錆喰いビスコ9 我の星、梵の星

3 ①

 山頂。

 山肌にしの玉座に、一人の少年が腰かけている。

 脚を組みほおづえをついた、尊大な様相。氷のような美貌に退屈そうな表情をたたえ、吹きすさぶ風の中でまばたきひとつする様子はない。

 そして、その周囲を──



(かなえたまえ)

(かなえたまえ)

さびがみさま)

さびがみ ラストさま)



 明滅する無数の人間の魂が、光の渦となって旋回している。

 ひとつひとつはわずかな明かりにすぎない魂たち、しかし少年の周りに渦巻くそれはおびただしい数で群がり、夜の山頂をまるで昼のように照らしている。



(かなえたまえ)

(富)

(才能)

(権威)

(かなえたまえ、かなえたまえ)



 少年は……

 いや、〈さびがみラスト〉は、渦巻く魂たちが放つ願いのうめきに、へきえきしたようなためいきをついた。そしてほおづえをついたまま、その細く美しい指をぱちりと鳴らす。

 すると、



(おお!)

(金だ、金だ、)

(使い尽くせぬ、富だ!)

(あああっっ──)



 渦巻く魂、その三分の一ほどがひときわ大きく光り輝き、念願のかなう喜びに打ち震えた。

 さびがみラストの力で、死後のまぼろしの中でその願いをかなえたのである。かなえられし魂はおおいなるよろこびとともに、ラストの体内へと吸い込まれてゆく。



(おお、われも)

(わたしも)

(かなえたまえ、かなえたまえ、)



「…………。」


 少年はもう一つためいきをつき、続けざまにぱちり、ぱちりと指を鳴らした。いちどき指が鳴るたびに、迷える魂たちの願いはかなえられ、よろこびにふるえる。



(おお! この、あふれる才能!)

(見下ろすばかりの権威!)

(うれしい、うれしい──)



 夢の中で願いをかなえた魂たちは、心からさびがみへの隷属を誓い、その体内に吸い込まれる。ラストが指を十回も鳴らさぬうちに、玉座に集った魂はすっかりわれきってしまった。


「……けぷ。」


 いつもと変わり映えしない〈食事〉を終えて、ラストが小さなおくびを漏らす。

 満腹のよろこびをたたえるどころか、胃の中のものを軽蔑しきった、冷徹極まりない表情だ。まさに、苦虫をみ潰したような……と、表現できる。


『ラストさま、ラストさま』


 その耳元に、どこからか一匹の羽虫が、やかましい羽音を立てて飛んできた。羽虫はさびがみの周囲をくるりくるりと舞いながら、やがてその肩口に留まる。


『お味は如何いかがでございましたでしょう。小さな羽虫のこのンナバドゥ、腕によりをかけて、りすぐりの人間の魂を集めましたれば──』

「マズイ。」


 視線すら動かさぬ、一言である。


「泥でもすすっているようだ。いずれも俗の願いを抱えた、せんの魂であった。」

『それでは、お口に合いませんで……』

「おまえの羽音はもううんざりだ。どこへなりとも、飛んでゆくがいい。」


 美貌の少年神が言う残酷な言葉に、羽虫のンナバドゥはすっかり慌てふためいて、『おお~~っ!! お許しを、さびがみさま!』とあわれっぽく泣き叫ぶ。

 少年の手の甲に留まって忠誠の口づけを何度も落とし、なんとか機嫌を伺っているようだ。


『どうかお許しを。次はかならずうまくやりまする。この力なきンナバドゥ、さびがみさまなくして、生きてはゆかれぬのでございます』

「おまえはそうでも、にはおまえはいらぬ。」

『そんなことおつしやらないでェ~~ン』


 必死に手の甲であいきようを振りまくンナバドゥ。

 その小指の先ほどのボディには、純金のリングや首輪がきらめき、動くたびにやかましく輝いて、にうるさい。


(ふん……。)


