錆喰いビスコ8 神子煌誕!うなれ斉天大菌姫

3 ②

 風が起こって草をぎ、川を逆巻いて土をでれば、そこかしこから『ぼんっっ』『ぼんっっ』とキノコが隆起し、岩々をかち上げる。

 はっついていた岩が空中に浮いたこけすべの、その恐怖たるや、


「あ──っ! いたいた──っ!!」


 かわいそうなほどに十対の足をばたつかせ、転がるように逃げていく。


「ずっどーんっ! とかげさん、わすれものだぞ──っ!!」


 一方のシュガーはわいい手にこけすべの尻尾を握っており、これを返してさしあげようという意志に変わりはないらしい。

 小さな身体からだももう、川水でびしょびしょ、こけと泥にまみれたありさまだが、この父をもしのぐ圧倒的な生命力! 神域を我が物顔で暴れまわり、まったく疲れを知らないかのようだ。

 そしてとうとうその無邪気な手が、尋常でない素早さでこけすべ身体からだつかむ──

 その直前、


「おわわっっ!?」


 ずるんっっ! と、シュガーの小さい身体からだが、何か小さなトンネルに滑り込んだ。こけすべはシュガーの動きの寸前に大樹のうろの中に飛び込んでおり、ちょうどけつまずいたシュガーがその中に飛び込む形になった。


「オワ~~~~~ン!!」


 ごろごろごろっっ! と転がるシュガーの身体からだは、信じられないほど深く長い木のうろの中を転がり、下へ下へと落ちてゆく。くるくる回る幼児の身体からだは、コロコロ延々と落ちて、落ちて……ぼふんっっ!


「おぎゃばぶっ!!」


 ひんやりと冷えた、木とこけの洞穴のような場所へ着地した。

 柔らかに積もったこけのクッションに受け止められ、回った目を戻すまでに十秒ほど。

 見回せば驚くほど広い、ドーム状の空間である。天井は編み込んだ樹木の根で覆われており、その隙間から輝く木漏れ日がいくつも差し込んでいる。

 すぐに調子を取り戻したシュガーは、まるで新雪のようにこけが覆う洞穴の美しさに目を奪われ、こけを巻き上げて


「きゅはは──っ!」


 楽しそうに転げまわる、そこへ、

 ずるり、ずるり……

 湿った闇の奥から、巨大な気配が迫る。それはやがて、差し込む木漏れ日に照らされるシュガーの身体からだを、影で覆い……


「……!? オワワッッ!!」


 見上げる幼児の表情を、きようがくに染め変えた。

 こけすべの、


『 ぼ が お あ ──── 』


 成体である!

 見えている頭だけでもすでにアクタガワより大きい。寿命の長いこけすべの中でも、これは相当な古株、あるいはこのてらすいわの主と言ってもいいだろう。

 ほうこうは柔らかなこけを巻き上げ、シュガーの髪をばさばさとはためかせるほどだ。シュガーはぱちぱちと目をしばたたいて、何かに気づいたようにふところをあさり……


「とかげおかあさん、わすれもの、どーじょ!」


 先にひきちぎれたようこけすべの尻尾を、ちょこんと差し出し、

 にこっ! と幼く輝く笑みを見せる。

 その顔面を、

 ど、がんっっ!!

 一文字にぐ巨大なこけすべの舌が、空気を割いて思い切り打ち付けた。

 幼児の身体からだにひとたまりもない。シュガーはそれこそ蹴られたボールのように洞穴をブッ飛び、木の根がからまり合う洞穴の天井にぶち当たって、どがあんっ! と白煙を上げる。


「 !? !? !? 」


 くずとともに、どさっ、と地面に落ちるシュガー。

 常人ならはじけ飛んでいるであろう身体からだには、なんと傷ひとつない。しかしその表情はきようがくに染まり、つぶらな瞳をいっぱいに見開いている。


( ………… ? ? ? ? ? )


 理解が……

 できなかったのであろう。自身が百パーセントの善意でやったことが、なぜ暴力をもって迎えられなければならないのか?

