1 夜のいざない②


「う……ぇ」

 こんなところで死にたくはなかった。

 たとえ身体からだが真っ二つになったとしても、ひるを見つけて家に連れて帰るまでは死ねない。でも手足が動かない。すでに胴体とつながっていないのかもしれない。

 血が馬鹿みたいにあふれ、自分の命の灯火がどんどん弱まっていくのが分かった。

 結局、あのバケモノは何だったんだ?

 なぎノアはこんなビルに何の用があったんだ?

 何も分からない。分からないままざんさつ死体になるのはごめんだった。

「ごめんなさい」

 なぎノアの顔がすぐ近くにあった。

 傷だらけの身体からだをずりずりと引きずって近づいてきたのだ。

 血と血がぐちゃぐちゃに混ざり合い、床は地獄のようなありさまになっていた。

こうれんせいを……するしかないです……」

「な、に……?」

「今まで発動できたことはありませんが。お手柔らかにお願いします」

「おい……」

 かぷり。なぎノアが首筋にみついてきた。

 それは猫があまみをするかのような優しい口づけ。そんな状況ではないと分かっているのに感情がたかぶり、頭が一瞬でショートしてしまった。

 だって、なぎノアがちゅうちゅう俺の血を吸っているのだ。

 一心不乱に。貪るように。

「おいしい」

 とろけるようなつぶやきが漏れた。そうか。こいつは吸血鬼だったのか。かつちゆうのバケモノがいるのなら吸血鬼がいてもおかしくはない──そんなふうに悟りを開いた瞬間、身体からだの奥底で何かが組み替えられるような気配がした。

 視界が黒く染まっていく。それどころか、俺の身体からだが真っ黒い闇に変化していく。

 闇はやがて液状のうねりとなり、周囲の夜と同質化していく。

こうとうよ。どうか私の手に」

 なぎノアの右手が、俺の心臓にねじ込まれた。

 火花がはじける。それは世界を変える奇跡の発現。

 俺の心が──とういつの核が、ぎゅっと握りしめられる感覚。

 ほどなくして、なぎノアはそれを一気に



「すごい……初めて成功しました……」

 なぎノアが目を丸くして俺を見下ろしている。

 俺はきつねつままれたような気分でなぎノアを見上げている。

 不思議なことに、どれだけ床を見渡してもバラバラになった俺の死体は見当たらなかった。さらに不思議なことに、ナイフで刺されてひんだったなぎノアは、ぴんぴんした様子でその場に立っている。彼女も遅れてそれに気づいたらしい。

「あれ? 痛くない……? もしかして……あなたの力……?」

 俺はわけが分からずに周囲を見渡した。

 血で汚れた床、散らばった粗大ゴミ、窓から忍び込む夜の風。

(視界が……)

 おかしい。だか三百六十度を見渡すことができる。

 気持ち悪くておうしそうになったが、そのための口がせていることに気がついた。

身体からだがない? どうなっている?)

 俺の目はなぎノアの手元、柄と刀身のはざあたりに存在しているらしい。五感だけは異常にリアルで、彼女の手に握られていることが肌で分かった。いや、はがねで分かった。

 ようやく事態をみ込む。

 まさか、俺は刀になってしまったのか?

