星宮未幸は、何も分かってない。中学生の身でスカウトされ、あれよあれよという間にスターの階段を駆け上り、全てを手に入れたと思ったら、それすらも容易く手放してしまう──そんな順風満帆で身勝手な人生を歩んでいる人間なんかに、俺の気持ちが分かるわけがない。
「もう、生きてるだけでしんどいんだよ。俺はこの世界に向いてない。人生なんてこっちから願い下げだ。……もう、俺は、全部終わらせたいんだよ」
初めから全部諦めていたわけじゃない。呪いのような体質を恨みながらも、必死に生き方を模索してきた。全力? 馬鹿馬鹿しい。結果得たものは、簡単に消え去った。
だから、もう終わりにしたかった。
生き方を選ばせてくれなかったんだから、死に方だけでも選びたかった。
最後の最後で、命ある身として、せめてそこだけは譲れなかっただけなのに。
「……それは残念ね」
星宮未幸はそう吐き捨て、侮蔑的な声で続ける。
「あんたは終われないわ。あたしが、絶対止めてやるから」
「ふっ、ざ、け──!!」
言い切る前だった。
軽快な破裂音と共に、頰に電流が走った。
顔が傾く。電流に遅れて、焼けるような痛みが左頰を襲う。
ビンタされたのだ。
うまれて、はじめて。
「……ふざけんな、じゃないわよ。死んでいく人間が、どれだけ未来を望んでるかあんた分かる? 明日を生きたかった人が届かなかったのに、何で生きていけるあんたが投げ捨てるわけ? 何でそうなっちゃうわけ? ねぇどうして? ねぇ」
「な、なんだよ……」
頭の中はパニックだった。
だって、俺だって、別に死にたいわけじゃなかったのに。
「……できることなら、俺だって平穏に生きたいよ。だけど、もうダメなんだ。頭がおかしくなっちまいそうなんだよ」
彼女は何も答えない。そのしめやかな息遣いが、妙に心をざわつかせた。
「お前、分かるか? 四六時中、気持ちの悪い音に囲まれてる生活が。人の声すら煩わしいし、街を歩けばビルから信号まで、全部金切り声をあげてる。人がうじゃうじゃいる学校は地獄だ。分かるか? どれだけしんどいか。苦しいか。我慢して生きてきたか!!」
逃げ込める場所だって、頑張って見つけ出した。だけどそんなもの、わけの分からない不幸に奪われた。俺は、一生この雑音に揉まれながら生きていかなきゃならない。
「もう、無理なんだ。とても耐えられない。──だから、ここで終わりにしたいんだよ」
「……そっか」
星宮未幸は、小さく、そう答えた。
答えた後に、ガッと俺の胸ぐらを摑んできた。
「あんたも大変だったんだね。でもね、はいそうですかって納得できるほど、こっちも人間できてないのよね。目の前に死のうとしてるバカがいるなら、どうしても手が出ちゃう」
「勘弁してくれよ……」
正義のつもりなのかもしれないが、とんだ迷惑だ。
「ここは生き地獄なんだよ……もう、死ぬしか方法がないんだよ。ほっといてくれよ……」
「あぁ、そういうこと?」
星宮未幸は、パッと手を離す。不意を打たれて、俺は少しよろめいた。
「あんたの、その、ノイズ? それが聞こえなくなればいいってことよね?」
「……え?」
「分かった。手伝ったげる。……そうね。九ヶ月。それだけあたしにちょうだい。九ヶ月で、あんたに『生きたい』って思わせてみせる」
星宮は、その細い指を俺の額に突きつけ、
「見つけてあげるわよ。──正しい音色の、奏で方」
不敵な笑みで、そう宣言した。
「ちょ、ちょっと待てよ」
勝手に話を進めないでほしい。そもそも前提からしておかしいのに。
「なんで俺がそんな提案に乗らなきゃならないんだ。九ヶ月? 勝手にしろよ。そっちが何考えてても俺には──」
「『俺には関係ない。無視して自殺してやる』って? 無理よ。あたしが止めちゃうもん。未来視の力無礼んなよ。あんたに拒否権なんかないからね?」
それは、どうしようもなくその通りだった。
彼女の提案を蹴ろうとも、自殺を九ヶ月止められ続ければ同じことだ。
「……そもそも、信じてんのかよ。こんな話。ノイズなんて噓かもしれないぞ」
「あの悲壮感が演技だったら、あたしより俳優向いてるわよ」
「……はぁ」嘆くように、夜空を見上げた。
面倒な女に絡まれた。世界の悪意に晒されて心をすり減らして、やっとの思いで決意した自殺さえも邪魔されて。本当に、この世界にどこまで嫌われているのだろうか。
これほど怒りを覚えたことは、久しぶりだ。
……だけど。こんなに誰かから感情をぶつけられたのも、いつ以来だろう。
ノイズまみれの世界で。不幸が雨のように降り続けている世界で。全てを諦めた世界で。
対等に意見をぶつけ合えたのなんて、いつ以来だろう。
「……分かったよ」
受け入れて、しまった。
彼女の言う通り、俺が拒否したところで意味がないのもそうだし、
それ以上に、試してみたくなった。
この星宮未幸という少女が、あまりにもクリアすぎて。
声も仕草も、感情も。全部がくすむことなく届いてしまったから。
「よっしゃ決まり。あんたのノイズ、絶対なんとかしてみせるわ」
「……どうせ、無理に決まってるけどな」
睨みながら脅すように言ったが、星宮は気にしない様子でスマホを差し出してきた。
痛いほど眩しい光の中には、QRコードが表示されていた。LINEの友達登録画面だ。
俺はほとんど扱ったことのない画面にやや戸惑いながらも、なんとか登録した。そのあと、星宮側へ俺のアカウントを表示させるために『あ』とだけ送付した。
「ふふ、『あ』って何よ。ふーん、あんた月城一輝って言うのね、よろしく」
けらけら笑い、彼女は『あああ』と返信してきた。なんでちょっと対抗してるんだ。
星宮未幸は、さっき俺が弾いてしまった帽子を拾い、砂を払って被り直す。
そして、その手が差し出された。
俺はやや逡巡したものの、恐る恐る指先で握り返す。
そして、繫がれた手から、美しい単音が鳴り響いた。
グランドピアノを彷彿とさせる、ノイズの一切ない、心地よい揺らぎを孕んだ音色だった。
半年ぶりに聞いた快音のせいで、星宮から目が離せなくなっていた。
本当に。
もしかしたら。
ほんの一時だけ、そんな気持ちが湧き出して消えていった。
──予め提示しておこう。
──これは、月城がその命を終えるまでの物語である。