第一話②


 新界開発区は群馬県にある。

 山を切り開くように造られた新界開発区はいくつかの区画に分けられており、開拓を指揮する新界資源庁の他、各種企業の本社、支社、工場などと関係者が住む住宅区に分かれている。

 新界にまつわる産業特区であり、産業スパイなどの侵入を防ぐため身分証の提示が義務付けられている。

 法律などにあまり詳しくないはやは興味深くパンフレットを読み込み、バスの外に目を向けた。

 はやが最初に向かうのは行政区だ。新界資源庁の庁舎があり、職員が住む公営住宅やいくつかの企業のビルがある。

 アクタノイドの操作業務を行う者はアクターと呼ばれ、新界開発区に居住が定められている。アクター志望のはやも身分証を発行してもらわなければならない。

 見知らぬ土地、見知らぬ人。はやはバスの向こうに流れる景色を見て縮こまっていた。

 部屋の外に出ると緊張する引きこもりのさがである。

 飾り気のないコンクリートの建物が並ぶ行政区に到着し、バスが停車する。

 はやは椅子に座ってうつむき、降りていく乗客をやり過ごした。最後にこっそりとバスを降り、目の前に見える新界資源庁の庁舎を見上げる。新界開発区における区役所も兼ねているため、中で住民票を発行してくれるそうだ。

 新界という資源の山に直接かかわる庁舎だけあってなかなか巨大な建物だ。地上五階建て、広々とした庭があり喫茶店も併設している。一見和やかだが、入り口の左右には威圧するようにアクタノイドが配置されていた。警備員が操作しているのだろう、はやが通りかかると小さくお辞儀してきた。

 びくりと肩をはねさせたはやはへっぴり腰でぺこぺこと頭を下げ、早足で入り口をくぐる。

 途端に、がやがやとけんそうが出迎えた。一人一人は騒がしくないのに、行きかう人の足音や相談窓口での会話が実際の音以上に聞こえる。

 普段は自分以外に音を発することのない部屋にいるはやにとって、この空間は居心地が悪すぎた。

 早く用事を済ませるべく窓口を探してきょろきょろしていると、相談窓口から女性職員が出てきて声をかけてきた。

「ご案内しましょうか?」

「だ、だいじょうぶ、です……!」

 声を絞り出すように答えて、はやは見つけた窓口へ逃げる。

 心配そうな視線を背中に感じつつ、はやは市政管理の窓口に立つ。職員が顔を上げるのとは正反対に、はやは顔を伏せ、帽子をぶかにかぶりなおした。

「ご用件をどうぞ」

 促されて、はやは自宅でプリントアウトしておいた必要書類をすっと差し出した。

 職員は慣れた手つきで素早く書類審査を終えると、かたわらの小さな機械から印刷されたカードを取り出して窓口に置いた。

「お待たせしました。こちらが新界開発区での身分証になります。警察官等に提示を求められる場合もありますので、外出時には欠かさず携帯してください」

「……はい」

「新人アクター向けの説明会はあちらの廊下を曲がってまっすぐ行った大部屋です」

「あり、がとうございます……」

 口ごもりつつもぺこぺこ頭を下げて、はやは窓口を離れてほっと息をつく。

 何とか無難に受け答えができたと内心で自画自賛するが、はやにとってはむしろここからが正念場。

 廊下の端を歩きつつ説明会場へ向かう。

 説明会場は普段は何らかの講義にでも使っているらしき広い部屋だった。四十人くらいは入れるだろう。

 はやは帽子をかぶったまま気配を消して、部屋の後ろの席に向かう。端には座らない。経験上、数人グループが入ってくると席を代わってほしいなどと声を掛けられるからだ。

 狙い目は最後列の中央付近。帽子をかぶったままうつむいていれば講義を行う教員と目が合うこともない。

 カバンと飲みかけのペットボトルで左右の席を占有してしまえば、はやのテリトリーは完成である。

 あとは気配を消して時が過ぎ去るのを待つのみ。

 ちらりと説明会場を見回す。人手不足と聞いているが、会場にははやと同じアクター志望だろう二十代の男女が二十人ほど。数人グループで固まって座っている。しかし、話し声はまばらで、ほとんどが入り口で配られている説明書を読んでいた。

 彼らにならい、はやも説明書を開く。ネットや政府ホームページなどで調べた内容とほぼ変わりがない。

 はやが応募したアクターの仕事は個人事業主。一人で依頼を受けて依頼をこなして報酬を受け取る。日雇いアルバイトのようなもの。

 企業や新界資源庁、または同業者であるアクターが発注する依頼もあるらしい。

 新界資源庁が制作したスマホアプリ『アクターズクエスト』にアカウントを作ることで依頼を受注できる。説明書には依頼掲示板の一例として画像が載っていた。それまでに受注した依頼の内容や達成率、単位時間当たりの報酬額などからアクターに適した依頼が表示される仕組みだと書かれている。

