想像もしたくないのだが、どうにも魔喰いに襲われるたびに俺の魔力の器は大きくなっている。それが分かるのだ。
魔喰いに対抗するために魔喰いになる。一瞬、矛盾しているように思えるが、それは違う。
筋トレのようなものなのだ。溢れる魔力に合わせて身体が強制的に成長する。だから痛い。
思えば筋肉痛とか、成長痛とか、人の身体が成長するときには痛みがついて回ってる。魔喰いとは器の成長痛なのだ。だから、意図的に魔喰いを起こせば器は大きくなる。
じゃあ、どうやれば意図的に引き起こせるかというと、これは簡単なことで全身にある魔力を下腹部にある魔力の器に戻せば良い。そうすれば器の限界を超えて、魔喰いが起きる。
けど、死にたくないからといって自分から死にに行くのは本末転倒だ。
……どうしよう?
これは詰んだかも……と思いながら、しばらく木琴で遊んでいたところ、ふとお腹がぎゅるぎゅると緩むのを感じた。赤ちゃんの身体は自分の精神で思うようにできないこともあり、俺はその場ですることを済ませる。
「イツキ。こっち来て。寝んねして」
「う!」
臭いに気がついた母親に誘われるがまま、俺は母親が敷いたタオルの上に横になる。そして、おむつを取り替えられているタイミングで……ふと、思った。
このタイミングで全身の魔力を器に戻したらどうなるんだろう?
今の状態で器に魔力を戻せば魔喰いが起きるのは間違いない。そして、俺のお腹の中にはまだ出せていないモノもある。思えば最初に魔喰いに襲われたときは、アレに合わせて魔力を外に出した。それで魔喰いになってもすぐに逃れることができた。
だとすれば……だとするんじゃないのか? 物は試しだ。……やってみよう。
というわけで俺は全身の魔力を器に戻した。
次の瞬間、腹の底から熱があふれる。泣き出してしまいそうな痛みと熱が襲ってくる寸前に、俺は完全に出し切った。
「もう! おむつ替える前だったから良かったけど……」
母親にお小言を言われてしまった。まぁちょっと良くないことをしたな、とは思う。反省。
ただ、それはそれとして問題はこんな浅い、魔喰いと呼べもしないような物で魔力の器が大きくなっているかどうかだ。
俺は意識を身体の中に向けてみて、総量を実際に測ってみる。目を瞑って、器の中に残っている魔力の熱を感じるのだ。はたから見れば、ただおむつを替えられてる赤ちゃんだけど、気持ちだけは修行僧である。
何回か呼吸を挟んで、それでも実際に腹の中の熱を感じ取ってみて、確信した。
器が、大きくなっている。
間違いない。本当に極わずか……きっと総量の一パーセントに満たないレベルだけど確実に大きくなっているのだ。
痛みに耐える時間は無く、死の恐怖に怯えることもなく器の拡張に成功した。
次の瞬間、俺のテンションは一気に上がった。
やった! やったぞッ!
これで上がるなという方が無理あるだろ。だって痛くないんだぞ!? 痛くないのに、魔喰いから逃れられるんだ!
増えてる量はとても僅かだけど、痛くないからセーフだ。
このトレーニングを……そうだな。仮に排泄トレーニングとでも呼ぼう。
これを続ければ早々に魔喰いから逃れられる。だから後はこれを続けるだけだ。どうせ赤ちゃんの暇つぶしなんて碌なものがないのだ。これで潰せるならむしろ一石二鳥って感じもする。
「……え? 魔力を」
だが、俺がそんなことを考えていたのもつかの間。
母親はおむつを替える手を止めると、顔色を変えて立ち上がった。
「宗一郎さん!」
立ち上がると、父親の名前を呼びながら走って部屋から出ていってしまった。
ちょっと、あの、俺のこの格好はどうすれば……。
いくら赤ちゃんとはいえ下半身丸出しは恥ずかしすぎるのだが、幸いなことに母親はすぐに父親を連れて戻ってきた。
「イツキが魔力を排出する方法を覚えた?」
「そうなんです。けど、私の勘違いかもしれなくて……」
部屋にやってきた父親は、あろうことか替える前のおむつにそっと手をかざした。臭そう。
というか手をかざしたくらいで何が分かるんだろう……と思ったが、父親はやけに真剣な顔をしてから、
「確かに排出されてるな。これならしばらく魔喰いは起きないだろう」
「や、やっぱり外に出てるんですね。良かった……」
父親の言葉に安心したのか深く息を吐き出す母親。
「しかし、生まれてまだ一年だろう? こんなに早く魔力を外に出す方法を覚えるなど聞いたことがない。……強い子だな」
「たまたま外に出せたということですか?」
「うむ……。たまたまかも知れないが……しかし、もしかするかも知れんな」
「もしかするとは……?」
心配そうに聞く母親に、父親は随分ともったいぶって答えた。
「もしかするとイツキは天才かもしれないということだ!」
父親は一気に柔らかい表情へと顔を変えると、俺のほっぺをつんつんしてきた。
「もう、心臓に悪いことを言わないでください……」
そんな父親とは打って変わって、母親が父親の冗談にため息をつく。
あの、それはそれとして俺のおむつ早く替えてほしい……。
「まっ! まぁー!」
この口だとママと言えないので、喋れる言葉だけで母親におむつを替えてほしいとねだる。だが、先に反応したのは父親で、
「む? もしかしてイツキがパパと言ったか!?」
呼んだのは母親です。
しかし、俺がツッコむ間もなく、母親が気がついた。
「ごめんね。イツキ。いま替えるからね」
そしてしゃがみ込むと、素早くおむつを取り出しながら父親に対して口だけ動かす。
「あなた。この子はおむつを替えて欲しがっているんですよ」
「……む。おむつか」
ちょっとがっかりした様子の父親。
「どうです? あなたが替えてみますか?」
「……良いのか? 泣かないか?」
「今は男の人も育児に参加する時代ですから」
母親がにこやかにそう説明する。そういえば前世で男の先輩が育休を取ろうとして上司に小言を言われていたことを思い出した。祓魔師に育休なんて概念あるんだろうか。無さそうだな。
「む。そうか。じゃあ、やってみよう」
「えぇ。まずはおむつを外してお尻を拭くんです。優しくしてあげてくださいね」
「……うむ」
視線だけで人を殺せそうな男がおむつを前に格闘している様子が面白くて、俺は思わず笑った。笑ったら父親の寄った眉がちょっとだけ緩んだ。
「良かった。泣かないな」
「泣きませんよ。お父さんですから」
その言葉を聞きながら、俺の兄か姉か分からないけれど……父親はその子のおむつを替えなかったんだろうかと、そんなことを考えた。
少しだけ魔喰いを起こすトレーニングは兆候が見えたら欠かさずにやることにした。
タイミングは母親がおむつを替える直前。理由はそこが一番不快感が少なく済むからだ。大人になったので忘れていたが、おむつの中にアレがあるのは不快で不快で仕方ない。そして、赤ちゃんの身体は一定以上不快ゲージが貯まると泣いてしまう仕組みらしい。
だから眠たいのもダメ。おむつの中にソレがあり続けるのもダメ。お腹が空いた状態でずっと放置されるのもダメ。ダメなことだらけだ。とはいっても、一歳にもなればそれらをある程度は我慢できるようにはなってきてるけど。
だからおむつを替えるタイミングを待たなくて済むようにトイレのタイミングで排泄トレーニングをしようと思ったのだが、なんと一歳ではトイレトレーニングをしないのだ。
それまではこのおむつと仲良くしなければいけない。