 肉体よりも精神のショックで、シュガーは「こぷ」と胃液をわずかにこぼす。

 これはおおこけすべにしてみれば、我が子を半死の目に遭わされたのであるし、そもそも人と獣のモラルがうはずもないのだが……

 ずしん、ずしん! 緩やかだが明確な敵意をもって迫りくるこけすべに対し、シュガーは震えながら、握りしめたこけすべの尾をもう一度差し出す。


「お、おかあさん。わ、わすれもの、どーじょ……」


 どがあんっっ!!

 尾の一撃! 今度は直上からの振り下ろしである。その大樹がごとき尾撃をまともに受けて、きつぶれなかった生物はこれまで居なかったに違いない。

 おおこけすべは『ぼおお』とひとつえ、ひきにくになった人間を確認しようと、尻尾を上げ……

 ようとして、

 ぐわあっ、と何か巨大な力に、自身の身体からだが持ち上げられていることに気がついた。尻尾の先端を何かすさまじい力がつかんで、


「 ば るるるるる───っっっ!! 」


 洞穴の360度を、ぶうん、ぶううんっっ! と振り回しているのである。まさか、己の巨大な身体からだが宙に浮くとは思っていまい、おおこけすべも『ぼおあおあお』ときようこうえ声を上げて十対の足をばたつかせている。

 巨大な力はそのまま、


「 ばるあッッ!! 」


 尻尾を離してぶん投げ、とてつもない巨体を洞穴の壁にぶち当てる。

 すばやく体勢を立て直すおおこけすべは、その眼前に、暗い洞穴の中で虹色に輝く小さなものを見据えて、喉の奥で低くうなった。

 風もないのにゆらゆらと、かげろうのようにゆらめく髪。


「ふーっ! ふーっ!」


 全身からちようしんりきの胞子をまき散らす、そのキノコ人間の幼児は……

 はじめて味わった「わかりあえない」絶望と行き場のない怒りに煮えたち、天の川のように輝く涙を、ぼろぼろと流し続けている!


「ううう。うう、」


 ぽろぽろ泣きながら、


「シュガーを、いじめるな────────っっ!!」


 ものすごい音波を吐き出して、広い洞穴中をがたがたと揺らす。叫びに呼応して胞子が発芽し、地面といわず天井といわず、ぼんぼんぼんっ! とキノコを咲き誇らせる。


『 ぼ が お あ ─── 』


 え返すおおこけすべ。あるいはこれを放っておけば、このをすら滅ぼされると感じたのやもしれぬ。驚異的な音波に震える洞穴の中、決意とともに地面を蹴り、我が子たちを、神域を守るため、シュガーめがけておどりかかる、

 その腹めがけ、


「のびろ、にょいぼ───っっ!!」


 どぼぐんっっ!!

 地面から伸びあがったキノコが直撃し、巨大な身体からだを打ち上げる。大地をぶったたいたシュガーの力が土を伝い、さながら孫悟空の仙力のようにエリンギを咲かせたのである。


『 ぼ あ あ 』

「ふたつ、みっつ!」


 追って、ぼぐん、どぼぐんっ! 二本、三本と咲いたエリンギがさらにおおこけすべを高く打ち上げ、洞穴の天井高くまでその巨体を跳ね上げてしまう。

 そして、


「おちろ────っっ!!」


 ず、どおおんっ!!

 とどめの一撃、シュガーが手を振り下ろせば、今度は天井から逆向きに生えたエリンギが地面へ向けておおこけすべを打ち落とし、ギロチンのように突き刺さる。によらいが山を落とすがごとき一撃に地面のこけは四方へ吹き飛び、おおこけすべは腹を押しつぶされて大きく身をよじる。

 すでに勝負あった。

 この小さなキノコの神が、おおこけすべを制したことはだれの目にも明らかであった、が……


「ぶっころす……!」


 絶望と怒りに燃えるシュガーの力が、それで弱まることはない。

 優しい心を、裏切られたこと……

 初めてのそれが相当にショックだったのだろう、純真だったはずのつぶらな瞳には今や殺意のほむらが揺らめく。ぎりぎりぎり、とエリンギを操る手に力をこめれば、天から伸びたエリンギがおおこけすべ身体からだをすりつぶさんと力を増す。


「ころす、ぶっころすっ! しんでしまえええ──っっ!!」


 エリンギに神威の力が宿り、いよいよおおこけすべ身体からだが潰されてしまう、その直前、

 ずばんっ!


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