Chapter. 1 晩夏の星空、決別と約束と①

 昔から、いろんな音が聞こえた。

 陽に焼けいろせた古い看板からも。新品の服で学校に来てうれしそうな女子生徒の横顔からも。通学路に転がっている煙草たばこがらからさえも。

 全部、特有の音がした。

 いつからか、それらはノイズになった。

 それから、世界はやかましくなった。

 まるで、世界にきらわれているみたいで。

 ノイズの海にただよいながら、一人ぼっちでそうなんしているみたいで。

 もう、えられない。

 だから今日──全部、終わらせる。


***


「──本当に、めるのか。つきしろ

 ノイズ混じりの声で問うてくる担任へ、俺は「お世話になりました」と軽く頭を下げた。

 高校二年の夏休み明け。始業式後。空調の効いた職員室にいる生徒は、俺だけだ。

おやさんをくしたのに、すぐえられるつきしろすごいよ。昔とちがって今なら色んな補助だってあるし、そういう制度を利用して学校に来続けることだってできるのに」

「いえ、やりたいこともあったので。い機会です」

「お前は音ゲーでも日本一になりかけたんだったな。努力の男だ。……何かあったら、いつでも相談しに来いよ。俺はいつまでも、お前の先生だからな」

「はい。ありがとうございました」

 職員室を出る。しようこう口でうわきからスニーカーへえ、グラウンドで部活動に精を出している生徒達の青いを横目に、門を出た。

 これで、晴れて退学だ。

 他人以上知り合い未満のクラスメイトも、とつぜん級友を失ったことに一週間くらいはまどうかもしれないが、すぐにいつもの日常にもどるだろう。

 別に構わない。こっちだって、あいつらとの思い出はノイズだけだ。

 これで、終活も終わり。

 らんらんかがやく太陽が、首筋をジリジリと焼く。まだまだ夏は終わりそうにない。

 俺はみみせんのようなカナル型のワイヤレスイヤホンを耳にねじ込み、校門を後にした。


***


 今日は、ある特別な日だ。

 八〇年にもわたって愛されたローカル線が、最後の運行となるのだ。

 俺は、そんな記念すべき最終列車へ身を投げるつもりで、終活を進めてきた。

 今日が、最後の仕上げ。決行場所は終点駅の直前に目星をつけてある。先回りしておくにしてもまだだいぶ時間があるため、それまで近くのマックで時間をつぶすことにした。

 注文の列に並ぶ。その間に、深呼吸して心の準備をしておく。

 レジがへいこうして三つ動いていたため、五分と待たずに順番が回ってきた。

 さぁ、ここだ。店員とのやりとり。俺は意を決してワイヤレスイヤホンを外し──そのしゆんかん

 店内にあふれていたするどいノイズが、せきを切ったようにいつせいおそいかかってきた。

 空調のどう音、となりのレジをたたく音、奥でポテトががる音、店内でだんしようするイートインの客たちの声──それらが全て、ゆがんだ異音になって俺をころすべく四方からせまってくる。

