俺が転生してから、ちょうど一年が経った。
赤ちゃんの成長とは早いもので首は据わったし、ちょっとずつだが言葉も喋れるようになった。一年、早いようであっという間に過ぎ去った。
俺は何とか死ぬことなく一歳を迎えられることができたのだ。
あれから何度も魔喰いに襲われた。襲われる度にこの激痛に負けて死ぬんじゃないかと恐怖した。世の赤ちゃんたちはみんなこんな痛みに耐えているのか、と思ったのだが、父親曰く魔喰いに襲われるのは祓魔師の子ども、中でも魔力の多い子なのだという。
祓魔師というのは魔法を使って〝魔〟を祓うことを仕事にしている人を指す。
そう、魔法だ。どうにも、この世界の日本には魔法があるらしいのだ。
魔法というのは、つまりかぼちゃを馬車にしたり、お菓子で家を作ったり……と、発想が絵本に引っ張られ過ぎだが、とにかくそういうものがこの世界には存在しているのだという。
最初は本当に日本かよと疑っていたのだが一年も経てば分かる。ここは間違いなく日本だし、住んでいるのは東京だ。前世との違いは魔力が存在していて、魔法も実在していること。
そして、あの恐ろしい魔喰いは魔力が身体の器から溢れ出すことで起きるのだ。
ちなみにだが魔力は全ての人間が持っており、それを〝魔〟……つまりは妖怪とか、魔物とか、モンスターとか、そういう化け物たちが狙っているのだという。
俺が生まれたのは、祓魔を家業にしている如月家。ちなみに長男だ。
転生してすぐの頃、父親が数日ほど留守だったのは祓魔師の仕事で出張していたのだとか。あの厳つい顔や指の傷は〝魔〟との戦いで負ったらしい。そんな武勇伝を寝る前に聞かされた。
その〝魔〟……は、言いづらいな。モンスターと呼ぼう。
このモンスターとやらは強い、らしい。それも、めちゃくちゃ強いのだとか。何でも一体倒すのに普通は祓魔師が何人も集まって討伐する──祓う──もので、中には死んでしまう人もいるという。
俺がハイハイしながらこの家の中を縦横無尽に駆け回っていたところ、やけに遺影の並んでいる仏壇を見つけてぎょっとしたのだが……後で父親から『祓魔師は死にやすい』という話を聞いて納得した。
そして、遺影の列にある真新しい赤ちゃんの写真を見て母親が熱心に祈っていた理由も。
俺には……きっと、兄姉がいたのだ。兄なのか、姉なのか分からないけど。だけど魔喰いに耐えられずに、死んだ。だから俺が長男になった。
だが、それも分かる。魔喰いは一歩誤れば簡単に死ぬ。死んでしまう。
あの沸騰したお湯をぶっかけられたんじゃないかと思うくらいの熱と、腹の中をずたずたに切り裂かれてしまうかのような痛み。
「や!」
思わず口をついて言葉が漏れる。
赤ちゃんの口だとうまく発音が出来ないのだが、そんなことはどうだって良い。
俺はこの状況に納得がいっていないのだ。
あの不審者に刺されて生まれ直した。ここまでは百歩譲って納得するとしよう。本当は死にたくなんてなかったけど、それを今更嘆いても後の祭りだからだ。
ただ、それはそれとして、なんで生まれ直した先でも死にかけないといけないんだ。
さらにこのまま俺が大人になった先に待ち構えているのは〝祓魔師〟という殉職率の高い仕事である。当然、前世では喧嘩の一つもしたことがない俺はそんな危ない仕事に就きたくない。もう痛いのも、死ぬのも嫌なんだ。
だが、最悪なことに俺には『祓魔師にならない』という選択肢が用意されていないのである。
それは何故か。
決まっている。俺が長男だからだ。
どうにも父親と母親の話を聞いているに祓魔師の家は前時代的というか戦前の昭和の香りが残っている。つまりは家父長制と、長男が家を継ぐという長男信仰だ。
だから俺は祓魔師にならないといけないのである。
おかしいだろ。どんな三段論法だよ。
「やぁ……」
もう死ぬのは嫌だ。
どうすれば痛い思いも死ぬような思いもしなくて済むのだろうか。
最初に考えたのは、大人になったら家から逃げ出すというものだったのだが、それはすぐに上手くいかないことに気がついた。
モンスターは人の魔力を狙う。それはつまり、魔力量の多い人間が優先して狙われるということだ。ステーキで喩えると霜降りの多い場所が人気部位になったりするもんだと思ってる。
いや、ちょっと違うか?
