第一章 医者はどこだ!④

おさむが治してあげるんでしょ?」

「新しいのを買えって、さっきはぎにアドバイスしたところだ」

「……フィギュアが安くないの、知ってるくせに。はぎっち、これいくらした?」

「それはプライズ品でござる」

「えっ、ゲーセンでったん!? わー、最近のプライズもあなどれんわ」

 感心した様子で、かぐやは再度人形を見やった。

「それならなおさらこのあかちゃんに思い入れがあるよね。はぎっちが自力でったんだし」

「無論、その気持ちも少なからずあるのでござるが……」

 はぎうつむげんに、壊れた人形にこだわる理由を語っていく。

あかたんを壊してしまったのは、拙者の妹なのでござる。一人で人形遊びをしていた妹が、突然わんわん泣き出して、『お兄ちゃんごめんなさい』と何度も謝ってきて……」

 おさむには、彼の話に耳を傾ける必要はなかった。

「気にするなと言ってもずっと謝り続けてくるのでござる。きっと、罪悪感でいっぱいなのでござる。拙者と、それ以上にあかたんに対して」

 けれど、間近で話をされれば、嫌でも聞こえてきてしまう。

「去年マジカルムーンを一緒に見て以来、妹はあかたんのことが大好きなのでござる。あかたんは二次元世界の住人でござるが、やっと小学一年生になったばかりの妹にとっては、このフィギュアは三次元世界にやってきてくれた、あかたん本人そのものなのでござる」

 おさむの脳裏に、会ったこともないはぎの妹の姿と、自身の幼少の頃の記憶がちらついてきて。

「だから、このフィギュアでないとダメなのでござる。完全に元に戻らなくとも、傷痕が残ろうとも、妹にとってあかたんは世界でこの一体──いや、一人だけなのでござる。入院して、を治して、元気になって戻ってきたよと、拙者は妹にそう言ってあげたいのでござる」

「な、泣かせる話じゃねーか、はぎっちぃ……」

 目頭を押さえたかぐやが、身体からだを震わせていた。

 女子生徒達の瞳も若干潤みを増し、おさむの頭上からは男子連中が鼻をすする音。

「ですからおさむ殿どの! このあかたんを、どうか治してくだされ! 後生でござる!」

 同情は、した。けれど、旧友が深く頭を下げる様を見ても、まだおさむの心は拒んでいて。

「……そんなの、俺じゃなくたって……」

「あんたしかいないんだよ、おさむ!」

 目を背けて逃げ出そうとする少年の首根っこを、かぐやの鋭い声がわしづかみにした。

おさむが、このフィギュアのお医者さんになるの! わかった!?」

「そうだぞくろまつ! いまの話聞いてやらなかったら、男じゃねーぞ!」

「普段下品なことばっかり考えてんだから、たまには人の役にたちなさいよ、エロまつ!」

 ついにはクラスメイトの男女達からも次々とけしかけられていき。

 まどぎわ最後列の席で取り囲まれたおさむに、逃げる場所はもうなくなっていた。

「このまま治らなかったら、はぎっちの妹ちゃん、悲しむだろうなー」

「…………わかったよ。直せば……治せば、いいんだろ」

 肺の空気を全て吐き出し、おさむは観念する。人形の修復依頼が、受諾された瞬間だった。

「か、かたじけのうござるおさむ殿どの!」

「ただし、治療費は一千万円だ。びた一文まけないからな」

「へあっ!? いっせんまんえん!?」

「……あ、悪い、言い間違った。千円な、千円」

 日常生活で通常使用する桁数を思い出し、すぐに訂正する。

「あっはっはー、闇医者気取りかよ」

 ケラケラと笑う少女におちょくられ、誰のせいだよ、と心の中で強く抗議した。

「つか、金取るん? そういうの、タダでやってあげれば格好つくのになー」「所詮はエロまつかぁ」

 無責任におさむを持ち上げた女子達は、身勝手にもおさむに失望していく。不条理なその反応のほうがおさむにはありがたかった。が、今度はかぐやがフォローの言葉を発してしまう。

