錆喰いビスコ8 神子煌誕!うなれ斉天大菌姫

2 ②

 べにびしたちが親切なのはわかるのだが、彼らも獄中暮らしの感覚が抜けないのであろう。客を大事にするあまり、とにかく閉じ込めて表に出そうとしないのだ。

 楽しみといえばたまにシシが訪ねてくれるぐらいで、


「これでは、我が子の前に──」

「自分が参っちまう、ってな感じだなァ」

「そうだとも。いくらなんでも、過保護すぎ……」


 はっ! と、

 パウーが顔を上げる。

 聞き覚えのない声が自分の言葉を継いだのだ。


「へえ、妊婦向けにアイスクリームか。あのデカブツ、大御所グルメ気取りかしらんが、しやたモノ作るじゃないかァ。どれ……ぐわっ、しょっっぺえっっ」

なにやつッッ!!」


 謎の人影!

 この距離まで気配の欠片かけらも感じさせなかった。とつに跳び上がろうとするパウーだが、腹部を桜で縛られているのを忘れていた。寝台はそのりよりよくで傾き、あわや倒れようとして、

 ぐっ、と、人影の伸ばした手で支えられる。


「バカ。下手に動くんじゃないよォ。腹の子に悪いだろう」

「……あ、あなたは……!?」


 きらりと光る、すいの瞳の輝き……

 差し込む光に照るクリムゾン・レッドの髪色は、否が応でも、自分の亭主のそれを思い起こさせ、パウーの敵意を一瞬でしずめた。

 キノコ守りの、女、である。

 弓にがいとうの基本スタイルに加え、唇に空いたピアス、右目を囲ういれずみ。ぎらりとくようでいて、不思議な包容感のある……そういう風貌であった。

 女はどこか愉快そうに、まじまじとパウーを見て、


「……ま~たえらい強そうなのとくっついたなァ、あのバカ。母親に似て苦労性だ」

「あのバカ、とは……」


 パウー自身も不思議なことに、この気配なき侵入者に対して、すでに警戒心はせている。


「それはビスコのことですか。あなたは、ビスコの……?」

「親戚さね」


 女はぼりぼりと後頭部をいて、あきれたように欠伸あくびをした。


しゆうを渡しに来たんだが。嫁ほっぽって何をしているんだか……」


 としの頃がまったくわからない。十代とわれても、三十代とわれても通じる。

 しかし、そのすらりと剛健な立ち振る舞いは、パウーをして、


(美しいひとだ……)


