第一章 医者はどこだ!⑤
「よく言うでしょ。ミミズだってオケラだって、生きているんだって」
「無理無理無理! あたしほんとに虫とかダメなの!」
「……そう。苦手なものを受け入れるのは、難しいだろうけどね」
ひっ、とクラス中の女子が寒気立つのも
そのまま指を見つめる。少しだけ口元を綻ばせ、窓に向かって歩き出した。
「でも、覚えていてほしいな。
「虫ってね、いまを必死になって生きている生き物の代表なの。何かに熱中することを、なんとかの虫って言うでしょ」
外に出した指に吐息を吹きかけた。風圧に流され、
「あの桜だって、生きてるんだ。いずれ花散るそのときまで、全力で咲き誇っているんだよ。だから、あんなにも色鮮やかで……
遠くを見据える
「いつか終わりがくる人生を私達も過ごしてる。趣味でもスポーツでも恋愛でも、いまこのときの青春を何かの虫になっている人間は、きっと何よりも美しい虫──そう思いますぜ?」
春風になびく彼女の美しい黒髪が、懸命に何かを伝えようとしているように思えた。
「じゃ、じゃあ、院長はGとかも退治しないの?」
「んん、そう言い返されると困っちゃうね。害虫ってのは確かにいるし、私だってお魚やお肉を食べて命を
「これで気持ち的にも大丈夫かな、
「う、うん、ありがとう。院長も、エンガチョする?」
「しないよ。
平然としている同い年の女子を、やはりかぐやは理解できない様子だった。
「それにしても……
唐突に呼びかけられ、
「青春だね」
ただ一言。初めて交わす院長様との会話で、そんな言葉をかけられた。どういう意味だと
「お、おい! いつまでくっついてんだよ! もう離れろ!」
「あー、やっぱりあの椅子、まだちょっと気持ち悪いかも。このまま授業受けよっかな」
「ふざけんな! とっとと月へ帰れ!」
抗議の声を意に介さず、かぐやは
「……なあ、早くどいてくれよ」
「怖くて腰が抜けちゃった。
茶化すように手を上下させる少女から目を
脳内を無にして、かぐやが自ら腰を上げるまでじっと耐え続ける。
「うわぁ、エロ
「殺す。
人気者の女子と密着し続けるエロス大魔神には、ひそひそとヘイトが向けられていく。
「……さて! おふざけはこれくらいにして、午後の授業も頑張っていこー!」
いまはとて
教室中に宣言するように声をあげたお姫様は、ようやくいるべき月の都へと戻っていった。
席を立っていた生徒達もつられて着席していき、騒がしかった昼休みが終わりを迎える。
「──随分な言われようだね」
黒板へ向き直った
「悪く言われるようなことをしてるんだから、当然の評価だろ」
「なら、褒められるようなことをして取り返せばいいじゃん」
そのロジックは単純明快で、誰にも否定されるものでもない。
「
念を押すように。有無を言わせぬように。首を傾ける隣人に返すのは、
煩わしさの象徴たるその反応も、旧知の仲である少女には違う意味に捉えられてしまい。
口角を上げたかぐやが、「頑張れ」とエールを送った。
──これは、ただの修復作業にすぎない。
◇
「おお、
二年生になってから初めて美術室の扉を開けると、久々に見る二人の先輩の顔があった。
眼鏡の男子は美術部部長の
「久しぶりね。バレンタイン以来かしら」
バレンタインチョコを恵んでもらえないかと、二月一四日に訪ねてみたのは覚えている。
だが、そこから先は記憶がなかった。春休みも当然全休。不真面目の
「二年生になって心機一転、部活を真剣にやる気になったか!」
「残念ながら違いますよ、クズ部長」
「いまちゃんと漢字で言ったよな? カタカナじゃないよな?」
「漢字に決まってるじゃないですか、俺達のクズ新部長」
「新って、部長になって半年
光陰矢の
「もう仮入部の一年だって来てるんだ。先輩として、少しは真面目なところを見せてくれよ」
「なら丁度いいや。今日来たのは、知り合いから人形の修復を頼まれたからなんですけど、ここでやっても構いませんよね? 活動として」
スクールバッグから患者が入院している袋を取り出す。
「おいおい、美少女フィギュアってヤツじゃないか。神聖な美術室にそんなものを……」
「あら
「お、
「うちも半分オタクの集まりみたいな部だし。漫画ばっかり描いてる子もいるしね」
部長副部長とは名ばかりで、二人のパワーバランスは相変わらずのようだった。
「ぐぅ……ぼ、僕は認めないぞ。そんな大衆娯楽のサブカル文化」
「じゃあ極力視界に入らないように隅っこで作業しますね、クズ部長」
「アクセントォ! いま絶対カタカナで言っただろ!」
(ま、俺のほうがよっぽどクズだよな)
そんな先輩からしたら、
とはいえ今日は曲がりなりにも活動に取り組む一部員だ。
「──
その独特な二人称に、手が止まる。じんわりと、胸の奥が温かくなった気がした。
首を向けると、棚の陰からひょっこりと顔を
セレーネ・ヒポクラテス・
ギリシャ人の父と日本人の母を持つ、美術部所属の二年生だ。ミドルネームに相当する箇所は彼女の父親の名前があてがわれているため、セレーネ
「……久しぶり、セレーネ」
挨拶を返すと、口元を綻ばせたセレーネがぱたぱたとこちらへ歩み寄ってきて、
「どーん」「いってえ!」
無防備な