Chapter. 2 雑音の牢獄、正しい音色の奏で方②

「まともに聞こえるのはバイソンだけ。後ろからあんなノイズ浴びてりゃ、しんどくもなるよ」

「これでも、平日だから人少ないのよ? ……多分」

「もう帰ろうぜ。動物の声は問題ないって分かったんだからそれでいいだろ」

「何言ってんの。ダメに決まってるでしょ」

 さっさと帰ろうとした俺のそでつかんで、ほしみやが引き留めてきた。

「今日はノイズに慣れる会。ここでちょっとずつ、楽しみながらノイズに慣らしていこう、ってこと。あんたげ続けてきたからえられない面もあると思うのよ。リハビリリハビリ」

「……本気で言ってる?」

「本気よ。あたしうそつかないもん」

「電子チケットの名前『ヤマダ ハナコ』にしてたの見えたぞ」

 俺の指摘に、わざとらしく口笛を鳴らすほしみや

 ……本当に、い性格だ。

 結論を言えば、答えは変わらなかった。

 動物の鳴き声はクリア。だけど、人の話し声や仕草はもちろん、至る所にあるポップや看板もみみざわりなノイズになるし、そして一向に慣れる気配がなかった。むしけん感が増したまである。きらいな食べ物を無理やり食べさせられて、さらきらいになるみたいに。

 俺は、園内のフードコートの丸テーブルにしてびていた。精神的にもうしすぎた。

 時刻は一五時。人が集まるお昼時をけたため、ガラガラなのは救いだった。

「あんたの分のラーメンも持ってきたわよ」

 オーダーした料理を受け取ってきたほしみやが対面へこしける。

 俺は手のひらだけ持ち上げて『サンキュ』の意思を伝えた。

「にしても、ほんとにつらいのね」

「だから言ってんだろ……」

 耳のすぐそばで数時間、黒板をかれ続けてみろと言ってやりたい。

 俺は顔を上げて、ほしみやからラーメンをトレーごと受け取った。ほしみやおごりだった。彼女は、チーズバーガーとチュロスを注文したようだ。

 ちぢれたちゆうめんに、具がネギとチャーシューだけのシンプルなしようラーメンだった。俺はなんの感想をいだくこともなく、補給のような気持ちで一口ラーメンをすする。

 同時に、きようがくした。……めっちゃうまい。

 めんを口にしたたん、複雑なうまみが舌でおどった。料理に明るいわけじゃないためこれが何なのか分からなかったけど、とにかく、ジーンとみ込むようなぎよかい系のうまみに、鼻からけるせんれつしの香りが次の一口をかしてくる。動物園のラーメンが何でこんなにいんだ?

 ちら、とほしみやを見る。彼女は、もさもさとチーズバーガーをほおっている。心なしか、けんしわが寄っているようにも見える。あまりしくないのだろうか。

 まんしてやろうとも思ったものの……ほしみやに感想を言ったところで何の意味もないか。

 のどまで出かかった言葉をみ込み、そのままラーメンをすすっていく。

 となりにいる少女に、いつしゆんノイズがかかったような気がした。


***


 一七時を回ったあたりで、今日のところは帰ることになった。これ以上動物園をめぐってもしゆうかくはないとほしみやが判断したのだ。これでようやくノイズごくから解放される、と胸をろした──のだが、そんな甘えは世界が許さなかったらしい。

 今朝入ってきたゲートへ向かう道すがら、ほしみやが遠くを見るように目を細める。何かを見つけたようだ。テナガザルの大きなおりの前で、小さなかげがふたつ、うごめいている。

 子どもが二人だ。おそろいの青い服で、手をつないでいる。兄弟だろうか。兄が五歳くらい。弟の方は……かなり小さい。歩き始めたばかりくらいなんじゃないだろうか。

 兄の方は、目に見えて不安そうにあちらこちらへ視線を泳がせていた。

「迷子か?」

「みたいね。行きましょ」

 は!? とさけぶ俺を置いて、ほしみやは迷子兄弟の元へ向かってしまう。

 子どもは、きらいだ。基本的にうるさいからだ。さけばれようものならもはや兵器だ。できるだけ関わりたくなかったけど、しぶしぶ彼女の後をついていく。

 ほしみやこしを下ろして、すすく兄弟と同じ目線になって話しかけた。

「お兄ちゃんたち、どうしたの? 迷子になっちゃったの?」

 不思議と、安心する声だった。『お姉さん』という役割ロールの声だった。そのぶかやわらかな声質は、今日一日、いつしよに動物園を見て回ったほしみやと同一人物とは思えないほど。

