第一章 祓魔師②

 さっきまでの痛みなんて忘れて、母親がなみだを流しながらおむつをこうかんしている光景に思わず笑ってしまう。

「……うん。ちゃんといを乗りえてる。これなら、だいじようよ。イツキ」

 笑ってしまったのだが、母親の言葉で思わず真顔になった。

 聞きちがいじゃなかったら、母親は『マグイ』と言った。

 なんだろう。一度も聞いたことのない言葉だ。それがあの激しい痛みと熱のしようじようの名前なんだろうか。

 マグイ、ぐい? いや、ちがうな。意味が分からない。

 もしかして俺が知らないだけで、子育てだといつぱん的な言葉だったりするんだろうか。だとしたら俺だって聞き覚えがあっても良いと思うんだけどな。

 調べようにも、スマホはないしパソコンだってこの身体からだだと使えない。そもそもパソコンがこの家にあるのかも分からない。

 けれど、あれが相当ものだということくらいは分かる。

 うんちが出なかったらちがいなく死んでいた。

 ぞっとするような理解とともに、俺は『もしも』を考える。

 もしも、さっきのが本当の赤ちゃんをおそってたらどうなるんだろう?

 中身が大人の俺だってちゆうで全身に力を入れることしかできなかった。それ以外にていこうなんて出来なかったし、そもそもていこうなんてことも考えられるゆうがなかった。そんな痛みが本物の赤ちゃんをおそっていたら……死んだっておかしくないんじゃないのか?

 だったら、母親が言っていた『三歳まで無事に育ってほしい』って毎回願ってたのは、このマグイが原因だったのか。

 いやだ。せっかく生まれ直したのに、すぐに死にかけるような人生はいやすぎる。

 もっと楽しい人生を送らせてしい。

「ちゃんとれるかな、イツキ」

「う」

 おむつを片付けた母親に頭をでられて、俺はそう返す。さっき力んだときにあせばんだかみの毛が額に張り付いていたのを母親ががしてくれた。

 それで最後の最後まで快適になったので目をつぶってねむろうとしたのに……ねむれなかった。

 腹の底に感があるのだ。

「……うみゅ」

 腹にあるのは痛みじゃない。

 熱だ。腹の底に熱がまっているのだ。それが分かる。

 さっきの『マグイ』が終わってから急に感じられるようになった不思議な熱だが、『マグイ』みたいに悪い感じはしない。むしろ、ぽかぽかと身体からだを温めてくれるやさしい熱だ。

 生まれたときからそこにあったぞ、と言われてもなつとくしてしまうほどに自然な温かみ。

「どうしたのかなー? まだねむれないみたい?」

「ふみゅ」

 温かいのは良いのだが、ねむれない……。

 冬になると足先とか手先が冷たいのに、身体からだの中心はむしろ熱いみたいな、あの感じ。身体からだの中心とはしの方で熱の量がちがうので、何とも言えない気持ち悪さがある。

 だから、ようと思ってもおなかのあたりが気になってねむれないのだ。

 ……どうしよう?

 とりあえず『マグイ』のときに熱を消したみたいに全身に力を入れてみるがダメ。何も変わらない。うーん。熱は消えなくても良いから、足先とか手先まで行ってくれると楽になるんだけどな。

 そんなことを考えながら俺は熱そのものに意識を向けてみると、ぐ……っと、熱が動いた。

「ふぇ!?」

 え、動いた! 動くのかよ、これ。

 思わぬ動きにびっくりしてしまって、泣き出すところだった。

 けど、熱が動くのならちょうど良い。俺はちょっとずつ、ちょっとずつ、熱を全身にかすことにした。まるでしるを作るときのみたいに。

 それをり返すこと数分、おなかの中にまっていた熱が全身に回り始めるのを感じた。

 ……温かい。

 思わぬ方法で解決策を見つけた俺は、ぽかぽかとする熱に包まれた。するとだいねむもどってきて、俺はうとうとしてゆっくりとねむりについた。


 それからどれだけっただろうか。

「帰ったぞッ!」

 急にげんかんの方から大きな声がひびいて俺は思わず目が覚めた。

 あまりの大声に泣き出すかと思ったが、逆にびっくりしすぎて泣きもしなかった。

 げんかんからこの部屋まで結構きよあると思うんだけど……と、母親にっこされて回った家の構造を思い出しながら、声の大きさに改めておどろく。

「イツキはどこにいる!? 元気にしてるか!」

「向こうの部屋でてますよ」

 ドタドタという大きな足音と共に聞こえてくる女の人の声は母親だ。

 母親が敬語を使っているのを聞くのが初めてで、不思議な気持ちになった。

「そうか。顔だけでもいから見たいものだ」

「見てあげてください。あなたの子ですから」

 あなたの子、ということはこの大きな声の主は父親か。父親がいたのか。そりゃいるか。

 そんな意味不明なことを考えていると、えんがわと部屋を閉じていた障子が勢いよく開かれた。そして、大人二人が部屋に入ってきたのが分かった。

「おぉ……! この子がイツキか……」

「えぇ。っこしますか?」

「……う、うむ。ずいぶんと小さいな」

「赤ちゃんですから」

 父親の太い声を聞きながら、俺はどうにかして父親の姿が見れないかと苦心した。

 首はわっていないから動かないので、どうにか目だけ動かして父親の姿を見ようとして……その姿が目に入ったしゆんかん、思わず息をんだ。

 そこにいたのが、めちゃくちゃ大きな男だったからだ。

 身体からだは分厚くて、あふれ出さんばかりの筋肉があるのが服の上から分かる。さらに顔は傷だらけで、片目はつぶれているのか眼帯までしていた。

 ど、どういうこと?