「治すのだって材料費がかかるんだから、お金取るのは当然っしょ。あのあかちゃん、新品で買ったら二千ま……二千円以上はかかるよ。ね、おさむ?」

 美談に仕立て上げようとする声に、返す言葉は何もなかった。

 はぎは人形を袋に回収し、「おさむ殿どの、よろしくお頼み申し候!」とこうべを垂れながら差し出す。

(……ただ、修復するだけだ。俺が一から作るわけじゃない)

 決して昔に戻るわけではないのだと己に言い聞かせ、おさむは袋を受け取った。

 用件を果たしたはぎは自分の教室に帰ろうとする。と、その背中をかぐやが引き留め、

はぎっち、この前の新人賞、結果どうだったん?」

「うぐっ! ……無念なことに、今回も落選だったでござる」

「そっかー。じゃあ、またあたしが残念賞でヒロインのイラスト描いてあげっから」

 その申し出に、はぎは「まことでござるか!?」と顔を輝かせる。

はぎっちなら絶対大人気ラノベ作家になれるよ! 次こそ受かる! 頑張ってこー!」

 声援を受け、決意を新たにした作家志望者は、床を踏み鳴らしながら去っていった。

「かぐや、絵とか描けるん?」

「プロのイラストレーター志望ですけど、何か?」と横ピースを決めながら宣するかぐや。

「えっ、すごーい! オリンピックのロゴとかデザインしちゃうヤツでしょ?」

「……や、違う。ゲームのイラストとか、ラノベの挿絵とか描くヤツ!」

 一般人のイラストレーターに対する認識に、オタク少女はショックを受けたように首を振った。

 肩を落としながら、とぼとぼと自分の席へと歩いていく。

 彼女の定位置はおさむの真横。椅子を引き、腰を下ろそうと座面を見下ろした、その瞬間。

「ん……? ──きゃああああああぁぁぁぁああぁああああぁぁぁ!!」

 絹を裂くような悲鳴があがった。何事かと顔を向けたおさむだが、

「ちょ──!?」突如、上半身に衝撃を感じた。

 飛びのくように自席を離れたかぐやが、そのままおさむの胸に全身を預けてきた。

「お、おい! かぐやお前、離れろって!」

「いやあ! 虫! がいる!」

 かぐやは少しでも虫から離れようと身体からだを押し付けてくる。引きはがそうとしてもびくともせず、逆におさむが抱き締めているかのような体勢になってしまう。

 密着すればするほど、弾力性のある何かを胸で感じてしまい。

 震える金色の髪から香るかんきつけいの香りが、嗅覚を支配していく。

おさむ、なんとかして! 早く仕留めて!」

「お前がそこにいたら無理だろうが!」

「いーやー! 早くなんとかしてよー!」

 助けを求めて周囲を見回す。が、その先に救いの手はなかった。女子達は当然のこと、男子連中までもがかぐやの机から距離を置き、椅子をまわる一センチ超の恐怖から逃れていた。

(……これも、俺がやるしかないのか)

 覚悟を決め、身体からだひねってかぐやと場所を入れ替えようと、彼女のほそごしに手を伸ばした。

「──随分と物騒な言い方だね」

 そのとき聞こえてきた声は、静やかなれど、明瞭と耳の奥まで届く不思議なものだった。

 教室のざわめきがぴたりとむ。その中を、一人の少女がゆっくりと歩み寄ってきて。

 彼女が通過した道には、おぼろな月光が残されていく。そんな幻想すら抱かせた。

さん、だよね。仕留めてって、このさんに何かしたの?」

 かぐやの机に近づいたつきが、椅子の上のちんにゆうしやを確認しながら問う。

刊行シリーズ

美少女フィギュアのお医者さんは青春を治せるかの書影