Chapter. 2 雑音の牢獄、正しい音色の奏で方③

 総合案内所の周りは入退場のゲートも近い。一七時過ぎにもかかわらず、周辺は新たに入園してきた来園者でいっぱいだ。こんなところに引退した天下の大女優様が現れたと知られれば、またたに大パニックだろう。

 ほしみやは「あ、あはは」と苦笑いしながら、グラサンを少しずらして母親へ目配せをする。

「おしのびなので、内密にお願いしますね? あ、この男の子は『つばめ園』の弟なので、れんあいスキャンダルとかじゃないですよ」

 俺を指しながら、困り顔でほほほしみや。その表情からは、『本当はいやだけど仕方なく正体を明かした』ことがさりげなく、しかしきようれつにメッセージとして放たれていた。こんな顔でたのまれてしまえば、だれ一人ひとりとして逆らうことなどできないだろう。女優ってすごい。

『はーい!! ではここで、スペシャルなゲストをお呼びしたいと思います!!』

 ふと、そんな声が、園の中央から聞こえてきた。ヒーローショーなどで使われるオープンステージで何かしらもよおものをしているらしかった。

 司会の声にあおられるように、観客もわぁーっとさけんでいる。幼児が好き勝手に楽器をたたいたようなノイズの多重奏に、耳鳴りがした。

 思わず、早く帰ろうぜという心底いやそうなアイコンタクトをほしみやへ送る。

 彼女は少しだけまゆを垂らして「まぁまぁ」となだめてきた。

 しかし、わいさで完成されたその顔は、次のしゆんかんこおりついた。

『ではお呼びします!! 愛知のほこるヒロイン、『さんごじゅうごっ!』さんのお二人です!』

「あーっ!! 『さんごじゅうごっ!』だ! おかぁちゃん、はやくいこ!!」

 興奮しながら言ったのは、迷子だった兄。申し訳なさそうにしやくする母親を引っ張って、一直線にステージの方へ走り去っていった。

 兄弟へ手をほしみやがおが、やけにさびしそうに見えた。


***


 俺は、動物園のはずれにある、ほとんど人のいないベンチに座っていた。

 となりでは、グラサンをキャップのつばせたほしみやが足を組んでスマホをいじっている。

「にしても、あの集団なんだったんだよ……」

 本当に、ふざけるなよと言いたい。

 あのあと退園しようにも、ひっきりなしにやってくる入場者のせいで激しいノイズにさいなまれ、とてもじゃないがゲートをとおけることができなかったのだ。そのためなん場所として、カップルがないしよでキスするようなしげみの裏のかくっぽいベンチに身をかくす羽目になっている。

「『さんごじゅうごっ!』よ」

 ほしみやが、スマホをながめながらこうしつな声でつぶやく。

「名古屋出身の女性お笑いコンビ。こないだまんざいグランプリで準優勝した。美人で、女優としてもかつやく中。……今日、トークイベントが計画されてたみたいね。気づかなかった」