 兄はそれでも、ほしみやけいかいしてか何も話さない。……多分、問題は見た目だな。グラサンがこわいのかもしれない。ほしみやにそっと耳打ちをして、グラサンを外させた。

「えっ、ほしみゆちゃん……!?」

 兄の方は、ほしみやのことをあいしようまで知っていたらしい。黒目がちなひとみをまん丸に見開いていたが、俺も同じくらいおどろいていた。ほしみやの顔と名前は、こんな子どもにまで伝わっているのか。

 ほしみやは、人差し指を口に当て、いたずらっぽくほほむと、

「しーっ。今ね、秘密の任務中なの。みんなに言っちゃダメだよ。守れるかな?」

「う、うん」

「よーし、い子だ。お母さんはどこにいるか分かる?」

「おかぁちゃんはね……ぐすっ、おかぁちゃんがぁ、いなく、なっちゃったぁ……!!」

 最初はハキハキとしやべっていたが、思い出したように、ことじりが弱々しくなっていく。

「ぼ、ぼくが、おにいちゃんだから、しっかりしてなきゃ、いげなかっだのに……」

 おおつぶなみだが、こらえきれないとばかりにボロボロとこぼれ落ちていく。

 これはぜつきようまで秒読みだと判断し、反射的に身構えた。──そして。

「~♪」

 んでいてしんのある力強い、国民的アンパンヒーローのメロディーがかなでられた。

 それは、わたる快晴のような、はひゅーにまさるともおとらないクリアな歌声だった。

 兄の泣き顔が、いつしゆんおどろいた顔にわる。

 声質もそうだけど、リズムもかんぺきだった。それは、思わず安心感を覚えるほどに。

「お兄ちゃんはすごいよ。心細くなっても弟君の手ははなさなかった。君は立派なヒーローだ!!」

「……ほんと? アンパンマンみたい?」

「もちろん!! んでえらいぞっ。じゃあ、お姉ちゃんといつしよにお母さんを探そうね!!」

「う、うんっ!!」

 兄の顔が、パァッと明るくはじけた。

 ほしみやは俺の方へかえると、にししと笑って親指を立てる。

 となりにいる子どもとどちらが年上か分からなくなるほどのそのがおは、やわらかな単音となってひびわたった。それは、この場のノイズをいつそうするほどの、んだ音色だった。

 ほしみやはグラサンをかけ直すと、「うーん」とうなり始める。

 手をつながれた兄は「どうしたの?」と彼女を見上げた。

「うん、よし。迷子センターにお母さんいそうだね。お兄ちゃん、お母さんはあっちだ!!」

 一転してほしみやうれしそうに、入退場のゲートがある方向を指差した。じやにもテンションが上がった兄を追うように、示した方向へあしで向かい始める。

 それを追いかけながら、ほしみやへ耳打ち。

「待てよほしみや。何でそんなこと分かるんだよ」

「そりゃもちろん、たからよ」

「何を?」

「この子が迷子センターに着いたしゆんかんの未来」

 そのかがやがおには、一点の迷いもなかった。


 迷子兄弟の母親は本当に、迷子センターをねた総合案内所で待っていた。はんで飲み物を買ったそのいつしゆんで、姿を見失ってしまったらしい。

 本当にありがとうございました、と母親が俺たち二人にペコペコと頭を下げる。

「いえ、無事にお返しできてよかったです」

 ほしみやは兄弟へ軽く手をる。対して、小さな兄は元気いっぱいの声で、

「ありがと!! ほしみゆちゃん!!」

 ぎくっ、という音が聞こえた気がした。母親や総合案内所の係員は『えっ?』という顔だ。

 ……こいつ、最後にばくだん投下しやがった。

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星が果てても君は鳴れの書影