錆喰いビスコ8 神子煌誕!うなれ斉天大菌姫

 山盛りの、半溶けのバニラアイス……

 のような雲が。

 うずたかく積み上がり、隙間から夏のしを海面に投げかけている。

 日本海が穏やかにそれを受け止め、てらてらと光る、そこを。

 盛大に飛沫しぶきを上げて、

 大きな船のようなものが、いま通りすぎようというところだ。


「夏の太陽に、見渡す限りの水平線──」


 アムリィは海風に髪をそよそよと揺らし、うっとりとつぶやく。


「潮のにおい、触れる飛沫しぶき……なんて素敵なのかしら。こんな光景、出雲いずもりくとうにいたころは、想像もできなかった……」

「そう思って誘ったの」


 テラスのビーチチェアから、のんびりと声が答える。

 でっぷり大きなグラスから、紅玉ジュースをストローですすり……


「年中無休で僧正やってちゃ、下々のことがわかんないでしょ。たまには俗世のことも体験しないとぉ」


 サングラスをずらして、チロルがにやりと笑った。

 水着である。

 日焼けの最中であるようだ。夏のしに照らされた肌は、商売道具を自負するだけの輝きを放ち、余裕たっぷりに足を組み替える様子からもその自信がうかがえる。


(……体形はお子様なのに。随分な自信ですこと)

「む。何かいま、あなどったような気配が……」

「とっても素敵な旅ですわ、チロルさま!」慌てて表情を作り替え、アムリィが隣のチェアに腰かける。「お母さまも連れてくればよかった。水着が恥ずかしいって言うんですもの」

「んにゃ。どっちみちラスケニーはダメ」

「ええっ!? ですの?」

「たりめーでしょ。自尊心の回復のために休暇とってんだもん。あたしより! いいカラダの女はっ、入船禁止ぃっ!!」


 クラゲ髪をむちのごとく振り、チロルがびしッとアムリィをゆびさす。


「この船はあたしの船なの! 調教したエンマガメ買うのに、めちゃめちゃ大枚はたいたんだから。お客はあたしが選ぶの。ね~、アムリィ!」

「こ、光栄ですわ……?」


 チロルの言うとおり、この大型遊覧船は。

 エンマガメなる超大型の進化生物を利用したものだ。鉄でできた通常の大型船では、日本海中の危険魚たちに船底をい破られる危険性があり、到底長距離の航海などできたものではない。しかしエンマガメがベースにしてあれば、海中生物はその威容を恐れて近づいてこないため、安全なクルージングが可能になるのだ。

 無論のこと超高額なこのエンマガメ船に、チロルが幾ら出したのかはさだかでない。


「……ちょっとお待ちになって」


 一方それはそれとして。


「チロルさまよりいいカラダ、がダメなら、なぜわたしがご招待にあずかりましたの?」

「……んえっ!?」


 先ほどまでされていたはずのアムリィが、表情をラクシャサのそれへじわじわと変え、逆にチロルに詰め寄る。


「あなどっておいでなのね。わたくしを、所詮は小娘と」

「ちょちょちょ……落ち着いてよ。ほら、海がきれいだよ」

「ぶしつけながら。身体からだでチロルさまに劣る自覚はありませんわ」

「な! なんだとおまえっ、どの口で……あたしよりぺちゃぺちゃじゃんっっ!!」

「百歩譲って! 百歩譲って、いまは互角でもよろしいわ。でも、わたしはまだ十四歳。チロルさまは、おいくつですの?」

「……に、二十二……」

「はいもう成長ガン止まりですわ。ノーフューチャーボディですの。それに比べてわたくしの無限のポテンシャル、もう二、三年もすればお母さまに似て、あんなふうに……」

「んきえ────ッッ!! 降りろてめ───っっ!」


 涙目のチロルが、アムリィの白い首を絞め、ぶんぶんと振る……

 その直後に。

 それまで快晴だった空が一時にかき曇り、ゴロゴロと雷鳴を立てはじめた。


「……!? 空が……」

「やべえ、雨がくるみたい。続きは中でやろ、アムリィ!」

「待って! チロルさま。ただの雲ではないわ!!」


 クサビラ宗僧正の霊感がそうさせるのか。暗雲からを離せずにいるアムリィの視線の先で、やがてなにか光る巨大なものが雲を突き破り……


「あ……あれは!?」

「ななな! 何だああっ」


 低くうなる浮遊音を立てて、上空に顕現した!