 害獣駆除の依頼ばかりをやっていれば害獣駆除の依頼が並び、測量ばかりをしていれば測量の依頼が並ぶ。

 しかも、アカウントには銀行口座などの個人情報がひもづけられている。新しくアカウントを作り直しても掲示板には適した依頼が並ぶとあった。

 はやは小さく首をかしげる。

 アカウントを新しくする意味なんてないのでは、と思ったのだ。

 どうやら、依頼主とめてアカウントを掲示板にさらされるなどで新しく作り直すケースがあるらしい。行き過ぎたさらし行為は業務妨害で訴えられる可能性もあると注意文が書かれていた。

 コミュ障故にめる可能性が脳裏をよぎる。これからアクターの説明会だというのに余計な不安を抱える羽目になり、はやは説明書を閉じた。

 ちょうどその時、講義を行う新界資源庁の職員が登壇した。

 講義の内容はほとんど説明書の読み上げだった。唯一時間を多めに割いたのははやたちが扱うアクタノイドについてだ。

「現在、アクタノイドが普及したことで様々な特化型の機体が出ております。大別すると様々な環境で扱うことができるラウンダー系、速度に特化したスプリンター系、通信電波を強化するランノイド系、アクタノイドの修理を新界で行うメディカロイド系、特注されたいわゆる専用機であるオーダー系の五分類です。ラウンダー系は軽装甲と重装甲で特性が異なるので軽ラウンダー系、重ラウンダー系と呼び分ける場合もあります」

 それぞれの代表的な機体をスクリーンに映して説明をした後で、職員が説明会場の外、廊下の扉に合図する。

 扉のわきに控えていた若い職員がうなずいて扉を開いた。

「新人アクターである皆様にはこれから軽ラウンダー系オールラウンダーを実際に操作してもらいます。それぞれにインストラクターが付きますので、指示に従ってください。では、最初の方──」

 名前を呼ばれた女性が席を立ち、廊下に出ていく。

 個別指導らしい。

 一人ずつ名前を呼ばれては廊下に出ていく。ちらりと見える廊下では見るからに体育会系ですと言わんばかりの体格をした陽キャの群れが新人アクターを出迎えて、二人一組を作って廊下の奥へ消えていく。