 なんで日本なのにそんな歴戦の軍人みたいな姿なの!?

 俺のおどろきはついに感情のせきえてしまって、なみだに変わった。

「ふぇええええん!」

「むっ! な、泣いてしまった……」

 いかつすぎる男が、泣く俺を前にしてまどっている姿はおもしろかったが……それでも、しようげきの方が強かった。止まらぬなみだにあたふたし続ける父親から、母親にそっと俺がわたされる。

 いつもと同じその感覚に俺は安心感を覚えて、ゆっくりと感情が落ち着いていく。

「ほら、泣きみましたよ」

「すごいな……」

っこしてあげてください。まだ首がわってないので、しっかり支えてくださいね」

「うむ……!」

 単語でしかしやべれなくなってしまったのか、父親はおっかなびっくりといった様子で俺の身体からだを再び母親から受け取った。母親とはちがう、ごつごつとした筋肉質な身体からだ。しかし、母親と同じくらいのやさしさに包まれながら、俺はある感に気がついた。

 ……ん? 温かい?

 父親の中心に、熱を感じるのだ。

 それも、俺の腹の底にあったあの熱と同じような熱を。

「か、わいいな……」

「私たちの子ですから」

 すっかり泣きんだ俺は、ほっぺをつんつんと父親にされるがままになった。しかし、俺のほっぺをつつくその指も太い。何をどうすればそんなに太くなるんだと言わんばかりに太い。しかも、指先まで傷だらけだし。どうなってるんだ。本当に。

 ほっぺをさわられることに慣れてないので俺がむっとしていると、

「あの、あなた……」

「どうした?」

「今日、イツキがいに……」

「何?」

 母親の言葉を聞いて、父親の目の色が変わった。『マグイ』って、俺が知らないだけで本当は子育て家庭ではいつぱん的な単語だったりするんだろうか。

「まだ生まれてひとつきってないだろう。まだ早すぎないか?」

「……で、でも。この子が急な熱におそわれて」

「しかし、今はつうに見えるぞ。りよくも落ち着いている」

 ……今なんて言った? りよく、と言わなかったか?

 流石さすがにそれは聞きのがせない。『りよく』はいかに子育てにうとい俺だって知っている。

 それはまんやゲームで使われる言葉だ。ちがっても、子育ての中で飛び出すような言葉じゃない。

 だとしたら、『マグイ』の指す意味も変わってくるぞ。

 マはおそらく……

 グイ、ぐい。いや、ちがうな。

 ……『い』か。

「でも、私だってきさらぎ家にとついだ者です。いを見誤りはしません」

「ふむ……。だが、むしろイツキのりよくは全身に行きわたっているように見える。まるで『カイジユツ』を行っているみたいだ」

 カイジュツ……カイジュツ……?

 一つ疑問が解決したと思ったら、今度はまた知らない言葉がでてきた。

「そ、そんなこと! だって、あれは五歳から使うわざでしょう!? 生まれたばかりの子が使うなんて。そんな話、聞いたことが……」

「ふむ……」

 父親はあごに手を当てながらしばらく思案すると、

「それなら、イツキは天才なのかも知れないな!」

 ぱっとみをかべて、父親はごうかいに笑った。

 もちろん、母親はそんな父親になつとくいっていない様子で、

「変なことを言うのはやめてください! またいにおそわれたら今度こそ死んでしまうかも知れないんですよ!? 今すぐりよくちんせい化をしたほうが……」

「安心しろ、カエデ。今は安定している。下手にりよくさわる方が危険だ。それが赤子ならなおのこと。お前とて、それは知っているだろう」

 へぇ。母さんの名前はカエデっていうんだ。今の今まで名前を知らなかったので、なんか得した気持ちになった。

「もしかしたら、イツキはきさらぎ家始まって以来のふつになるかも知れんな!」

 ……ふつ

 何だそれ……と思うよりも先に、父親が俺をきしめた。その力が強すぎて思わず泣いた。

 泣きながら心の中で思った。


 ここ本当に日本かよ!?

刊行シリーズ

凡人転生の努力無双3 ~赤ちゃんの頃から努力してたらいつのまにか日本の未来を背負ってました~の書影
凡人転生の努力無双2 ~赤ちゃんの頃から努力してたらいつのまにか日本の未来を背負ってました~の書影
凡人転生の努力無双 ~赤ちゃんの頃から努力してたらいつのまにか日本の未来を背負ってました~の書影