 ……いつにも増してうるさいな、は。ちくしょう。

 いつからか俺をおそうようになった、共感覚にも似たなぞしようじよう

 人の話し声や生活音なんかも全て周波数のズレたラジオみたいにノイズが混じり、そしてその姿をにんするだけでも、みみざわりな金切り音が聞こえてくるのだ。

 文字を見て色を感じる人がいるように。音に味を感じる人がいるように。

 俺は、人類のあらゆる営みにノイズを覚える体質を持っている。

 あぁ、くそ。雨のように降り注ぐ雑音に、頭がたたられそうだ。

 俺はさっさと、ハンバーガーを二つとコカ・コーラのLサイズを注文した。

 料金をはらってトレーに商品が置かれていく間に、レジ横の高校生テーブルの会話が届く。

「ねぇねぇ、ほしみやゆき、何でめちゃったんだと思う? 学業に専念って、絶対うそじゃん?」

「知らねーよ。にんしんしたからとかじゃねーの?」

「ぎゃはは、流石さすがにないない!! だったらクソウケるけどな!!」

 あんまりキャンキャンしやべらないでほしい。頭にひびくから。

 商品のそろったトレーを持って、げるようにかべぎわの一人席へ向かう。

「そういえばいた? 昨日、新しい歌YouTubeにあげてたよ」

「あー、『はひゅー』? いたいた。めっちゃよかったよね」

 道中、女子高生の会話ノイズまくをガリガリとみだすも、一人席にとうちやくすればこちらのものだ。

 トレーを置き、荷物置きへかばんをしまうと、ぞくからかくれるようにイヤホンを装着した。

 ひとまず、周辺のノイズが遠ざかる。ふぅ、とひとつ息をいた。

 頭痛にも似たけんたい感が少し落ち着いたころ、ハンバーガーを片手にYouTubeのアプリを開いた。

 ──はひゅーの新曲、か。

 はひゅー。アンドロイドシンガー──つうしよう『ドロシー』という歌声生成ソフトを用いて作られた曲を歌い、ネットで配信している『歌い手』だ。ねんれいしようがおも不明。空のようにとおる確かな歌唱力で、わずか三年ほどで若者のカリスマにのぼめた実力派女性シンガーだ。

 デビュー当時から、俺は彼女の歌を好んでいていた。

 彼女の歌には、ノイズがいつさいなかったから。

 はひゅーの歌声だけは、雨上がりの夏空のようにどこまでもクリアで、体の内側が洗われているみたいで、安心した。げ込める居場所の少ない俺にとって、彼女の声はオアシス以外の何物でもなかったのだ。

 俺は登録チャンネルのらんから『はひゅー』をせんたく。一番上が最新のとう稿こうだった。『かいこうFIRE FLOWER』という曲らしい。あぁ、だんしやDの新曲か。

 ピアニストやギタリストなどにならって、ドロシーを使用して作曲活動をする人はドロシストと呼ばれる。彼らは、名前の最後にドロシストから取った『D』をつけて名乗ることが多い。

 だんしやDは、ざんこくな歌詞と激しい曲調がとくちようのドロシストだ。

 はひゅーをいちやく有名歌い手に押しげたのは、だんしやDのえいきようが大きい。はひゅーは、だんしやDの曲のほとんどで『歌ってみた』動画をあげているのだ。

 はひゅーのびやかな歌声とだんしやDのダークな曲調とのミスマッチさ、そして、負の感情を痛切に表現するはひゅーの歌唱力が、数多くのドロシーファンをきつけたわけだ。

 再生画面をタップ。数秒のCMの後、ベースソロから始まる曲が流れ始めた。

 ここよい低音に、ギターやシンセなどの楽器隊が合流。そして、化学反応を起こしたように激しい音がぜた。くうしゆうのような音のばくげきがひとしきり続いたあと、はっといつしゆんの間が空いて、ようやくその声がつむぎ出される。

『遠い所から貴方あなたを見つけた 終わりへと向かう背中は小さいね』

 とうめい感のある美しい高音。

 ドロシー楽曲は、人間が歌うように出来ていないほどキーの高いものが多いものの、はひゅーもまたにんげんばなれしたハイトーンボイスが持ち味。

『何も得られずにただ終わり した心はへ行くの?』

 美しい高音の中に、しかし確かにかいえるもんの感情。

 まるで、彼女が本当に思いつめているかのようだった。

『落ちて 落ちて 落ちて 落ちて 終わりからすらも見放され こうも不幸も分からない』

 顔も知らないのに、彼女の表情がのうにありありとかぶ。

 きっと、なみだで顔をぐちゃぐちゃにらしながら、それでもおさえきれない激情をえている。

『つまらない現実 かなわない願い もうらない未来 目も耳も心もふさいだ夜空で』

 ドラムがまくたたく。ベースもギターもせまってくる。はひゅーがさけぶ。サビに向かうべく、楽器隊が暴れ、おどり、ふんを盛り上げ……そして、不意に、音が止まる。

『花火が ばっといた』

 サビが始まるころには、泣いた彼女はどこにもいなかった。


***

刊行シリーズ

星が果てても君は鳴れの書影