 まったく、超文明的な……

 浮遊物体であった。日本のあらゆる名兵器、珍兵器を扱うまとせいてつで勤務したチロルをもってしても、到底考えすら及ぶような代物ではない。


「UFOじゃん!?」

「チロルさま。子供みたいなことおつしやらないで」

「だって! どう考えても……!」


 その船底は液体のようにゆるゆると波打ち、青白く明滅したまま、上空に静止している。しばらく不気味な沈黙が続いて、やがて……


『びぃぃッ』


 唐突に走査線のような赤い光が、エンマガメの輪郭をなぞるように走った。


「きゃあっ!」

「攻撃してくる!? アムリィ、なんとかしてよっ!」



『…………。』

検証アナライズ ヲ 完了。』

『未捕獲生物【エンマガメ】 オス個体 ト 確認。』

『推定生命力 2万3800ライフラ。』

『大統領 ゴハンダン クダサイ。』

『…………。』

『閣議決定ヨシ。キャプチャ・ウェーブ スタンバイ。』

『タダチニ レスキュー スル。』



「何か言ってる!?」

「いけない! チロルさま、わたしの後ろに!」


 浮遊物体の不穏な動きにさきがけ、アムリィのしんごんひらめいた。ひらりと印をむすぶアムリィから紫色のさびのオーラが顕現し、それは球状の盾となって二人を包む。

 それへ向けて……

 ふわりと上空から、青白い円形の光が照射された。光はどこか拍子抜けするほど遅く、また柔らかく、しんごんのバリアごと二人を包み込む。


「……おおっ! アムリィすごいっ! どうだ見たか、僧正の実力っ! こんなこともあろうかと、乗せておいたのだぁっ」

「待って。おかしいわ、これは攻撃じゃない……?」


 アムリィが、その光の奇妙な暖かさに、げんな顔をする……

 次の瞬間、

 ずわあっっ! とおびただしい飛沫しぶきを噴き上げて、船が、いや、巨大なエンマガメそのものが、海面から浮き上がったのである。

 エンマガメにしても30tを越える己が空に浮いたためしがあるはずもない。普段の温厚さを捨ててろうばいし、「マオ────ッッ」と叫びもがいている。


「うわわわああああ!? う、浮いてる、船が浮いてるっっ!!」

「違うわ! これは……!」


 どんどん眼前に迫る、浮遊物体の船底。波のようなそれは今や渦潮へ変化し、エンマガメをみ込もうと高速で回転している。


「吸い上げてる! そんなまさか……」

「アムリィ──ッ! なんとかして──っっ!」

「くううっ! だめ、わたしも、もう……!」


 ふわり、とアムリィの身体からだがテラスの床から離れる。とつにその脚をつかんだチロルごと、その身体からだは宙に逆巻く渦潮に吸い込まれていく。


「わああああ───っっ!!」

「きゃ──────っっ!!」

「マオ────────」


 しゅぽんっっ!!



『…………。』

『エンマガメ オス ヲ 捕獲シマシタ。』

『…………?』

『異物混入 ノ 可能性アリ……』

『レスキューニ支障ナシ。』

フライトヲ継続シマス。』



 浮遊物体はその船体にいともたやすくエンマガメ……と二人の少女を収めると、不可思議な動力でもって再び雲の中に隠れていった。

 そうして……

 あとにはただ、また穏やかな夏の日本海が戻り、まるでそこで何もなかったかのように、ゆるやかな波をくりかえすだけになった。







刊行シリーズ

錆喰いビスコ10 約束の書影
錆喰いビスコ9 我の星、梵の星の書影
錆喰いビスコ8 神子煌誕!うなれ斉天大菌姫の書影
錆喰いビスコ7 瞬火剣・猫の爪の書影
錆喰いビスコ6 奇跡のファイナルカットの書影
錆喰いビスコ5 大海獣北海道、食陸すの書影
錆喰いビスコ4 業花の帝冠、花束の剣の書影
錆喰いビスコ3 都市生命体「東京」の書影
錆喰いビスコ2 血迫!超仙力ケルシンハの書影
錆喰いビスコの書影