1 夜のいざない①

なぎさんって変わってるよねー。全然しゃべらないしさ」

「でもわいいよね。あの白い髪、すっごくきれいじゃない?」

「きれいだけど、孤高って感じで近寄りにくいよ」

「分かる分かる」

 今日もクラスメートがなぎノアのうわさばなしをしていた。

 なぎノアはちょっとした有名人だ。

 今年の春にスウェーデンから転校してきた帰国子女で、俺と同じ2年A組。

 友達はたぶん一人もいない。昼休みになると、分厚い参考書をぺらぺらめくりながらプリンをぱくぱく食べている。腰まで届きそうなロングヘアは死んださんのように真っ白で、瞳の色もぎょっとするほど赤かった。

 たかの花みたいな存在だが、同じ学校で生活していれば、接触する機会もたびたびある。

 ある時、目の前を歩いていたなぎノアのポケットから何かが落ちた。

 キャラクターが描かれたファンシーなハンカチだ。

 意外だなと思いつつ、それを拾ってなぎノアに声をかける。

<画像>

「ハンカチ落としたよ」

「…………」

 なぎノアは無言で振り返った。

 場所は廊下。移動教室の最中だ。俺と彼女以外に人はいない。

 ハンカチを差し出しているのに、しばらくなぎノアは微動だにしなかった。

なぎ……さん?」

「ありがとうございます」

 なぎノアは淡泊にお礼を言って受け取った。きびすかえしてすたすたと歩き出す。ところが、三歩くらい進んだところで急にぐるんと振り返り、

「……あの。ここを利用したことがありますか」

 なぎノアは男子トイレの入り口を指差してそう聞いてきた。

 どんな質問だ。俺は困惑のどん底に突き落とされ、うそ偽りなく答えてしまった。

「ない、と思うけど。ここってあんまり来ないし」

「そうですか」

 それだけ言って再び歩き出す。

 白い髪が、陽光を反射してきらきらと輝いていた。

 それで会話は終わってしまった。

 俺にはなぎノアという少女が少しも分からなかった。

 たまに話しかけても「はい」「いいえ」くらいしか言わないし、向こうから接触してくることはもちろん皆無。見るからに浮いている。そのくせ成績優秀・スポーツ万能で、教師陣からも一目置かれていた。何よりあの容姿だ、人目を引かないわけがない。男子から告白されているシーンを何度か目撃したこともあった(「ごめんなさい」で即終了したようだが)。

 とにかく、なぎノアはちょっとした有名人なのだ。

 触れてはならない妖精、みたいな方向性の。


 そんな妖精のストーキングを始めてから一週間がった。


「あいつ、何やってんだ……?」

 街はどんよりと暮れなずんでいる。

 あと少しで太陽は沈み、ひっそりとした夜の世界が訪れる──そんな時間帯。

 スマホのカメラを起動しつつ、なぎノアが消えていったビルの入り口をジッとにらみつける。

『テナント募集中』の貼り紙を見るに、空きビルなのだろう。そんなところに素知らぬ顔で侵入するなんて、何かよからぬことをたくらんでいるとしか思えなかった。

(絶対に突き止めてやる)

 俺の目的は──なぎノアの裏の顔をあばくこと。

 この一週間、目立った動きは見られなかった。

 教室では相変わらず栄光ある孤立を貫いているし、放課後は下宿先の中華料理店で日が暮れるまでバイト。それが終わると二階の角部屋に引きこもり、翌朝まで姿を現さない。一度だけ深夜に外出する姿が確認されているが、近くのコンビニでプリンを買っただけだった。

 しかし、本日ついに行動パターンが変化した。

 寄り道である。こんなへんなビルに。

 俺はごくりと喉を鳴らしてなぎノアの後を追う。

 扉には鍵がかかっておらず、簡単に侵入することができた。ほこりのせいで床が滑りやすく、あちこちにゴミや段ボールの山ができていた。

 こんなところに無断で出入りしている高校生がマトモなわけがない。

 やはり、なぎノアはの容疑者に他ならない。

(決定的な証拠を押さえれば、ひるの居場所も分かるはずだ……)

 息を殺して廊下を進む。

 できれば暴力沙汰は避けたかった。今日のノルマはやつの悪事を記録して脅迫することだ。それまではおんみつ行動を徹底しなければならない。

(……静かだ)

 物音一つしなかった。てっきり犯罪集団のアジトかと思ったのに、この様子だと本当にただの空きビルなのかもしれない。

 階段をのぼり、なぎノアが消えていったとおぼしき広間に足を踏み入れる。

 嗅ぎ慣れない嫌なにおいがした。

 そこで──

 床の上に誰かが倒れているのを見つけた。

 胸にナイフを刺されて死んでいるなぎノアだった。

「え」

 ナイフは心臓をえぐるようにして突き立てられている。セーラー服は真っ赤に染め上げられ、その中心から湧き水のごとくあふれる血液が、だらしなく床に広がっていく。

 不気味なしようが辺りに満ちていった。

 窓から差し込む西日が、暗黒に変わっているのだ。

 世界は底無しの夜に包まれていく。

(何だこれ?)

 本当に死んでいるのか? さっきまで普通に歩いていたのに?

 自殺? 他殺? 事故死? いやそれよりも──

「──おい!? 大丈夫か!?」

 まだ生きているかもしれない。俺はいちの望みをかけてなぎノアに駆け寄った。

「待ってろ、今救急車を呼ぶから……!」

「ぅ……んん……」

 小さな口からうめき声が漏れた。よかった、とあんしている場合ではなかった。

 パニックに陥っていた俺はスマホで救急車の呼び方をググろうとして、

「必要……ないです……」

 紅色の瞳がまっすぐ見上げてきた。

とういつくん……ですよね……同じクラスの……」

「必要ないわけないだろ!? えっと……そうだ思い出した、119だ、」

「だめ。にげて」

 頭上で物音がした。

 ほとんど反射的に天井を仰ぐ。

 奇妙なモノを目撃した。蛍光灯の近くに何者かがへばりついている。

 戦国武将みたいなかつちゆうをまとった男。その手には物騒ななぎなたが握られている。殺意に満ちた目でにらみ下ろされた瞬間、背筋に冷たいものが走っていくのを感じて震える。

 こうしようとともにかつちゆうが降ってきた。

 少し考えれば分かることだ。状況的に考えて、なぎノアは自殺をしたわけじゃない。ナイフをぶっ刺した犯人が近くに潜んでいてもおかしくはないのだ。

 いや、でも、それにしたって──

「何なんだよ、このバケモノ……!」

 足が震えて逃げられない。

 即座に死は訪れた。

 刃が肩口に滑り込み、俺の身体からだはケーキのように切り裂かれていく。

 バランスを崩し、どしゃりと床に崩れ落ちた。

刊行シリーズ

吸血令嬢は魔刀を手に取る2の書影
吸血令嬢は魔刀を手に取るの書影