Chapter. 2 雑音の牢獄、正しい音色の奏で方①

 あれから、二週間がった。

 俺は、ボロアパートのしんしつころがりながら、スマホをながめて物思う。

 LINEはこうかんしたものの、この二週間まったくやり取りがなかったため、あれは夢だったんじゃないかという気すらしていた。だけど、友だちリスト(5)の中でさいを放っている『ゆき』という見慣れない名前がそれを否定する。

 小腹が空いたが家には何も食べるものがない。というか、めんどうなので最近は一日一食だ。もっぱら、近所の松屋に通っている。券売機だけで注文でき、イヤホンを外さなくてもいためだ。他の飲食店だと、なかなかこうはいかない。

 だから俺にとって、家ほど落ち着ける空間もなかった。

 母さんと住んでいた時からそうだけど、家だとほとんどノイズが聞こえないのだ。家具家電をはじめ、さまざまな物体が所せましとめ込まれていたのにもかかわらず、だ。

 なんとなくの法則性はつかめている。他人の生活の香りがすると、それはノイズになるけいこうがあるのだ。図書館の本とか、古着とか。

 だから、家はすこぶる快適で……考えてみれば、理想の死に場所な気がしてきたぞ。

 直後、スマホの画面上部にLINEのバナーが現れた。あやうい思考にまれかけた俺を現世へ引き止めるように、タイミングよく『ゆき』からのメッセージを受け取ったみたいだ。

『明日、ひまよね?』

 断言にも似た質問だった。

 高校を退学してニートになった上、自殺までしようとした男に予定なんかあるわけがない。

 はんこうしてやりたいちっぽけなプライドが顔をのぞかせたが、むなしいだけなのでつうに返答した。

『そりゃそうだろ』

『朝一〇時、めいえきの金時計前集合ね』

『何のために?』

 それっきり、返事は来なくなった。


***


 名古屋駅。JRや新幹線はもちろん、市営地下鉄や三つの私鉄の主要駅ともなっている中部地方最大のターミナル駅だ。そして、地下はアリの巣のように複雑な通路が走り回り、頭上は天にも昇る高さの高層ビルがきそうように立ち並んでいる。

 また、リニア中央新幹線の開業へ向けて再開発も進んでおり、解体中のビルも散見された。

 俺は、そんなてんろうのど真ん中を、理由も分からないまま歩かされていた。

 耳には、ワイヤレスイヤホン。はひゅーの歌う曲だけを流すように作られたプレイリストを流しながら、人混みや馬鹿でかい建造物のノイズを上書きして歩き続ける。

 名古屋駅の集合場所として有名な『金時計』の存在自体は知っているものの、あまりみのない都会の大めいきゆうに絶賛迷っていた。

 時刻は、すでに約束の一〇時を過ぎている。数分はちんもくつらぬいていたほしみやのLINEも、ついにいらちのスタンプが連打されるようになってしまった。『今向かってるはず』と返答するも、スタンプのこうずいに流されていってしまう。こいつれんらくする気あんのか。

 と、ついにしびれを切らしたのか、ほしみやから電話がかかってきた。

 俺は一度通話に出て、すぐさましゆうりようの赤いボタンをタップする。

『なんで切るのよ』

 直後、ほしみやからメッセージが飛んできた。

『うるさくて電話出れないんだよ』

『イヤホンしてるならだいじようでしょ』

『そっちのかんきよう音も拾うじゃん、無理』

『あーもう、めんどくさいな。あんたの周りの景色、写真って送って。あたしがそっち行く』

 言われるがまま、前後左右の写真をほしみやへ送付した。そこから動くなとの命令が飛んできてから、およそ一〇分。彼女が現れた。

 小さなキャップに大きなグラサン、ベージュのウレタンマスクというにもな変装スタイルだった。衣服もかたの出た強気な黒いブラウスにショートたけこんのスカートと、頭部に負けずおとらずの自己主張の激しさで、う人混みから格別にいている。

 ……ほしみやって、せいな女優なんじゃなかったっけ。私服のイメージがちがいすぎる。

 彼女は俺に人差し指を向けながら何かをまくてているみたいだが、みみせんみたいなカナル型イヤホンとはひゅーの歌声をフル装備しているせいで欠片かけらも届かない。LINEで『今は何も聞こえない』とだけ打ち込んで、彼女へ画面を見せた。

 ほしみやは何か言いたそうに口元をらせるも、すぐにあきらめたようだ。めんどうくさそうにスマホへ何かを入力すると、俺のLINEにメッセージが届いた。

『タクシー乗るわよ』


***


 タクシーにられること三〇分強。目的地にとうちやくしたようだ。

『イヤホンはあたしが預かるわ。外してから降りて』

 俺はいやいやながらもイヤホンをケースにしまい、ほしみやわたしてからタクシーを降りた。

 降車したしゆんかん目に飛び込んできたのは、デフォルメされたぶたのような生き物がかんげいの言葉をつづっているゲートだった。牛舎のようなけものの香りもただよう。ここがどこかは、いちもくりようぜんだった。

「……動物園?」

「そ。ノイズなくしましょう作戦の第一だん

 ほしみやはグラサンをつけたまま、マスクだけを外して快活に笑った。

「色々考えてみたんだけど、ここならノイズ少ないんじゃないかって思って」

 言いながらほしみやは歩いていく。走り去るタクシーの音や、子どものテンションをくすぐるようなはつらつとしたゲートから鳴る雑音に顔をしかめながらも、俺は彼女の後ろ姿を追っていく。

「あんたきっと、人工物にノイズ感じるんじゃないかな」

 りんとした後ろ姿から、そんな声が飛んでくる。

「街中にいると自殺したくなるくらいうるさいって言ってたのに、こないだのはいせん駅前の橋だとそうでもなかったみたいだし。ってなると、自然物は平気なのかなって。ちがうかな?」

「……大体合ってるよ」

「やっぱし。となると、自然物の中でも、生き物はどうなのかなって思ったのよ」

 ほしみやはゲートの係員へスマホを提示する。ネットで電子チケットを買っていたようだ。

 ゲートを通ると、すぐそこにアメリカバイソンがいて、いびきにも似た低い声で鳴いていた。

 とつぜんの野太い鳴き声にほしみやは「おおぅ」とおどろいていたが、口元はかいそうに笑っていた。

「あはは、牛っぽい声」

「牛だからな」

「で、どう? つきしろ。バイソンパイセンの声は」

 このほうみたいな鳴き声をクリアと表現するのははばかられるけれど、ノイズのまくおおわれることなくこの耳に届いたことは、まぎれもない事実だ。

「バイソンの声自体は、問題なさそうだよ。つうに聞こえる」

 俺は、大きなため息をきながら答えた。

「……の割には、あんたしんどそうだけど?」

 俺は、チョイチョイと背後を指差す。彼女は、そちらへいた。

 三〇代くらいの女性とベビーカーに乗った赤子が、二人一組で三セットそろっていた。母親同士は高らかにだんしようしている。赤子が一人大泣きしているにもかかわらず、お構いなしだった。

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星が果てても君は鳴れの書影