第一章 医者はどこだ!②

 品評の矛先がとある女子に向けられた、その瞬間。お構いなしに動き続けていた男達の舌端がぴたりと止まった。つられておさむまぶたが開き、視線が最前列中央の席へと吸い寄せられていく。

 院長──いまがみつきは、今日もそこで分厚い本を読んでいた。

 彼女に関しては今更品評など必要ないだろう。今年初めて同じ組になったおさむでさえも、それを理解していた。あのたかの花は、いくらたたえても褒め足りないのだから。

 まず、容姿。美をつかさどる女神のおんちようを全て賜ったかのような相貌。

 れいな二重の目から伸びるまつ毛は長く、ゆがみのない鼻と口が絶妙なバランスで整っている。

 小顔に流れるセミショートは深黒に艶めき、対照的に肌は真っ白い輝きを放つ。

 やや高めの身長と、きやしやで細い手足。どこを取っても女子としての魅力が詰まっている。

 抜きん出ているのは見てくれだけではない。その頭脳もまた常人離れしており。

 昨年度の定期試験はぶっちぎりで学年一位。主要五教科に関しては全て満点という。

 才色兼備。いまがみつきという美少女を形容するのに、これ以上相応ふさわしい言葉はない。

「今日も勉強してるぜ。やっぱり医学部に行って医者になるんだろうな」

「俺ら下々の者じゃ見向きもされねーよ。ああ、将来院長の眼鏡めがねかなう男が羨ましい……」

 勝手に諦め、勝手に羨む男達。なんでいまフリー前提なんだ、とおさむは内心突っ込んだ。

 とはいえ、あのガリ勉少女が色恋にうつつを抜かしている光景など全く想像できない。

 いまつきが熟読している本。それは教科書や参考書ではない。漫画や小説、女性誌といった娯楽のたぐいでもない。一般的な高校生が読むには全く分不相応なもの──医学書だ。

 つきの名字、『いまがみ』という文字列から、多くの人が真っ先に連想するものがある。

 いまがみ総合病院。誰もが知る日本一の大病院である。

 年々健康志向が高まる中、テレビや雑誌に健康アドバイザーとして医師が露出することも多くなった。結果、いまがみ病院の名も、その院長の名も、もはや世間が周知するところとなり。

 だから、生徒達も皆知っているのだ。いまがみつきが、いまがみ病院現院長の娘であることを。

 そして遠い未来の先に、彼女がその座に就くのであろうことを。

 もちろんつきはまだ院長でも医者でもない。抜群の成績でクラス委員長を務める、一介の女子高生に過ぎない。けれど、同級生達は尊敬と称賛の念を込めて、彼女のことを院長と呼ぶ。