とにかく、魔力量の多い人が狙われるのであれば、祓魔師の家に生まれた俺はその時点でモンスターたちから優先して狙われることになる……らしい。らしいというのは、父親からの伝聞で、俺は実際には見たことはないのだ。そもそもこの家には結界が張られているから、モンスターには見つからないとかなんとか……。
そういうわけで俺が家を飛び出しても、狙われるのは変わらない。むしろ、結界があるだけ家にいる方が安全だったりする。
そして、家に残るのであれば祓魔師として働くしかない。
完全に詰んでる。
どうしよう……と、俺は部屋の中で母親が買ってきたおもちゃの木琴を叩きながら考える。ぽんぽんと軽い音を立てるが、この家は俺が前世で住んでいたような集合住宅じゃないので騒音は気にしなくて良い。
「上手に鳴らすね、イツキ」
「うゆ」
叩いていたら隣に座っていた母親に褒められた。嬉しい。
……いや、そうじゃなくて。
本当にどうすれば俺は死なずにすむのだろうか。
木琴を叩きながら考える。考えて、考えて考えて考えて。
閃いた。
そうだ。強くなれば良いのだ。
なんでこんな簡単なことに気がつかなかったのか自分でも不思議なのだが……祓魔師として、モンスターと戦うことが決まっているのであれば、強くなれば良いのだ。
前世では『殺られるまえに殺れ』という言葉があった。
痛い目に遭うのは、モンスターに傷つけられるからだ。
死んでしまうのは、モンスターに傷つけられるからだ。
だとすればモンスターに殺されるよりも先に殺してしまえば……絶対に痛い思いをせずに済むんじゃないのか。死ぬこともなくなるんじゃないのか。なんでこんなことすら分からなかったんだろう。
人生のレールが敷かれているのなら、その上でどうにか死なないために足搔くしかない。
思えば俺は前の人生で足搔いたことなんてなかった。高校受験も、大学受験も、就活でさえも努力せずに自分が入れるレベルのところを見定めて入った。何かを成すために必死に努力するなんてしたことがなかった。
だから、思う。
何かに必死になってみるのも……悪くないんじゃないか、なんて。
あぁ、そうだ。せっかく二回目の人生を手に入れたのだ。努力しよう。前世で出来なかったことをしてみよう。そうすれば、きっと痛い目に遭わなくて済む。死ななくて済む。
だから少しは頑張ってみようと思ったのもつかの間、俺は腹の底にある熱に気がついて冷静になった。
魔力、どうしよう。
強くなると決めたは良いけど、それはモンスターの脅威に対するためであって、魔喰いの解決にはならないのだ。
一年かけて確信したことだが魔力は息をしたりご飯を食べたり、普通に生きているだけで勝手に腹の下の方に溜まっていく。喩えるなら食べ物が消化されない胃に近いかもしれない。減らないので魔力は器に溜まり続ける一方だ。
そして増え続ける魔力は器の容量を超えた瞬間に、一気に溢れ出す。
俺はそうなる前に魔力を全身に回したり、あるいは力んで……魔力を外に出すことで対応してきた。あの痛みと苦しみから逃れるためには、なるべく急いで魔力を排泄するほかないのだ。間に合わなくて魔喰いに襲われたことも一度や二度じゃないけど。
まだ一歳だから外に出すことで何とかなってるが、これから先のことを考えると早い段階で魔喰いを抑えないと、いずれ社会的にとんでもないことになってしまうことは必至。
だから、俺は強くなる前に自分の魔力が収まるだけの『器』を手にしないといけないのだ。
では、何をすれば器は大きくなるのか。
答えはたった一つ。魔喰いに襲われることだ。