錆喰いビスコ9 我の星、梵の星

4 ①

「アクタガワ────ッッ!!」


 がばっっ!! とビスコは跳ね起き、汗みずくの顔で周囲を見回した。

 強いどうが、喉まで強く脈打っている。自分の心の半分を引き千切られたような、強烈すぎる精神への痛み。

 脳裏に色濃く焼き付いた、死の気配──

 しかしそんなものは、いま、ビスコの周囲にはまるで存在しない。


(ラストはに!? ……ラスト? 誰だ、そいつは?)


 そういうものの姿は影も形もない。ただ気持ちのいい夏風が吹く、エメラルドグリーンの海面が目の前には広がっている。


(……まただ。また、俺は変な夢を……!!)


 結局昨夜眠れなかったビスコは、浜辺でまたついまどろんだものらしい。夢の記憶をなんとかはんすうしようとするも、頭にもやがかかったように、先ほどまで見ていたビジョンを思い出すことができない。

 そこに、ひょこりと、

 めんどくさそうに顔を出すアクタガワの姿。

 おおがには木陰で大きなヤシの実をもくもくと食べ、休暇を楽しんでいる最中であった。


(なんだかまた、ビスコのやつがさわがしいなあ……)


 とでも言うような仕草である。


「──あ、」

「あ、」

「アクタガワ──────ッッ!!」


 そんなあきがおの自分のおなかに、いきなり弟分が飛び込んできたので、滅多なことで動じないアクタガワも流石さすがに面食らってしまった。その勢いで揺れたヤシの木から実が落ちて、おおがにの眉間にポコンと当たる。

 なんだあこいつ~!

 アクタガワは、抗議しようとするも……


「良かった。」

「アクタガワ、無事で……!!」


 自分に顔をうずめて泣きじゃくる兄弟を見るに、怒りより不思議さが勝ってしまい、動くに動けなくなってしまった。そうして一向に自分から離れる気配がないので、アクタガワは仕方なしに、ばさみでビスコの背中をでてやるのだった。


 ***


「そりゃアンタ、黒時空の夢でも見たんじゃないの?」

「黒時空???」

「あたしたちの住む白時空の裏にある、もう一つの世界。それが黒時空だよ」


 水着のチロルはマッシュルームで作ったビーチチェアに寝ころび、薄桃色のトロピカルジュースを片手に持って、優雅に脚を組み替えた。


「うちのおじいちゃんが観測したことだけどね。こくびやく時空論は、この世界は二つの時空のせん構造になって続いてる、っていう論説なの。まるで鏡映しみたいに、似て非なる時空がそこにはあるんだって」

「鏡映し……」


 軽口でからかったつもりが、妙にビスコが考え込むので、チロルは面白くなって起き上がり、サングラスを外してその顔をのぞき込む。


「たかが夢に随分こだわるね。そんなリアリティあったの?」

「だって何度も見るんだ。俺が、女になってて……」

「女ぁ~~!? アンタが!?」

「お前も出てきた。男になってたぞ」

「ええっ、あたしまで!? いや~~想像できんな……」

「世界が……人間がみんな、さびの神様に魂を吸い取られていたんだ。俺とミロは、みんなのを覚まそうとして、それで……」


 いつもと打って変わってやけに神妙な様子に、チロルはてのひらでバンバンとビスコの背中をたたき、げらげらと笑ってみせた。


「心配するだけ無駄よ無駄! それがマジで黒時空のビジョンだったとして、どうせ行ったり来たりできないんだし。二分の一でい時空引いたね、あかぼし!」

「う~~む……」

「パパ~~~~っ!!」


 海面から聞こえる声に、そちらを向く二人。


「見て見て、サーフィン!」


 そこには陽光を浴びてかがやく菌神シュガーが、胞子で作ったサーフボードの上に立ち、みごとに大波を乗りこなしている──と思ったが実はボードの下には、それをかつぐ数人のたちが必死に足をバタつかせており、


