2 セフレ -FWB-①
小学六年生の春、俺はルインに告白した。
俺はルインが大好きだった。ルインの屈託のない人柄も、
一世一代の告白に、ルインは「いいよ」と言った。
その時のことを、俺ははっきりと覚えている。ルインの声色は
その後にしたキスの感触のことも覚えている。ほのかに漂った、フルーツミルクのような、どこか
だが──その一週間後に起きたことについて、俺はまだ心の整理ができていない。
ところで英和辞典には、英単語帳には記載のない古い和訳も書かれていて、そこには「〈古〉貞操の喪失」と書かれている──。
*
ルインの路上キスをまざまざと見せつけられた翌日の、六月某日のことだった。
昼休みに弁当を食べていると、ふと後ろの席から声をかけられた。
「ワタ、ちょっと来て」
ルインの快活な声だった。ワタというのは俺、
俺は思わず、ぽかんとしてしまった。俺だけではなく、他のクラスメイトたちも皆、物珍しそうに俺とルインを交互に眺めていた。
ルインと俺は同じ中高一貫の私立の進学校に通っていたが、クラスカーストは大きく隔たっていた。俺のカーストは下位だったが、ルインはおおむねカーストの最上位にいた。だからルインが俺に話しかけるなんて、ちょっとした事件だった。
ルインには、悪い
ルインが俺に何の用だろうと俺は思った。
「ほら、行こう」
ルインは教室の扉のところにいて、廊下に半分体をはみ出させていた。彼女は必要以上に注目を集めてしまっていることが煩わしそうな様子だった。
「ああ、わかった」
と俺は言ったが、動揺していて、
ルインと一緒に教室を出ていく時、後ろからルインの友人である、
ルインと連れ立って廊下を歩いた。
ルインは行く先々で注目を浴びた。彼女は誰だって自然と目が行ってしまうような美人だし、それにくわえて彼女は今、髪の毛を真っ青に染めていたからだ。
こういった大胆な染髪は似合う人が限られるものだが、ルインは美人だから──と言ってしまうのは単純すぎるし、実際は色んな要因が
俺の高校の校則はゆるいので──一般的に、進学校ほどなぜか校則がゆるいという現象があるらしい。真偽は知らない──髪が青くても校則違反ではないが、さすがにここまで派手に染めている生徒はルインくらいだろう。昨日と違ってピアスは外しているので、もしかするとピアスは校則違反なのかもしれない。猫の首輪のようなチョーカーも着けていない。
やがて俺たちは学校の中庭に
中庭の中央には巨大なケヤキの
開放的で
入り口から見て一番近くにあるチェアに、ルインは制服のスカートに
俺が座るのを見届けると、ルインは間髪入れずに言った。
「ワタ、私たち付き合わない?」
告白の言葉の後、しばらく沈黙が訪れた。
六月の生ぬるい風が吹き、ケヤキの
ルインの突然の告白を聞いて、俺はしばらく言葉を失ってしまった。
『そうか、ルインは俺のことが好きだったのか』だなんて、
「返事してよ」
返答が遅い俺に、若干
「えーと……ちょっと待って。どういうこと?」
と、俺は声を絞り出した。
「聞いての通り告白だよ。私と付き合って」
子供の頃からあまり変わらない声色でルインは言った。
「いやいや」と俺は言った。
「いやいや?」
「ありえないでしょ」
「ありえない?」
「だって、その……」気になることは色々とあったけれども、まず、「ルインって彼氏いるんじゃないの?」
「どうしてそう思うの?」ルインは目をぱちくりさせた。
「ほら、昨日の夜、駅前でキスしてたし」
するとルインは「あー」と合点の声を上げた。続けて「えー」と驚嘆の声を上げた。
「見てたの?」
「まあね。偶然」
「あれは彼氏じゃないよ」
「ラブラブっぽく見えたけど」ラブラブ、という言葉では収まらないくらいにいちゃついていたけど。「彼氏だったけど、昨日のうちに別れた、的な?」
と、なんとなく的外れなことを言っているような気がしながら俺は聞いた。
「そもそも付き合ってないよ」ルインは淡々と答えた。
「じゃあ、あの人はなんなの?」
ルインはすこしの間を空けてから、べつにそこまで
「セフレだよ」
と淡白に言った。
その言葉と共に、ふたたび沈黙が降りた。まるで俺とルインの間に、小さな雲がぽっかりと浮かんだかのような沈黙だった。沈黙の雲には『セフレだよ』と書いてあった。その言葉を俺が理解するために設けられたような一時だった。
徐々に実感が湧いてきた。あれだけイチャイチャしていたのだから当たり前なのだが、ルインと駅前で見たチャラ男は、セックスをしているのだ。裸になって、俺がしたことのないあれやこれやをしているのだ。そんな生々しい想像をしてしまう。
俺が黙り込んでしまったからか、ルインはしびれを切らしたように言った。
「じゃ、納得できたところで、付き合おうか」
「待て待て。まだ全然納得できてないから」ツッコミの要領で、ようやく声が出た。
「彼氏はいない、ってことは説明できたよねー」
ルインは得意げに言った。「ねー」の声と共に、なぜだか両手でピースした。指が途中で折れ曲がっている、猫の手のようなピースだった。
「いやいや、セフレがいるじゃん」
「セフレがいるのは駄目ってこと?」
「駄目っていうか……」
「セフレの意味はわかる? 童貞のワタにもわかる?」
「セックスフレンドですが……」と俺は言った。女の子に向かって「セックス」と口にすること自体、なんとなく恥ずかしかったが、ここで
「そう、フレンドだよ」ルインは強調するように言った。「つまりは友達だし、そこから恋人に変わるってこともないんだよ」