 委員長を、たった一文字だけ略して。

「──あの、院長。いまちょっといい?」

 そのとき、一人の女子がつきの机に近づき、声をかけた。

 つきは医学書から顔を上げ、じっと少女を見つめる。五秒ほど経過してから口を開いた。

「……どうしたの? わかさん?」

「え? あ、その……私、ぐちだよ」

 名前を間違えられ、ぐちは苦笑いを浮かべながら訂正した。つきの目が大きく開く。

「……ごめん、わかさんの声に似てたから」

「声……そ、そうだよね。院長が私の顔なんて、覚えてないよね」

 自分がつきの眼中にない存在であることを突き付けられ、ぐちの表情に影が差した。

「ああ、ええと……なるべく早く覚えるよ。一年間よろしくお願いします」

 たかの花が下々の者と会話をする機会は珍しく、教室中の視線が集まっていく。

「院長、私バスケ部なんだけど、春休みの試合で相手と接触しちゃって……」

をしたのなら、私じゃなくてお医者さんのところに行きなさい」

 間髪を入れず、つきはぴしゃりと言い放った。

「も、もちろんもう行ったよ。処置もしてもらったし。すねの打撲だって」

「そう。軽くてよかったね。しばらく安静にしていれば、すぐにプレーに復帰できるよ」

「ていうか、もう復帰してる。それとは別の問題が起きちゃって……院長に何かアドバイスもらえないかなぁって」

「別の問題って?」

 問われたぐちは両手の人差し指を合わせ、頰を赤らめていく。

「だ、男バスのもうくんにね、週末遊びに行かないかって誘われたの」

「おおー、青春だ。でも、それには私はなんの助言もできないよ」

「できるよ! だからその……あざを早く治す方法があったら、教えてほしいの」

 ぐちの願いに、つきてんがいったような表情を浮かべた。

「できればスカートをはいて、女の子っぽいところを見せてやりたいのよ」

「それは悩ましいね。……とりあえず、ちょっと見せてみて」

 軽くうなずいたつきが隣の席を指差す。ぐちは腰を下ろし、おずおずと右脚を伸ばした。

 長めの靴下を脱いであらわになったのは、皮膚の下で血管が損傷し、内出血を起こしたことによる打撲創。女子高生の身体からだにはあってほしくない紫斑が、痛々しく存在していた。

「ご、ごめん、グロいよね」

 頭を下げたぐちだが、つきは「ううん、まったく」と首を振り、受傷箇所を視診していく。

「PRICEはちゃんとしたの?」

「ぷらいす?」

Protection保護Rest安静Ice冷却Compression圧迫Elevation挙上

「あ、うん。コーチがしてくれた」

「痛みはまだある?」

 本物のスポーツドクターがするかのような問診に、ぐちは答えていく。

「もうないよ。でも一応、家ではなるべく冷やすようにしてる」

「……それ、もうやめたほうがいいね。むしろ温めたほうがいい」

「え?」

 一日でも早くあざを消そうとケアを続けていたぐちは、真逆のことを言われてぜんとした。

「このあざ、うっすらと黄色が混じってきてるでしょ。これはもう治りかけの段階なの。こうなったら患部を温めて血行をよくして、内出血が身体からだに吸収されるのを促してあげて」

「そ、そうなの? 私てっきり、冷やしたほうがいいのかと……」

「最初のうちはね。……これくらい、スポーツのコーチならみんな勉強してることなんだから、ちゃんと教えてあげてほしいよね。特に女の子相手には」

 淡々と、医者の卵は続ける。

「おに入って、シャワーを優しくマッサージするように当てたり、タオルを巻いた使い捨てカイロで温めてあげたり、あとはヘパリン類似物質含有クリームを塗ってあげるとか」

 ぐちは慌ててスマホを取り出し、アドバイスをメモしていった。

「ありがとう院長! 私、頑張って治すから!」

「お大事に。……でも、もし週末までに治らなかったとしても、隠す必要はないと思うよ?」

 つきの主張に、あざを気にする少女は目をぱちくりとしばたたかせる。

「それはぐちさんが青春をバスケットボールに打ち込んでいるあかしだもの。相手も同じ競技に熱を上げているのなら、そういうの、ちゃんと伝わるんじゃない?」

「そ、そういうものかな?」

「じゃあ、あざのせいで今回大変な思いをしたから、もうスポーツはやらないって思った?」

「……ううん、私、バスケ大好きだから。何回しても、やめたりしない」

「その気持ちを伝えてあげるほうが、あざを治すよりよっぽど魅力的に映りますぜ?」

 少なくとも私には、と締めくくり、つきぐちの診察を終えた。

「……すげぇな。心理カウンセラーとかにもなれるんじゃねーか?」

 おさむの近くで一部始終を見守っていた男子が感服の声をあげる。

ばんそうこう貼られてー」「俺は薬飲ませてほしい」「将来は絶対白衣が似合うスーパードクターになるよな」

 雨あられのごとく降り注ぐ称賛の声に、おさむも内心で同調せざるを得なかった。

 彼女は決して医療行為をしたわけではないだろう。医師免許を持たない者にそれが許されないことは、おさむでも知っている常識だ。

 法には触れない、家庭の医学のはんちゆうで、彼女は一人の人間を健康に導く助言をしたのだ。

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美少女フィギュアのお医者さんは青春を治せるかの書影