第一章 医者はどこだ!⑦

 こうなると、欠けが生じた箇所を肉付けして埋めてやらなければ、元には戻らない。

 穴埋め自体はおさむにとって難しい作業ではないが、厄介なのはそのあと。

 付け足した部分を、違和感なく周囲と一致する色に塗ってやらなければならない。

 これがなかなか大変で。造形はともかく、着色にはそこまでの自信はない。

 それでも、はぎと彼の妹のために、できる限りの治療を施してあげたかった。

「セレーネ、ちょっと手伝ってくれないか?」とイーゼルを用意していた少女を手招く。

「なんだそのフィギュアは」

 塗装の腕ならばセレーネはおさむはるか上を行く。助力を願おうと、事情を説明した。

「──だから、手足をつなげたあと、この肌の部分の色を作って塗ってもらいたいんだ」

 四六時中何かを染めている彼女のことだ。二つ返事で承諾してもらえると思った、のだが。

「お断る。不良部員に貸す手などない」

 ぷいっと顔を背けられてしまった。

「それは事実だけど、今回は人助けなんだし、頼むよ」

「それにおとじや、エゴーの施しを食い逃げした」

「食い逃げって、バレンタインチョコはあげるものだろ……」

「良識ある男子は、しかるべきときにを支払うものだ」

 おさむは察した。施しとはいえ、もらった以上は男として三月一四日に渡すべきものがあった。

「わ、悪かった。購買で何かお菓子を買ってやるから」

「そうだな。しろうとの手作りなど、購買のお菓子でお釣りがくるな」

「よし、欲しいものを言ってみろセレーネ!」

 三倍返しのはんちゆうを越えているだろうが、遅くなってしまった分の利息も含めて身銭を切る覚悟を決めた。セレーネは頰に指を当てながら考え込み、三〇秒後、

ねずみかわごろも

「俺は阿倍あべのか」

「もとい、ドラチュウの着ぐるみパジャマがほしい」

 大人気ゲームのキャラクターグッズをリクエストされ、おさむてんがいった。ねずみのような見た目からドラゴンのごとく火を吹くそのモンスターは、世界中のファンから愛されていた。

 入部後、おさむが課題として提出した立体作品を見てその能力を知るやいなや、セレーネは幾度となくゲームのキャラの造形をねだってきたものだ。

 そのリクエストに応えるつもりは当初はなかったのだが、期待にあふれた緑ので何度も何度もねだられ、挙句教室でも頼まれそうになったので、ついにおさむは願いを聞き入れた。

 セレーネが頼んでくるのはほとんどわいけいのモンスターであり、人間のキャラではない。

 だから──をするわけではないのだ。

 そう己の心と手に言い聞かせ、おさむは都度都度彼女の期待に応えてやった。

 作り上げたものは、その後依頼者の手によって余すところなく塗装されていった。

「わかった。プレゼントするよ。じゃあ、手伝ってくれるな?」

「それはホワイトデーの分だろう。作業を手伝えと言うのなら、別途報酬をもらう」

 さらにグッズを要求されるのかとためいきをついたおさむに、セレーネは望みを伝える。

とい、<画像>の感想を述べよ」

「はあ? そんなモンスターいたか?」

「……エゴーのチョコはどうだったのかといている」

 味を尋ねているのだと理解し、おさむは舌の記憶を辿たどる。

「ああ、普通にうまかったよ。甘すぎず苦すぎずの丁度いいバランスに仕上がってたし、見た目も華やかでれいだった。遅くなったけど、ありがとな」

 セレーネから渡されたチョコは食用色素を用いてカラフルにいろどられていて、彼女らしいなと思いながらありがたく完食したのだった。

「そうか。……よかった」

「セレーネは料理とか得意なのか?」

「できない。だから、ばな先輩に教えてもらいながら、頑張った」

「へえ、気合入ってたんだな。そしたら、一番渡したいと思った人には渡せたのか?」

「…………ん」うつむくように、セレーネはうなずいた。

 もじもじと両手をこすわせる仕草から照れている様子が伝わってくる。普段のやり取りからつい忘れそうになるが、彼女も高校生の青春を生きる女の子なのだと、おさむは再認識した。

 その相手が誰なのかは、わからないが。

「……さすれば、手を貸してやろう」

「え? 追加報酬はいいのか?」

「もうもらった」と一言返されたが、おさむには意味がよくわからず、首をひねるだけだった。

 セレーネはイーゼルを片付けると、机を持ち上げておさむの右隣に並べる。

「別に、俺がくっつけ終わるまでは自分の課題をやってていいんだぞ」

おとじやの作業、近くで見たい」

「や、何も面白いことなんてないし。それに……めちゃくちゃ臭うぞ」

「それがエゴー達の青春の香りだ」

「……俺はシンナー臭がする青春なんてごめんだよ」

 セレーネには届かない程度の声量でぼやいた。決して彼女の青春は否定しないように。

 おさむはワイヤレスイヤホンを耳に着け、スマホで動画サイトを開き、【じゆうあか】と検索する。

 フィギュアとは、モチーフとなったキャラクターの外見にとどまらず、性格や考え方、境遇や決意などを色濃く反映させた芸術品だ。

 たとえ見てくれが一見美しくとも、顎の引き具合や腕の角度、脚の開き方など、ポーズの一つ一つがそのキャラの人物像とかいしていれば、出来になってしまう。

 修復をになう以上、おさむにはじゆうあかへの理解をおざなりにはできなかった。

 横から「エゴーにも見せろ」とせがまれたので、イヤホンの片方をセレーネに渡した。

 隣人がスマホに首を伸ばすと、ふわりとココアのような香りが漂ってくる。

 この優しい匂いを、有機溶剤臭で上書きしてしまうのが申し訳なくなった。

 一五分ほどのシーンまとめ動画を再生する。

 時間効率を考えて二倍速にしようとしたが、それはセレーネに止められた。

『こ、こんにちは。じゆうあかです』と、声優によって命を吹き込まれた少女の声が流れる。

 声のトーンだけで、じゆうあかという少女が内向的な性格をしているのがわかった。

 大した取り柄のない女子高生が、ひょんなことから月の使徒と出会い、月のパワーを源にして魔法少女として変身。平和のために戦っていくという物語だった。

 何事からも逃げていた引っ込み思案の女の子が、徐々に守りたいもののために立ち上がっていく姿は、声優の演技力もあっておさむにも少々響いてくるものがあった。

あか、かわいい。これはおとじやむのもわかる」

 動画を見終えてスマホをしまうと、セレーネが感想をつぶやいた。

「別にんじゃいねーよ。最低限のキャラ知識を得たかっただけだ」

「創作のための下準備ということだろう」

「……作るんじゃない。治すだけだ」

おとじやは、人形は作らないのか?」

 その問いに、おさむは回答を拒否するかのように口にマスクを着けた。

(そんな創作、いくらお前でも、気持ち悪いって思うだろ)

 両手にはゴム手袋をはめていく。パチンと裾をはじく音を合図に、術式を開始する。

 まずは頭部の処置。ピンバイスを使ってミリ単位の穴を開け、胴体の首部分を掘削していく。

 接着剤だけでもくっつきはするだろうが、接着面に補強となる軸を打ってあげるのだ。

『あ、あのう……お医者様。私、治るのでしょうか……?』

 そのとき、

『別に、俺は医者じゃねーよ』

刊行シリーズ

美少女フィギュアのお医者さんは青春を治せるかの書影