Chapter. 1 晩夏の星空、決別と約束と②

 すっかり陽はしずんでいた。

 俺はうすぐらい列車にられながら、耳をふさいでいた。イヤホンの電池が切れたのだ。

 はひゅーの歌声がなければ、イヤホンをしても、列車内のけんそうとおけてきてしまう。

 列車が空気を押し除ける音、線路をたたく音、しやしようのアナウンス──そして何よりえられないのが、鉄オタ勢による異常な人口密度とこうようしたかんだんあらしだ。

 その肉へきによる圧力と生ぬるく湿った空気は毒ガスみたいに不快で、ともなうノイズのせいでまくえんぴつで直接でられているようなするどい痛みさえ覚え始めた。

 ごくの数十分をえ、ようやく列車が終点にとうちやくした。ゾロゾロと降車する鉄オタ達の後に続いてホームへ降りる。そこも、高そうなカメラを首にぶら下げだんしようする人間だらけだった。

 けてじんそくに改札口へ。ICカードをかざして駅の外へ出た。

 あんすずむしの合唱がむかえてくれ、生暖かい風に乗ってあおくさい香りが鼻をく。

 俺は一つ息をくと、背後のけんそうからげるように、切れそうな街灯を尻目にけものみちへ足をれていく。目的地は、線路をまたぐ小さな橋。列車が終点駅へ辿たどく直前に通過する、けば飛ぶようなボロボロのきようりようだ。

 そこから、列車へこの身を投げるために。さいしゆんかんをそこでむかえるために。

 それだけを考えて、ただひたすら、むせかえるような熱帯夜をすすむ。

 山道をけ進むこと二〇分。あせだくになりながらも、目的の橋にとうちやくした。

 電車をさつえいするスポットとしては悪くないが、ここへ来る人間はいないみたいだ。

 橋のらんかんへ上半身を預け、ぼーっと夜空を見上げる。

 満天の星だ。都会のけんそうからはなされたやまおくんだ空気は、星々のまたたきをがいすることなく地上まで届けていた。気温は相変わらず高いが、あせをかいているのもあってほおでる風がすずしい。そして何より、あれだけうつとうしかったノイズは、そのいつさいが存在しない。

 やっぱり、ここだ。求めていた死に場所に、適している。

 死ぬにしても、ノイズまみれのえんもゆかりもない地で終わるのはいやだったけれど。

 このせいひつな場所で、子どものころから使っている路線といつしよに死ねるなら悪くない。

 そんな、センチメンタルなことを考えて。

 半ば無意識に、カッターシャツの下から、すいしようめられたネックレスを取り出した。校則で禁止されてはいたがないしよで常に身につけている、母親の形見だった。

 たんに。耳元でシンバルがぶったたかれたような、ばくおんのノイズにおそわれる。

 まくが破れるかと思った。俺はゴミ箱へ押し込むように、あわててそれを服の中へしまう。ハウったマイクみたいなみみざわりなざんきようだけを残して、かい音がうすれていった。

 本当に、このネックレスはいつもうるさい。何度捨てようかと思ったことか。だけど、形見だから捨てられないのだ。だってそれは、過去を、母親を切り捨てるのと同じだから。

 あぁくそ、気分がぶちこわしだ。

 いつもこうだ。感傷的な気分になんか、流されるもんじゃない。

 口直しに、はひゅーの歌をこうと思い立つ。ここなら、イヤホンじゃなくてもだれめいわくにもならないだろう。そんなことを思って左ポケットへ手を伸ばし、

「……あれ」

 まゆひそめる。ない。スマホが定位置に存在していなかった。

 かばんの中をあさるも、目的の電子機器がどこにも見当たらない。

 心当たりといえば、さきほど寄ったマックだ。あそこを出てから、一度もスマホをさわっていない。

 大きくため息をき、そうさくあきらめる。

 死を前にして小さな未練が残ってしまったが、仕方ない。

 きっと、俺は、どうしようもなく、世界にきらわれているのだから。

 やがて、遠くの方から、列車が線路をたたく音が聞こえてきた。

 そろそろだ。あと数分もしない内に、最終列車が橋の下を通過し、終点へ最後の停車をする。

 そして、永きにわたる役目を終えた鉄道とともに、このくさった人生も幕を下ろすのだ。

 俺はらんかんへ足をかけ、一気にえる。てつさくの上へ座り込むと、木々のすきから黄色い光が見えた。列車の前照灯だ。段々と強くなる光に、近づいてくる死を実感した。

 ふるえはなかった。むしろ、安らぎさえ覚えていた。

 頭上を見上げる。天球をくすいくおくの星々は、この世界には自分一人しかいないんじゃないかとさつかくさせてくる。いや、きっとその通りだ。俺には、この自殺を悲しむ人間も、い共感してくれる人間も、だれ一人ひとりとしていない。この世界のわくみから、はじかれている。

 思わず、かわいた笑いがこぼれた。

 ──あぁ、これならきちんと死ねそうだ。

 体を前のめりにかしげる。来るべき時が来たら、すぐに飛び出せるように。

「──

 背筋に、電流が走る。

 ふとななめ後ろからかけられた声に、はじかれたようにいた。

 いつの間にか、一つのかげが立っていた。

 ぼうかぶり、目鼻立ちはよく見えないが、れんな立ち姿だけで同年代の少女だと分かった。

 俺がフリーズした数秒でそいつはらんかんをよじ登り、となりこしかける。

 なんだこいつ。いつから? 何しに? ぐるぐる思考が回る。

「あんた、もうすぐ死ぬ前にさ、」

 光がせまる。その時がせまる。

 はっ、と正気にもどった。

 俺は少女をこばむようにうでり、しかしかすめて彼女のぼうはじく。

 うでつかまれる。はんこうぎよされる。

 まばゆい光が、俺たちを照らした。


「──あたしとキスしなさいよ」


 ごうおんを立てて、列車が通り過ぎた。

 くらやみもどした世界で、俺は少女とくちびるを重ねていた。……いや、重ねられていた。

 すかさず少女は、俺の首をき込むように、橋の上へ共にたおれこんだ。

 落ちたしようげきで我に返ると、横になったまま少女をばし、砂まみれのまま立ち上がる。

「なんっ……だよ!! お前ぇッ!!!!」

 ごうが、やみみていく。

 だれかにじやされるなんて思わなかった。俺を現世へつなめる人なんかいないし、いたとしても、このくらやみでは、きっと止められない。止められない、はずだった。──なのに。

「なんでじやした!! ふざけんなよ!!」

「……うふふ。あはは。へったくそなキス。もしかして初めて?」

 いかりがとつぷつした。激情に任せてつかみかからんと、彼女へ勢いよく──「いいよ、なぐる?」

 ピタッ、と。みぎうでの動きを止める。彼女は、まったく動じていなかった。

刊行シリーズ

星が果てても君は鳴れの書影