「──こうとうか。このたんで引き当てるとは」

 かつちゆうがしゃべった。かぶとの内側からびたような日本語が聞こえてくる。

 なぎノアは俺をせいがんに構えたまま敵をにらみつけた。

「想定通りです。最初から私はこのこうとうであなたを仕留めるつもりでした」

「しかも治癒系のじゆほう……天運に恵まれたな」

「運ではありません。私はこの力を使ってろつせんそうで優勝します」

「笑止。てんがいしるしざきかんがもらい受けると決まっているのだ」

「それを許すとでも? あなたのようなナイトログには分不相応ですよ」

 俺の知らない漫画の話で盛り上がっているとしか思えなかった。

 耐えきれなくなった俺は、「そうするべきだ」という本能に従って絶叫する。

《──なぎノア! これはどういうことだ!?》

「!?」

 発せられたのは音声ではない。不思議なエネルギーに乗せられた意思だった。

《あいつは何なんだよ!? 俺の身体からだはどうなったんだ!?》

「こ、これが本物のこうとう……ちゃんと意識は残っているのですね」

《何言ってんだ──》

 かつちゆうたけびをあげた。

 血の川を踏み越えて闘牛のように突進してくる。その手に握られているのは長さ三メートルほどのなぎなただ。俺が何かを言う前に、俺を握りしめたなぎノアが迎撃態勢に入る。

《おい! はやく逃げろ! 死ぬぞ!》

 しかしなぎノアは予想外の俊敏さを発揮した。

 なぎなたによる攻撃をひらりひらりとかわしていく。それはさながら演舞のようだった。純白の髪をたゆたわせながら跳ね踊る、この世のものとは思えない妖精の姿。

「馬鹿な! これほどの動き……」

身体からだが軽い……このこうとうのおかげ……?」

「死ね!」

 なぎなたが床にたたきつけられた。

 その瞬間、奇妙な爆発が巻き起こる。

 床材がはじけ、あっという間に下の階が丸見えとなってしまった。

《な、何だあの馬鹿力は……!?》

「やつのこうとうに秘められた力は【ばんしようだん】のじゆほうです」

 説明されても理解が及ばなかった。連続失踪事件は人の手によるものではない──そういう結論が俺の中で下されて以降、ある程度の超常現象に直面することは覚悟していたが、ここまでなまぐさいファンタジー展開になるとは思いもしなかった。

 自分が刀になって振り回されるなんて──これは夢なのだろうか?

「ちょこまかと……! なぎろうの出来損ないが!」

「私は出来損ないじゃありません」

 すれ違いざまになぎノアが刀を振るった。

 全身が肉にめり込む感触、生温かい血のスポンジに沈んでいく感触。

 そして──硬い何かに激突して、それすらも砕いていく感触。

 ぷつり。かつちゆうの左腕が回転しながら飛んでいった。

 みみざわりな絶叫がほとばしる。

「ごめんなさい……これは戦争なので……!」

《い、今、こいつの腕を斬ったのか!? 俺で……!?》

「はい。あとちょっとです」

 床の上でのたうち回る標的目がけ、身をかがめて走る。

 かつちゆうとつにクナイをとうてき。しかしなぎノアは猫のようにジャンプして容易たやすく回避。

 そのまま俺を両手で握りしめながら急降下して──

 脳天に突き刺した。

 飛沫しぶき。断末魔の叫びがとどろきわたる。

 あまりにも不快で貧血になってきた。

「やった……やりました……! これがあれば勝てます……!」

 なぎノアはか大はしゃぎしていた。

 そのテンションと反比例するようにして俺の意識は遠のいていく。

「初めてのこうとう……! さっそくお父様に報告しなくちゃです…………あれ? どうしたのですか? とういつくん…──」

 限界だった。再び何かが組み替えられていくような感覚がした。

 ほどなくして俺は眠りに落ちていった。



 この街では、人がこつぜんと消える事件が頻発している。

 バイト帰りの大学生、親とはぐれた子供、終電まで居残りをしていたサラリーマン──すでに両手の指では数えきれないほどの犠牲が出ているらしかった。

 消えるのかは分かっていない。

 しかし、俺の妹──とうひるも連続失踪事件のじきとなった。


「ありがとうっ。お兄ちゃん大好きっ」

 あれは一カ月ちょっと前。四月二十八日──ひるの誕生日のことだった。

 ひるが前から「欲しい欲しい」と言っていたハンドバッグをプレゼントしてやると、あいつはふにゃふにゃ笑って俺に抱きついてきた。

うれしいな~。うれしいな~。ねえお兄ちゃん、ケーキもある?」

「もちろんだ。お前の好きなプリンが載ったやつを準備してあるぞ」

「やったー!」

 ひるは明るく元気な子だった。

 まんきようのように表情が変化して、周りの人を幸せな気分にしてくれる。

 俺はこいつと一緒にいられるだけで満足だったのだ。

「ねえ、もう食べちゃおうよ。私が生まれたのって確か今くらいだったよね」

「駄目だ。もうすぐ塾だろ」

「えー」

「パーティーは帰ってきてからな」

 ひるは頰を膨らませて「えー」と繰り返したが、すぐに「分かったよ」とうなずいて塾に行く準備を始めた。聞き分けのいい子だったのだ。

 玄関で靴を履いたひるは、ふと俺のほうを振り返ってほほんだ。

 思わず目を細めたくなるような、それは太陽よりもまぶしい笑顔だった。

「──お兄ちゃんが家族でよかった。うちはお父さんもお母さんもいないから。お兄ちゃんがいるだけで、毎日がとっても楽しいよ」

「俺もだ。ひるがいてくれてよかったよ」

「シスコン!」

「いやまあ、間違ってはないけど……」

「冗談っ。じゃあ塾、頑張ってくるね!」

「ああ。居眠りするなよ」

「分かってるってー。お兄ちゃんは部屋を飾りつけておくこと! 私がアッと驚くくらい豪華にしておいてね!」

「はいはい。責任重大だな」

 ひるはくるりときびすかえして出発した。

 俺はその日、ひるを喜ばせるために色々なサプライズを用意しておいた。結局それは何の意味もなさなかった。ひるが帰ってくることはなかった。塾帰りに消息を絶ったのだ。

刊行シリーズ

吸血令嬢は魔刀を手に取る2の書影
吸血令嬢は魔刀を手に取るの書影