 そう、うずくような嫉妬とともに思わせるものだった。


あかぼし家に、親類縁者の話など。主人からは聞き及んでいません」

「このアイスもつたいないな。バニラマッシュの胞子で、塩抜きをしてやって……」

「ビスコに何の用です! 私はっ」

「ケッパダケで滋養をつければ。うん! い。ほら」


 女は少女のような笑顔で、何らかの処置をした桜アイスのスプーンを、パウーの眼前に持ってきた。


「? あ~ん、しなほら。毒なんか盛らないよ」

「えっ、あ、あ……あ~ん……」

「いい子だ」


 女の放つ不思議な包容力にあてられて、自然とパウーの口が開く。先ほどあれだけひどい目に遭った桜アイスを、もう一度頰張れば……


「!? 美味しいっ」

「滋養もある。母体には最適だろうさ」

「どういう手品です!? あの塩の塊をっ」

「なんだァ。亭主はこんなこともできないのか? ジャビのやつ、菌術の教育はだいぶサボったらしい……ほら、全部食べな。あ~ん」


 なんだかあやされているようだ。パウーは困惑しながらも、女のペースを抜け出すことができず、されるがままになっている。


「んぐ、もぐ。せ、せめて、お名前を……んぐ!」

「マリーさ。マリー・ビスケットのマリー」

「ま、マリー……?」

「あたしなんかの名前より」


 マリーはそこまで言って、突き出した人差し指でパウーの喉、胸元をなぞり、すべらかなおなかにわずかに爪を立てた。


の名前は、もう決まってるのかい?」

「ま、まだそんな。気が早いです」


 パウーはマリーの迫力にされて、思わず敬語になってしまう。


「でも、ビスコのように。しくて強くなるビスコのように、祈りある名前にしてあげたい。早く思いつきたいのだけれど。その子を、導いてあげられるような名前を……」

「あたしの意見を言えば、今から気負ってもしょうがないと思うね」

「そうでしょうか?」

「そうさ。あたしなんか、産んだ日に食ったお菓子でひらめいたんだ。その子と会って顔を見れば、自然と名前は出てくるものさ……おっと、あたしを参考にされても困るな」

「……あなたは、一体……」

「ほいっ」


 ぼんっっ!

 マリーがぱちん、と指をはじいただけで、パウーを拘束していた桜の枝がキノコにい破られる。パウーは自由になった身体からだでがばっと起き上がり、きようがくに目を見開いた。


「そ、そんな! 花はキノコをうはず。どうやって!?」

「なら死にたがりの菌を発芽させりゃいい。キノコの自殺願望をって花が勝手に枯れるさァ。どいつもこいつもこれしきのこと、なんで気が付かないんだか……」


 ぱんぱん、とパウーから木くずを払うマリー。それを見ながらパウーは、


(マリー。……まさか、『菌聖マリー』!)


 ミロから聞きかじった、キノコ守りの伝説を思い出していた。


『弓聖』ジャビと並び立ち、次元の違うキノコの術を身につけた胞子の魔女。菌術の基礎を革新し、現代菌術の概念そのものを広く広めた胞子学者として、いまも広くキノコ守りに信仰されるあらひとがみだ。

 そして、パウーにとっては、なにより……


(ばかな……菌聖マリーはとうに死んだと、彼は!)

「いざって時にこんが振れなきゃ困るだろうから、このコンゴウハツを置いていく」


 動揺するパウーの前で、マリーはこともなげに腰のサックをあさる。


はらを守るキノコで、この薬効がある間は、腹の子を気にせず全力を出すことができる。ナナイロの力が少し入っているから、よほどの時以外はむな」

「コンゴウハツ……?」

「パウー。会えてよかった」


 パウーは膝元に置かれた、小さく金色に輝くキノコをまじまじと見、

 そしてはじかれたように顔を上げる。


「んじゃな」

「マリー! あかぼしマリー。あなたは、ビスコの……!」


 顔を上げたとき、

 ほんのコンマ数秒前までそこにいたはずの、マリーの姿はなかった。

 ほのかな胞子の輝きと香りを残して……

 菌聖は、最初からそこに居なかったかのように、消えてしまっていた。


(…………。)


 パウーに驚きはなかった。

 何か不思議なみちびきを感じて、パウーはふところにそのコンゴウハツをしまうと、気取られないように床から立ち上がる。


(運命が動くときのにおいがする。行かなくては。ビスコのもとへ!)


 決意とともに、部屋の隅にかけてあるてつこんつかむと……


「パウー殿! おひまであろう。それがし、かぼちゃのチャウダーを作って候──ッッ」

(すまない、法務官殿!)


 ずしん、ずしん! と歩いてくるサタハバキを気取って、客間の窓を飛び降りた。パウーは黒髪をひらめかせて、所以ゆえんの知れぬ決意を抱き、そのままべにびしの国を駆け抜けていった。




刊行シリーズ

錆喰いビスコ10 約束の書影
錆喰いビスコ9 我の星、梵の星の書影
錆喰いビスコ8 神子煌誕!うなれ斉天大菌姫の書影
錆喰いビスコ7 瞬火剣・猫の爪の書影
錆喰いビスコ6 奇跡のファイナルカットの書影
錆喰いビスコ5 大海獣北海道、食陸すの書影
錆喰いビスコ4 業花の帝冠、花束の剣の書影
錆喰いビスコ3 都市生命体「東京」の書影
錆喰いビスコ2 血迫!超仙力ケルシンハの書影
錆喰いビスコの書影