎餅であった。
「何をしておる。雨が来る、家に戻るのだ」
「それどころじゃねえんでさ!!」
煎餅は金切声を上げる。どうやら尋常の様子ではない。
「鬼ノ子が! 鬼ノ子が出たんです、猫摩の城下町に、鬼ノ子が!」
「なに!?」
「お助けくだせえ上様。このままじゃ、城下が焼かれちまう!」
羊羹の表情がさっと変わる。
(鬼ノ子の再来だと。この異変、やはりあやつの仕業か!)
ぴゅーいっ、と口笛を吹けば、愛馬ホクサイが走り寄ってくる。それに飛び乗りながら、羊羹は馬蹄を鳴らして浜を駆けのぼり、駆け寄ってくる煎餅を鞍の後ろへ引き上げた。
「侍はおらぬのか。城の者はどうしておる!?」
「猫摩城にも鬼ノ子が出たようで。お侍様はみな、そちらに……」
「ばかものどもめ。民を守らずして、何が侍か!」
黒く艶やかな毛並みは怒りに逆立ち、
「鬼ノ子どもめ……この瞬火剣にかけて、無辜の民をその手にかけさせぬ!」
疾風のように、猫摩の城下へ向けて馬を走らせていった。
「くろいねこは いたか?」
「きょうのつぎは ほんとうにあしたか?」
「家だ。燃やそう」
「ずっどどどん!」
「ぼえ~~~~~」
阿鼻叫喚の響き渡る、猫摩の城下を……
我が物顔で闊歩する、異形の存在たちがある。
ずんぐりとした白い体軀に、太く短い手足。大きく開いた頭の傘からちらちらと胞子を振りまき、身長ほどもある巨大な火斧槍を、かるがると持ち上げている。
単眼のもの、三つ目のもの、そのかたちには個性あれど、一様に動きは鈍重で、えっちらおっちら歩く様は一見、ほのぼのと可愛くすら見えるが……
これこそ、かつて猫摩を絶望の渦に叩き込んだ邪悪!
『鬼ノ子の軍勢』に相違ない。
「くろいねこは いたか?」
「ずっどどどん!」
「家だ。燃やそう」
「はらへった」
「パオー」
どうんっ、どうんっ、どうんっっ。
マイペースな鬼ノ子たちの火斧が無節操に火を噴き、民家を次々とぶっ飛ばして、カエンタケの胞子で火をつけた。中に居た猫たちは、着の身着のまま逃げ出してきては、
「ひえ──っ!」
「キノコだ。鬼ノ子が出たア」
哀れそのうち一匹が、首根っこをキノコ兵に摑まれる。
「こいつか?」
「おまえは、しょうぐんねこか?」
「違います! わたくしはただの鰹節売り。キジトラ猫でございます。お助けを!」
「違うといっているぞ」
「でも、ねこには違いないぞ」
「半分はあっているぞ」
「技ありだぞ」
「技ありイッポン」
「お助け───っっ!!」
キジトラ猫の悲鳴が、炎の夜に響き渡った、その刹那。
しゅばんっっ!!
黒色の旋風がきらめいて、中空に半月の銀閃を瞬かせた。
〝しゃんっ!〟
白刃が鞘に納まり、名刀・金鍔の鈴が鳴る。キジトラ猫を摑んでいた鬼ノ子の片腕が寸断され、町猫を取り落とす。
「パオッ」
「おまえは!」
鬼ノ子の視線が、一斉に黒い毛並みに注がれる。
「なにものだ」
「なにねこだ」
「少ない脳味噌を手繰ってみよ」
八代将軍、羊羹。
白刃がいちどき鞘から離れれば、暴れん坊の本領発揮である。
「かつて貴様ら鬼ノ子の野望を断ち斬った……瞬火剣・羊羹を見忘れたか!」
「羊羹さまっっ!」
「逃げよ」
キジトラ猫が飛び去って行くのをかばうように、ゆらりと炎に照らされた猫将軍が進み出る。精悍なその顔は今や憤怒のそれに燃え、
「家を焼き、民草まで手にかけるとは……」
刃の切っ先のようにするどく鬼ノ子たちを見据えている。
「貴様らの非道、己れも少々とさかにきたぞ。少々痛い目を見てもらおう」
「くろいねこだ」
「ようかんだ!」
「パオー!」
「家を焼けば、ようかんがあらわれる」
思い思いの重装備を構えた鬼ノ子たちは、町猫たちを追い回すのをぴたりとやめ、一斉に羊羹に向き直った。
(不気味な)
羊羹の覇気は、他の剣豪をしても竦ませる凄まじいものだったが。
きのこの鬼たち、それに怯む様子はない。
どこか感情が欠落しているかのようであった。太刀を浴びた鬼ノ子などは、落ちた自分の腕をまじまじと見、興味を失ってそれを焚き木の中へ放り投げている。
腕の断面からはぼこぼこと生命の胞子が湧き立ち、さしたる時間をかけずに再生してゆくであろう様が見て取れた。
「あまくさ様は、いけどりにしろ、とおおせだぞ」
「しかし、ようかんは、つよいぞ」
「すばしこいぞ」
「いけどりは、ひとまず」
「殺してからだな」
「殺してから、いけどりだ」
「パオー!」
「パオー!」
鬼ノ子は、口々に叫び……
突然だ、予兆も間合いもなにもない。一体の鬼ノ子兵が大楯を振りかざし、その鋼鉄の塊を思い切り叩きつけてきたのだ。ばあんっ!! と地面に打ち付けられるその大楯はしかし、羊羹の身体を叩き潰すことはなく、
「瞬火剣、」
その踏み台となって、羊羹の身体を夜空へ躍らせた!
「パオオッ」
「『飛び魚』ッッ!」
しゅばんっっ!!
鞘から白刃がきらめく。前宙逆さ居合とでも言おうか、空中で横一文字にきらめいた刃は、ちょうどキノコの、うなじ? とにかく背面に深く切りつけ、
『ぶしゃああああっ。』
辺りにキノコの胞子を振りまく。鬼ノ子はがくがくと震えたあと、羊羹に一太刀返そうとぎゅるりと身体を回転させて、
「おわわっ」
バランスをくずし、ばさん! と燃える家屋の中に倒れ込んだ。
「あっぢいいいいっ」
「はやい!」
「ようかんは、つよい」