「えっほえっほ!」

「みずしょっぺ~。」

「おまえ、口ないだろ。」

「あそっか……。」

「みんなー! また波がくるよ。ファイト、いっぱつ!」

「「「ずっどどどん!」」」


 シュガーとともに、はじめての海水浴を楽しんでいる。

 本来、危険な海洋生物がうごめく海中に、裸で入ろうなんて命知らずもいいところなのだが、海神であるメアを従えた今のシュガーには、魚がいかかってこないのだ。

 ならばということで、チロルの提案により、あかぼし一家は海水浴に来たのだが……


「シュガー、水着はちゃんと着ろ! はしたないぞっ!」

「あんたも泳ぎなよ、あかぼし。海水浴なんて、現代人の夢だよ?」

「うん。あとでな……」

「あとでってことある!? だいたい一枚も脱いでないし。泳ぐ気ないでしょ!!」

「うう……!!」


 あかぼしビスコのこのおびえよう。

 はるかに広がる海を目の前にして、キノコ守りのがいとうすら脱ぐ気はなく、そのはるかな海底に想像力を巡らせてガタガタと爪をんでいるのだ。


「泳ぐに決まってんだろ! ただし決意ができたらだっ! あと二時間ほど」

「何がそんなに怖いことあるの!? 海ん中で戦ったこともあるでしょ」

「あの時は若かったんだっっ」ビスコは過去、アクタガワと海中で繰り広げた冒険のことを思い出し、ふたたび青ざめた。「海はいにしえより亡霊のそうくつ。無念を抱いて死んだ魂たちは、海底にまってゆくという……ミロが言ってたんだ!」

「あのねえ。あのパンダは、あんたが怖がるから、面白がって──」

「陸地にいる間は弓聖ジャビの加護がある。でも海中は別だ! なぜならあのジジイはまったく泳げなかったからだっっ!」

(だめだこりぁ)


 ミロの怪談話を完全に真に受けてしまったビスコは、この真昼間でももうりようたたりに触れるのを恐れているらしい。そんなビビりちらかしている父をしりに、シュガーはどんどん沖のほうに行ってしまう。


「あ~あほら。シュガーが行っちゃうよ!」

「えっ、そんな!」

「この先、娘が一緒に泳いでくれるなんてこと、そうそうないよ~? あかぼしパパにとって、一生後悔することになるだろうな~~」

「待ってくれ~!」

「口だけで、微動だにしてねーじゃねーか。ウニか、お前は!!」

「ぐぇっ!」


 まったく動く気配のない赤ウニ頭を、べしん!! とチロルがはたく一方、シュガーはのサーフィンによって、どんどんと沖の方へと進んでゆく。

 一面の海と雲一つない快晴に照らされて、太陽の髪が輝いた。


「いやっほ~~いっ!! みんな~~!!」


 幼い少女が手を振れば、ウミガメがのそりと視線を向け、小魚たちが面白そうに海面を跳ねてついてくる。ひときわ大きな魚影が、シュガーの下から大きく潮を噴き上げれば、輝く飛沫しぶきが少女の笑顔をまばゆく照らす。


「きゃーっ! あはははっ!」


 隣人であり神であるシュガーを、海が歓迎しているのだ。

 父と母が……いや、幾多の英傑たちが、苦闘の果てに勝ち取ったこの世界に、今いきいきと生命が脈打つのを、シュガーは感じる。歴史のどこかで運命がわずかに間違えば、この景色は存在しなかったかもしれないのだ。


(ここが、地球。シュガーの星!)


 少女の胸の内に、こみ上げる無限の愛。確かにその時、菌神シュガーは地球の母として、世界をまもり続けることを決意する──

 その、

 崇高なる瞬間に、突然!


『ごうッッ』

「きゃっ!?」


 青空に極光がひらめいてシュガーのをくらましたかと思うと、太陽色に輝く物体が空気を裂いて、まるでいんせきのように海上に墜落してきたのだ。


(あれは!?)


 墜落してくる、それだけならまだしも。

 なんとその流星は意志を持つように、明らかにシュガーめがけて落ちて来るのである。

 たちが、


「なんぢゃ~!?」

「テンペンチーだ」

「にげよう」


 慌てふためくのも無理はない。なにしろいんせきは、周囲の海水すら沸き立ち、干上がらせようかというほどの超高熱なのだ。

 逃げようと親分であるシュガーの顔をうかがうが、しかし……。


「げっ。そのかお!」

「おやぶん、やるきか?」

「当然! シュガーがまもらないで、誰が地球をまもるの!?」


 いかなる脅威が、再びあかぼしの宿命の前に立ちはだかったものか? しかしそれが何者であれ、シュガーが取るべき道は変わらない。シュガーは父親ゆずりの犬歯をぎらりと光らせて、片手を掲げてたちに呼びかけた。


「みんな、いつものいくよ!」

「「「え~~?」」」


刊行シリーズ

錆喰いビスコ10 約束の書影
錆喰いビスコ9 我の星、梵の星の書影
錆喰いビスコ8 神子煌誕!うなれ斉天大菌姫の書影
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