富士山嶺の丘に、レッドは立っている。
(…………。)
風が吹き付ければ、レッドの炎の髪がばさばさと躍り、夜に美しくなびいた。
『かっ』と見開かれた両目には強靭な翡翠の輝きが宿り、煙る睫毛の向こうで、昼のように光る富士山頂を見つめ続けている。
その、隆々たる筋骨。
巌のような背中、肩、腕、それらは歴戦の傷に塗れてなお力みなぎり、抱きしめれば巨木すらへし折るような、壮絶な迫力に満ちている。
人呼んで『双子茸のレッド』。
地球最後のキノコ守りであった。たくましく組まれた両の腕の中に、脅すように張り出したその胸が、レッドが『女戦士』であることを最後に付け加えていた。
(今日が、あたしの。)
(赤星ビスコの──)
(最期の戦いになるわけか。)
赤星ビスコ。
レッドの本名である。己の名をひとつ呟いて、拳と掌をばしんと合わせれば、なめし茸の外套がはためいて太い両腕が露わになった。
その腕、いや、レッドの全身には、まるで業火のような刺青が刻まれ、実に喉首までを覆っている。その刺青の一つ一つが、うずくような痛みを以ってレッドに語りかけるのだ。
勝て、ビスコ。
勝て──
(勝つさ。)
レッドは己の中に揺蕩う無数の英霊たちにそう言い聞かせ、焦げるように熱い刺青をひと撫ですると、再び外套でそれを覆った。
(あと少しの辛抱だ。あたしの中の、幾千人の英霊たち。)
刺青が放つ、怒り、無念、祈り……。
今やレッドの中には、それら魂の怨嗟が力となって渦巻いている。度重なる戦いで散っていったキノコ守りの英雄、その力の集積体が今のレッドなのだ。
負けるわけにはゆかぬ。
自分のため。英霊たちの無念のため。そして……
「ビスコ!」
澄んだ声が、背後からレッドに呼びかけた。鬱蒼とした森林を器用にかきわけて、愛蟹アクタガワの姿がのそりと現れる。
そして、その鞍上には。
「探したよ。一人で動いたら、危ないってば!」
「ミロ!」
猫柳ミロ、二つ名を『双子茸のブルー』。
レッドとは魂の絆で結ばれた、相棒である。巨軀なレッドと反対の小柄な少女ながら、パンダ痣の奥には強い意志の光をきらめかせている。
「逃げたと思ったか、あたしが?」
「まさか。でも、思いつめてたから。一人で行ったかもとは思うじゃん」
「行くわけない。あたしは約束は守る!」
すねたように頰を膨らませるブルー、レッドはその隣に飛び乗って肩を組み、強引に相棒の頭を胸にかき抱く。
「怒るなよお。あたしとおまえ、死ぬときは一緒さ。だろ?」
「むう~~っ……」
アクタガワは少女二人のやりとりに、呆れたように鋏で土をほじっている。結局なんだかんだでブルーが懐柔されてしまうところまで含め、いつもの光景なのだ。
「──だめだよ、死んだら。シュガーのために、生きて帰らなきゃ」
「そうだ、ミロ。シュガーはどうした?」
「カプセルベッドの中で、ぐっすり寝てる。チロルが真言の結界を張って、そこに隠してくれたんだ。外から見つかることはないはずだよ」
「で、そのチロルは?」
「あっ……」
「お~~い、バカパンダ!!」
理知的な声が富士の森の中から響くと、「ぜえぜえ」と息を切らせて、小柄なシルエットがそこに現れた。
アクタガワの足元にへたりこみながら、くらげ髪の少年が恨みがましく言う。
「あほか。ぼくが結界を張っている間に、置いていくな!」
「ご、ごめん! ビスコが心配で……」
「乗れ、チロル!」
笑ってレッドが差し出す腕を、汗だくのチロル少年は黒縁眼鏡越しに睨む。
やがて眼鏡を直し、「ふん!」と鼻を鳴らして助けを借りると、引っ張り上げられた身体をアクタガワの荷物袋に滑り込ませた。
「いいか赤星。〈錆神〉を仕留めるチャンスは、ほんの一瞬だ」
〈錆神〉。
チロルが発するその名前こそ、キノコ守りの宿敵。人類の魂を奴隷とし、滅びの静寂の中に君臨する、歯車の神である。
レッドたち三人と一匹、この場に残った最後のキノコ守りたちの使命は、この錆神を打倒し、その支配を打ち破ることにある。
「お前の鷹の眼を使って、奴の知覚の外から弓をぶち当てる。あのパウーが鉄棍で敵わなかった相手だ、有視界戦に持ち込まれたら勝ち目はない」
「…………。」
ブルーがわずかにうつむき、睫毛を震わせる。その横顔を見て、レッドは己に刻まれた刺青が、一層熱く燃えるのを感じる。
「……パウーの命を無駄にはしない。あたしが負けるもんか」
「ビスコ……」
「行こう」
レッドは短く言いながら、決意の弓をその手に構える。
「あたしの中には、死んでいった皆の力が宿ってる。だからあたしを信じろ、ミロ。みんなで生きて帰って、かならずシュガーを抱き締める!」
ぎらりと輝く翡翠の両目を見返して、
「……うん!」
ブルーが強く頷く。そしてアクタガワの手綱を取ると、錆神の待つ富士山頂めがけて大蟹を駆けさせてゆく。
眼下に広がる滅びの世界を見ながら、レッドは炎の髪をなびかせる。身体の内に燃え上がる刺青が、灼熱とともに訴えかける。
『斃せ ビスコ』
『骨折り 身を焦がしても』
『錆神を斃せ』──
(わかってる!)
圧し掛かってくる英霊たちの思いに応えるように、翡翠の眼は光り輝いた。
(勝つ。)
(絶対に、勝つ!)
(あたしのために死んでいった、みんなの魂のために!!)