第一章 医者はどこだ!③

 あざ程度、放っておいても治るものだが、それでも悩める少女をつきは前向きにさせていた。

「……あのう、おさむ殿どの。院長殿どのが妙々たる女子であることは拙者にもわかったので……おさむ殿どのも、あかたんのこと、治していただけませぬか?」

 呼びかけるはぎの声が聞こえ、おさむは彼がなぜこの場にいるのかを思い出した。……けれど。

「……治すって、俺は医者じゃねーよ」

 そもそも人形は生き物ではない。漢字を当てるなら、〝直す〟が正しい。

 おさむはひらひらやる気なく手を振り、「悪いけど、パス」と旧友からの依頼を拒絶した。

「そ、そんなぁ! そこをなんとか、お願いするでござるよ!」

 何度頼まれようと、関わるつもりはない。

「治療にかかる費用は当然お支払いいたしますから! 謝礼もするでござる!」

「もっと有効な金の使い方があるだろ。プライズってことは、これゲーセンでったんだろ? なら、同じものをオークションで探してみろ。新品未開封がゴロゴロ出品されてるよ」

「それではダメなのでござるよ! 拙者はこのあかたんを治していただきたいのでござる!」

 新品を拒むはぎ。壊れたものにこだわる彼の思考回路が、おさむには理解できなかった。

「とにかく、これは持ち帰ってくれ。昼飯の邪魔だ。スマホでセクシー女優の写真集をおかずにしながら焼きうどんパンを食うのが俺のライフワークなんだよ」

「それ、おかずの意味間違ってねーかくろまつ

おさむ殿どののライフワークは、そんなことでは絶対にござらん!」

 はぎは真剣なまなしでおさむを凝視する。

「思い出すのでござるおさむ殿どの! 中学の美術の時間、みんながおしやべりをしながら適当に課題をこなす中、おさむ殿どのは一人あんなにも熱心に粘土と向き合っていたではござらんか!!」

(……ああ、もう、やめてくれよ)

 大声を出すなと思った。同級生達に、過去の熱情を知られてしまうのが怖かった。

 近距離で叫ばれ、耳がキーンとする。痛い。耳が痛い。両手で塞いで、遮音しなければ。

「……いいから、早く片付けてくれよ。フィギュアなんて、もう俺に持ってくるな」

 耳だけでなく、心にも蓋をする。いまの自分はただのエロス大魔神。利他的な行動などするわけがない。はぎがどかさないのであれば、いっそはらけてしまおうか。

 そう思って、腕を机の上に乗せた、そのとき。

「──あれぇ? じゆうあかじゃん!」

 街でばったり知り合いと出会ったような驚き声が聞こえた。

 反射的に顔を向けると、教室の後方出入口から一人の女子生徒がこちらに駆けてきていた。

「え、やば! なんでこんなところにあかちゃんフィギュアが!?」

「せ、拙者が持って参ったのでござる」

「おー、はぎっちのだったか! 相変わらずのオタっぷりだな、この~!」

 肘の先ではぎの腕をぐりぐりつつきながら、少女は好奇心に満ちた瞳で壊れた人形を眺める。

あかちゃん、いいよね。わいさと微エロさがマッチした神デザだよね」

「さすが殿どの、お目が高い……!」

「でも、壊れちゃってるから……おさむに治してもらいに来たってところ?」

 少女の視線がおさむへと移った。付けまつ毛で強調された両目は一段と大きく見えて。

 かぐや。その瞳を向けられたおさむは、どきりとして背筋が伸びた。

「ちょっと、いきなり走り出さないでよ、かぐや」「誰だし、あかって」

 遅れて入室してきたクラスメイトの女子達がかぐやのそばに集まっていく。

「そういや《姫》を忘れてたな」「姫なら軽そうだし、俺らでもワンチャンあるかも……」

 またしてもおさむの頭上から男共のひそひそ声が聞こえてくる。矛先がつきや他の女子に向けられていたときとは比べ物にならないほど、おさむは彼らに強い不快感を抱いた。

 つきたかの花であるならば、かぐやは誰もがその姿を楽しめる花園の大輪だ。

 秋の名月のような輝く金色に染められた巻き髪は、竹製の髪飾りと共に、見る者をきつけてやまない。整った顔立ちはばっちりと決めたメイクによって一層引き立てられている。

 陽気なテンションで男女問わず打ち解けることができ、既に新クラスの中心人物。

 早速女子のグループを形成し、食堂でランチタイムを共にしてきたのだろう。

 そんな彼女を、一部の男子はこっそり姫と呼ぶ。由来はもちろん、かぐや姫。

「おおー、フリルの造形細かーい。ポーズも決まってる。あ、顔の表情もいい、かわいー」

 かぐやはネイルがきらめく手で人形を持ち上げ、じっくり観察していく。

「……かぐやって、そういうものが好きなの? その、オタク的な……」

「だってあたし、オタクだし。オタクに優しいギャルじゃなくて、オタクなギャルだし」

「……うわさ、ほんとだったんだ」

「なにー、引いた? せっかく仲良くなったけど、エンガチョする?」

 少女達は慌てて首を横に振るが、かぐやを見つめる目は気まずそうなままだ。

「うーん、総じて良き出来かな。──じゃあ最後に、肝心なところを……」

 破損したパーツまで味わい尽くしたかぐやは、人形をぐるりと天地逆転させた。

「ちょっ、かぐや!?」

 人の形をかたどったものを逆さにすれば、当然上に来るのは脚部であり。

 その角度からのぞめば、見えてしまうのだ。衣服の裏側、スカートの中の構造が。

「なーる、あかちゃんの変身体はこうなってたのか。これはいい資料だなー」

「や、やめなって、はしたないよ!」「そんなとこまで見たら、人形だってわいそうじゃん!」

 とがめる友人の声に、かぐやはふるふると首を振り返し、

「ノンノン。そんなところまで見てこそ、この子の魅力を完璧に理解できるのだ」

 人形の秘めたる場所をガン見していく。

「ふもふも、ごっつぁんでごんす」

「や、やっぱりそういうところまで作ってあるんだ?」

「当たり前じゃん。何もはいてないほうがおかしいし、問題でしょ。むしろここを見たいがために買うまである。立体物だからこその場所だし」

 女子達はきつきようと羞恥を隠せない様子だったが、おさむは知っている。かぐやだろうと誰だろうと、美少女フィギュアを手にした人間は、例外なくその場所を目視することを。

 衝動のままに速攻でひっくり返す者もいれば、懸命に己を律する者もいるかもしれない。

 だが、そんな聖人気取りであっても、いずれ必ず、ひっくり返すときがくる。

 なぜなら、美少女フィギュアとは、だから。

 その前提があるからこそ、見えない部分まで作り込んであるのだから。

 全人類をエロス大魔神と化させる、悪魔のような偶像なのだから。

「パンツ見られるより、手足や頭が取れちゃってるほうがよっぽどわいそうじゃん」

 ようやくスカートの中から視線を外したかぐやは、破損パーツを拾い、くっつけと念じるように胴体に押し付ける。ポリ塩化ビニルの塊は、粘土のようにはくっつかない。

「ダメだー、しろうとには瞬間接着剤しか思いつかん。おさむ、これどうやって治すの?」

「……別に俺だってくろうとじゃねぇ」と、おさむはそっぽを向いてぶっきらぼうに答えた。

刊行シリーズ

美少女フィギュアのお医者さんは青春を治せるかの書影