「……なんでほしみやまでいやそうなんだよ」

「あんた、あたしのこと全然知らないのね」

「テレビより音ゲーばっかしてたからな。ドキュメンタリーを無音字幕で見るくらいしか」

 ほしみやは、わざとらしく『はぁ』とため息をこぼした。

「まぁ、別にいいんだけどさ」

 すっかり陽はかたむき、空はあかねいろに染まりつつある。動物園は少しだけ高台の位置にあるため、このベンチからは陽をみ込んでいく名古屋の街並みがよく見えた。

 ほしみやは、そんなかがやかんばかりの風景を、色を失ったひとみながめていた。

「どうしたんだよ」

 はかなげにらぐ横顔へ問いかける。

「……何が?」

「いや、明らかに元気ないだろ。行きの営業スマイルにつかれたのか?」

「まさか。あれで二四時間ぶっ通せるわよ」

 それはきっと本当なんだろうけど、事実として今の彼女はがない。まるで、彼女という人間を支えていた柱の一つが、ひび割れてその力を失ってしまったみたいに。

「……愛知のヒロイン」

 ほしみやいきに混ぜ込んで、ぎやくするように言った。

「あれね。引退するまでは、あたしの代名詞だったのよ」

「そうなのか。知らなくて悪かった」

「そんなことが言いたいんじゃなくて」

 ほしみやは、ひと呼吸置く。言葉を選んでいるみたいだった。

「なんか……軽いなぁ、って」

 ようやくしぼされたのは、冷たく、感傷的な声。

「こうやって芸能界もしんちんたいしやしてさ、その度にみんな新しいエンタメへえていってさ。今はあたしもさっきみたいに芸能人ムーブしてたけど、いつまで覚えていてもらえるんだろう」

「……」

「しょせんあたしはエンタメの一つ。消費されておしまい。迷子だったあの子も、あたしのこと、そのうち忘れちゃうのかな……なんか、そんなふうに感じちゃってさ」

 いつになく後ろ向きな考え方だった。

 自殺を止められた時も、今日一日をとなりで見てきても、彼女という人間の根底にあるのは『前向き』というイメージだった。それは、人を巻き込んで、わきらずに直進していくような。

「だったら、女優めなければよかったじゃんか」

 だから、じゆんすいな疑問がまろび出た。言ってしまってから、悪手だったと気がついた。

「……そうだね」

 ほしみやは消えそうなみで、ひかえめにつぶやいた。小さなキャップをこれでもかとぶかかぶり直し、その表情はうかがい知れない。まさか、泣いていることはないと思うけど。

 罪悪感から、夕焼けへ目をらす。

 どう考えてもらいだ。ほしみやが芸能界を引退した理由はわからないけど、きっとむにまれぬ事情があったにちがいないのだから。

 ちんもくが流れる。遠くから聞こえるだんしようのノイズがやけに大きく聞こえた。

 ごこの悪い空気にたまれなくなり、新しく話題をった。

「そのぼう、小さくないか?」

「……妹のよ。変装のために買うなんてバカらしいし」

「妹いるんだな……なぁ。そういえば、『つばめ園』って何だよ」

 小さなキャップのつばの下から、ねこのようにするどい灰色のひとみのぞいた。

「さっき言ってただろ。『つばめ園の弟です』とかなんとか」

「あんた、ほんとにあたしのこと知らないのね」

 はぁ、とほしみやはため息をつく。がないのは相変わらずだ。

「これ結構有名な話よ。あのほしみやゆきは、幼いころ親に捨てられ、児童養護せつで育った、って」

「……あ、あー、言われてみれば、聞いたことあるような……ないような」

「で、あたしが育ったせつの名前が『つばめ園』。中学で女優デビューしてかせげるようになったら出ちゃったけどね。ごこは悪くなかったけど、経営厳しかったらしくて」

 スマホで『ほしみやゆき つばめ園』とけんさく。すると、確かにいくつものネット記事がヒットする。出演料の一部を寄付し続けているだとか、そんな内容までさらされていた。

「……そうだ。今度はあたしの番。あんたの過去についても教えて」

 ほしみやは、つばの下からわずかにのぞくアッシュのひとみで俺をく。

「四六時中聞こえてくるノイズがつらくて、救済の手段として自殺を選んだのは分かった。でもなんか、それだけじゃないって言ってたわよね?」

「……軽く言ってくれるな」

 思わず、声に悪意が乗っかった。

 このかれるような苦しみを、たった一言でまとめないでほしい。これはもっと、複雑で、ドス黒くて、形容しがたごくだ。文字通り、想像を絶するものだ。理解してほしいとはつゆほども思わないけど、決して軽く見られていとも思わない。

「軽く言ってるわけ、ないでしょ」

 だけど。その少女から発せられた音には、深い真実味が宿っていた。

 それはまるで、一点のけがれもない、ほうけんの切先のような。

「ちゃんと教えて。しっかり、聞かせてもらうから」

 のどもときつけられたえいおもいに、俺は観念したように口を開く。

「……生きる意味が、分からなくなったんだよ」


◇◇◇

刊行シリーズ

星が果てても君は鳴れの書影