Chapter. 1 晩夏の星空、決別と約束と④

 ほしみやゆきは、何も分かってない。中学生の身でスカウトされ、あれよあれよという間にスターの階段をのぼり、全てを手に入れたと思ったら、それすらも容易たやすく手放してしまう──そんな順風まんぱんで身勝手な人生を歩んでいる人間なんかに、俺の気持ちが分かるわけがない。

「もう、生きてるだけでしんどいんだよ。俺はこの世界に向いてない。人生なんてこっちから願い下げだ。……もう、俺は、全部終わらせたいんだよ」

 初めから全部あきらめていたわけじゃない。のろいのような体質をうらみながらも、必死に生き方をさくしてきた。全力? 馬鹿馬鹿しい。結果得たものは、簡単に消え去った。

 だから、もう終わりにしたかった。

 生き方を選ばせてくれなかったんだから、死に方だけでも選びたかった。

 最後の最後で、命ある身として、せめてそこだけはゆずれなかっただけなのに。

「……それは残念ね」

 ほしみやゆきはそうて、べつ的な声で続ける。

「あんたは終われないわ。あたしが、絶対止めてやるから」

「ふっ、ざ、け──!!」

 言い切る前だった。

 軽快なれつ音と共に、ほおに電流が走った。

 顔がかたむく。電流におくれて、焼けるような痛みが左ほおおそう。

 ビンタされたのだ。

 うまれて、はじめて。

「……ふざけんな、じゃないわよ。死んでいく人間が、どれだけ未来を望んでるかあんた分かる? 明日を生きたかった人が届かなかったのに、何で生きていけるあんたが投げ捨てるわけ? 何でそうなっちゃうわけ? ねぇどうして? ねぇ」

「な、なんだよ……」

 頭の中はパニックだった。

 だって、俺だって、別に死にたいわけじゃなかったのに。

「……できることなら、俺だってへいおんに生きたいよ。だけど、もうダメなんだ。頭がおかしくなっちまいそうなんだよ」

 彼女は何も答えない。そのしめやかないきづかいが、みように心をざわつかせた。

「お前、分かるか? 四六時中、気持ちの悪い音に囲まれてる生活が。人の声すらわずらわしいし、街を歩けばビルから信号まで、全部金切り声をあげてる。人がうじゃうじゃいる学校はごくだ。分かるか? どれだけしんどいか。苦しいか。まんして生きてきたか!!」

 げ込める場所だって、がんって見つけ出した。だけどそんなもの、わけの分からない不幸にうばわれた。俺は、一生この雑音にまれながら生きていかなきゃならない。

「もう、無理なんだ。とてもえられない。──だから、ここで終わりにしたいんだよ」

「……そっか」

 ほしみやゆきは、小さく、そう答えた。

 答えた後に、ガッと俺のむなぐらをつかんできた。

「あんたも大変だったんだね。でもね、はいそうですかってなつとくできるほど、こっちも人間できてないのよね。目の前に死のうとしてるバカがいるなら、どうしても手が出ちゃう」

かんべんしてくれよ……」

 正義のつもりなのかもしれないが、とんだめいわくだ。

「ここはごくなんだよ……もう、死ぬしか方法がないんだよ。ほっといてくれよ……」

「あぁ、そういうこと?」

 ほしみやゆきは、パッと手をはなす。不意を打たれて、俺は少しよろめいた。

「あんたの、その、ノイズ? それが聞こえなくなればいいってことよね?」

「……え?」

「分かった。手伝ったげる。……そうね。九ヶ月。それだけあたしにちょうだい。九ヶ月で、あんたに『生きたい』って思わせてみせる」

 ほしみやは、その細い指を俺の額にきつけ、

「見つけてあげるわよ。──正しい音色の、かなで方」

 不敵なみで、そう宣言した。

「ちょ、ちょっと待てよ」

 勝手に話を進めないでほしい。そもそも前提からしておかしいのに。

「なんで俺がそんな提案に乗らなきゃならないんだ。九ヶ月? 勝手にしろよ。そっちが何考えてても俺には──」

「『俺には関係ない。無視して自殺してやる』って? 無理よ。あたしが止めちゃうもん。未来視の力んなよ。あんたにきよ権なんかないからね?」

 それは、どうしようもなくその通りだった。

 彼女の提案をろうとも、自殺を九ヶ月止められ続ければ同じことだ。

「……そもそも、信じてんのかよ。こんな話。ノイズなんてうそかもしれないぞ」

「あのそう感が演技だったら、あたしより俳優向いてるわよ」

「……はぁ」なげくように、夜空を見上げた。

 めんどうな女にからまれた。世界の悪意にさらされて心をすり減らして、やっとの思いで決意した自殺さえもじやされて。本当に、この世界にどこまできらわれているのだろうか。

 これほどいかりを覚えたことは、久しぶりだ。

 ……だけど。こんなにだれかから感情をぶつけられたのも、いつ以来だろう。

 ノイズまみれの世界で。不幸が雨のように降り続けている世界で。全てをあきらめた世界で。

 対等に意見をぶつけ合えたのなんて、いつ以来だろう。

「……分かったよ」

 受け入れて、しまった。

 彼女の言う通り、俺がきよしたところで意味がないのもそうだし、

 それ以上に、ためしてみたくなった。

 このほしみやゆきという少女が、あまりにもクリアすぎて。

 声も仕草も、感情も。全部がくすむことなく届いてしまったから。

「よっしゃ決まり。あんたのノイズ、絶対なんとかしてみせるわ」

「……どうせ、無理に決まってるけどな」

 にらみながらおどすように言ったが、ほしみやは気にしない様子でスマホを差し出してきた。

 痛いほどまぶしい光の中には、QRコードが表示されていた。LINEの友達登録画面だ。

 俺はほとんどあつかったことのない画面にややまどいながらも、なんとか登録した。そのあと、ほしみや側へ俺のアカウントを表示させるために『あ』とだけ送付した。

「ふふ、『あ』って何よ。ふーん、あんたつきしろいっって言うのね、よろしく」

 けらけら笑い、彼女は『あああ』と返信してきた。なんでちょっとたいこうしてるんだ。

 ほしみやゆきは、さっき俺がはじいてしまったぼうを拾い、砂をはらってかぶり直す。

 そして、その手が差し出された。

 俺はやや逡巡したものの、おそおそる指先でにぎり返す。

 そして、つながれた手から、美しい単音がひびいた。

 グランドピアノをほう彿ふつとさせる、ノイズのいつさいない、ここよいらぎをはらんだ音色だった。

 半年ぶりに聞いた快音のせいで、ほしみやから目がはなせなくなっていた。

 本当に。

 もしかしたら。

 ほんのいつときだけ、そんな気持ちがき出して消えていった。




 ──あらかじめ提示しておこう。

 ──これは、つきしろがその命を終えるまでの物語である。

刊行シリーズ

星が果てても君は鳴れの書影