 インストラクターと二人きりだと確定し、はやの顔は青ざめた。

 操作訓練があるのは知っていたが、グループではなく二人一組とは思わなかった。

 おどおどするはやの名前が呼ばれ、びくりと肩をはねさせる。

 さっさと荷物を持って、はやは足音も立てずに廊下へ出た。

 待ち受けていたのは陽キャの群れの長とおぼしき筋肉だった。

ぶきはやさんだね! よろしく頼むよ!」

 はきはきとしたしやべり方。威圧感が出ないように調整された音程。一瞬で会話の主導権を握る声量。

「君のインストラクターを務めるいわすじたけしだ。さぁ、ついてき──大丈夫かい!?」

 陽のオーラにはじばされたはやがよろめいたのを見ていわすじが慌てる。

 支えようとしてくるいわすじの手を、はやは腕を突き出して拒否し、半笑いになりながら応える。

「ふひっへっだいじょうぶ、です……」

 おどおどとしたしやべり方。存在感が出ないように調整するまでもない音程。一瞬で場の雰囲気を破壊して「なんて?」と聞き返させる声量。

 陰のオーラに戸惑ったいわすじが目に見えて困惑する。

「えっと、男性が苦手なら女性インストラクターに代わることもできるよ?」

 きっといい人なのだろう。だが、苦手だ。

 はやはちらりと廊下に並ぶインストラクターを見る。すべて陽のオーラをまといし者どもだ。この廊下だけ明度が他の三倍くらい違う。

「どうする?」

「だいじょうぶ、です」

 膝が笑っているはやの言葉に説得力はない。しかし、本人が言っているのなら無理にとも言えない。

 いわすじは心配そうな目をしつつ、廊下を歩きだした。その背中を見ると、はやは中学時代の修学旅行で行われた肝試しを思い出す。

 当時からコミュ障をこじらせていたはやは、ただでさえ怖いと評判になっていた伝統の肝試しに話したこともない男子と二人で臨むという状況に絶望していた。

 いやに張り切っていたその男子生徒と一緒にスタートし、カエルが池に飛び込む音にもびくびくしながら肝試しの順路を進んでいた。

 ことが起きたのは順路の半ばを過ぎたあたりだ。男子生徒の歩幅に合わせて頑張っていたはやの息が切れる頃、先行集団に追いついた。

 やっと追いついた。そう言って駆け寄っていく男子生徒。

 はやたちの前のペアは同じ陸上部の部員だったらしい。

 影が薄いはやが遅れていることになど気付きもせず、陸上部らしい健脚で三人はぐんぐん先へ進み──はやを一人置いて行った。

 以来、はやは仲間意識の強い体育会系が苦手だ。

 そして、一人で置いて行かれても逃げ出せるくらいには足を鍛えようと思ったのだ。

 そんなわけで置いて行かれることもなくアクタールームと呼ばれるアクタノイドの操作室に到着した。

 鍵を開けながら、いわすじが説明する。

「アクタノイドの操作技師、アクターはモーションキャプチャーを利用する。それなりに広い空間が必要になるから、新界開発区のアクター用物件は地下室にアクタールームが備えてあるよ。ここは地上だけどね」

 騒音対策で地下に設置してあるのかとはやは納得する。

 アクタールームは防音壁に囲まれた殺風景な部屋だった。扉の横にはオールラウンダーの模型が展示してあり、壁の棚にはモーションキャプチャーに使う各種道具が置かれている。部屋中央にはマットがあり、その正面には新界のアクタノイドの視界を映し出すモニターがあった。

 いわすじの説明が続く。

「モーションキャプチャーを反映する以上、アクターの運動能力はアクタノイドにも反映される。例えば、僕はバク転ができるけど、ぶきさんはできるかい?」

「でき、ないです」

「だとすると、君が操作するアクタノイドは性能に関係なくバク転ができない。だからこそ、アクターは身体からだが資本。きっちり鍛えた方がいいよ」

 ぐっと腕に力を込めて力こぶを作ってみせて、いわすじがにかっと笑う。

「女性向けの会員制ジムも新界開発区にあるから利用してみてね!」

「へへっ」

 あいわらいすら気持ち悪いはやに嫌な顔一つせず、いわすじがオールラウンダーの模型を手で示す。

「今回の操作訓練に使うのはオールラウンダー。新界開発の最初期に作り出された機体でソフト面はぜいじやくだけど、電波が弱い地域でも活動可能な軽ラウンダー系だ」

 はやは模型を見上げる。

 身長百五十五センチメートルのはやから見て、頭二つ分は大きい。二メートルあるそうだ。

「それでは機材の装着から始めよう。足回りはあの感圧式マットレスで操作ができるんだけど、今回は完全マニュアル式で動かすから、専用靴も履いてね」

 いわすじの指示に従い、はやは機材を身に着ける。

 サイズに迷うこともなく流れるように機材を身に着けるはやを見て、いわすじが感心したように拍手した。

「事前に調べてきたのかな? 手がかからなくて助かるよ。では、実際に動かしてみよう!」

 いわすじがモニターの電源を入れる。

 どこかの倉庫の中に作られた特設スペースがモニターに映し出された。向かい側にも同様のスペースがあり、オールラウンダーが一機ぽつんと立っている。どうやら、新人アクターの操作訓練に使うスペースのようで、首を回して周囲を見ると同様のスペースが並んでいた。

 はやは自分の動きと画面との間にある無視できない違和感に気付いた。

 いわすじが声を掛けてくる。

「気付いたようだね。アクタノイドは新界にあるからどうしても通信ラグが発生するんだ」

 無線で世界すら超えた遠隔地にあるアクタノイドを動かす以上、発生する問題──通信ラグ。

 試しに顔の前に手を持ってきて閉じたり開いたりすれば、一秒に満たないながら動作の遅れがあるのが分かる。

 指示するまでもなく通信ラグを見極めようとするはやに、いわすじが感心してうなずく。

「これくらいのラグなら慣れもする。けれど、新界にはどうもうな動物が多々生息していて、アクタノイドが襲われることも多い。そんなとき、通信ラグは致命的な判断の遅れを招くんだ」

 地球から操作するアクタノイドとは違い、現地の生物はリアルタイムで状況に対処する。アクターはコンマ数秒前の状況に対処することになり、非常に不利だ。

「だから、アクターは常に危険予測を心がけるのが大事だ。物陰から動物が飛び出してくるかもしれない。突然足元の崖が崩れるかもしれない。アクタノイドが足を滑らせるかもしれない。常に先の可能性を頭に入れてアクタノイドを操作するように気を付けてほしい」

「へ、へい」

「素晴らしい理解力だ。大変よろしい!」

 輝く笑顔ではやをほめて、いわすじはモニターを見た。

「では、各カメラの視野を説明しよう。メインモニターは頭部にあるけれど、肩の方にはサブカメラがある。オールラウンダーの場合は首の付け根に後方確認ができるバックカメラがついている。機体によってはこれらのカメラの他に赤外線カメラを装着しているものもある。依頼の内容によって使い分けるといいよ」

 いわすじの説明は分かりやすく実践的で、二十分ほどですべての講習が終了した。

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