 自らに許しをはえの舞いに、少年神は怒ることすら馬鹿らしくなってしまい、無表情のままもう一つためいきを重ねた。

 ラストの表情は氷のように変わらないが、この羽虫のンナバドゥからすると、微細な空気の変化で機嫌がわかるものらしい。羽虫は抜け目なく絶妙な間を取って、さびがみの気分が直ったことを察すると、ふたたびずうずうしく羽音を立てて飛びはじめた。


『きゅふふっ。さあ、お食事が終わったら、運動したほうがよろしゅうございます。玉座からお立ちになって、少しお散歩なされませ』

「ん。」


 ンナバドゥの案内に従って、ラストが立ち上がった。

 きやしや身体からだの各所にあしらわれた歯車のモチーフは、さびがみがその名の通り、無機的な神であることを示している。無限の力を持つ自動人形。未来を夢見た人間が思い描いた、機械じかけの少年ヒーローをほう彿ふつとさせる。


『やあ、歩けばたん、ラストさまの御姿。こちらへどうぞ──ほうら、ここから下界が一望できます。あれに立ち並ぶ、さびの像がご覧になれますか?』

「うん。」


 羽虫の言葉に従って山頂から見下ろせば、そこには。


『あれこそ、さびがみさまの威光に自らひれ伏したものたち。魂をささげた抜け殻でございます』


 さびがみに自らその魂をささげた、さびの像たちが見える。その有り様はまさしく抜け殻、人間がさびがみの奇跡に屈したことの証左である。


『いまや殺さずとも、人間のほうから魂をささげてくるのですから、楽なものですなァ』

「……なぜ、こやつらは、に手向かわなかった?」


 おびただしい数のさびの像を、軽蔑したようにいちべつして、ラストが疑問を口にする。


「これだけの数で向かってくれば、に一太刀ぐらいは浴びせられたろうに。戦うどころか、自ら隷属を選ぶとは……。」

『だって。魂の対価に、御身に願いをかなえていただけるのですぞ』


 ンナバドゥは身振りもまじえ、じようぜつに言葉を続ける。


『そんなサイコーな話はないでしょう。一方のラストさまは、魂をっておなかいっぱい。まさに、ウィンウィン、ウィンウィンウィンの関係でございます』

「…………。」


 この世界に、さびがみが降臨した、はじめのころは……、

 正々堂々、手向かうものたちを殺し、その魂をらうというのが、さびがみのやり方だった。しかし次第にさびがみの脅威が高まり、人間が絶望するにつれ、ンナバドゥはひとつのかんけいをたくらむようになった。


〈自ら魂を差し出したものは、その願いをかなえる〉──

 そうしたむねの布教である。ンナバドゥのもくは見事にはまり、今や自らの意志でさびがみあらがうものなど、数えるほどしか残っていない。


『ご覧ください、この布教アナリティクスを! 過去28日間にささげられた魂の数は、じつに2億6000万魂。すでに世界の男性99%、女性98%が──』


 羽虫がぶんぶんと飛び回って、空間にラストの支配率を示すグラフを描くが、少年は一目すら見もしない。静寂の眼下を見下ろして、腕を組んでつまらなそうにつぶやく。


「なにが、願いだ。の腹の中で、まぼろしを見ているだけではないか。」

『ラストさま。何がそのようにご不満なのです? 日々、御身にささげられる魂の量は、増え続けておるというのに』

ささげられた魂など、幾らおうが何の味もせぬ。」


 ラストはかつての戦いの日々をなつかしむように、わずかに目を細める。


「気高き魂は、自ら隷属などせぬものだ。最後まであらがい抜こうとする戦士の魂。それを折り、砕き、の力で隷属させて初めて、魂らいの愉悦はあるというもの。」


 気骨ある強者をたおし、無様にいつくばらせること。

 そのぎやくの達成感が、さびがみラストにとってはよろこびであったということだろう。しかし数字ばかりを追いかける羽虫にそんな粋は理解できない。


『またまた、ラストさま。いまどきそんなアナログな──』

「あるいは、おまえが。」

『きゅひっ?』

「おまえが余計なことをするから、魂の質が下がったのではないのか?」

『ら、ラストさま、落ち着い……』

せんはえめが。」



刊行シリーズ

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