──夜煌刀。
心の奥底に、黒光りする日本刀のビジョンが残っている。
これが刀としての古刀逸夜の姿なのだろうか。
困惑する俺をよそに、夜凪ノアはレンゲで掬ったスープをふーふーしていた。
白い毛先がどんぶりに着水している。
このポンコツ臭は相手を油断させるための演技なのか、それとも素なのか。
「夜煌刀になれば傷が治る──つまり、お前は俺の命の恩人ってわけか」
「それを言うならば、あなたも私の命の恩人です。夜煌刀にはそれぞれ呪法と呼ばれる異能が宿っていますが、あなたのそれは使い手の傷や疲労を一気に回復させる破格の代物。あれがなければ私は死んでいました」
「その通りですっ! 私からもお礼を申し上げます!」
カルネが皿を持って飛び出してきた。
ほかほかと湯気を立てるチャーハンが目の前にコトリと置かれる。
「古刀さんの夜煌刀としての性能はトンデモですよ! たぶん、使い手のコンディションを最大限まで引き上げることができるのでしょう。どれだけ攻撃を食らっても回復できる不死身の呪法……【不死輪廻】と名付けましょうか。銘は〈夜霧〉がいいですかね」
「カッコいいです。採用で」
「おい」
夜凪ノアは「こほん」と咳払いをして話を戻した。
「本来、夜煌錬成が成功する確率は極めて低いです。夜煌刀になるにしても相応の適性が必要だからです。私たちがあの修羅場を乗り越えることができたのは、ほとんど奇跡でした」
「俺はまた刀になれるのか?」
「私と接続礼式をすれば可能です。人間形態の夜煌刀を刀剣形態に変換する行為もまた夜煌錬成と呼ばれていますね。ちなみにあなたは私と契約を結んでいますから、他のナイトログが接続礼式をしてもあなたを刀にすることはできませんよ。あなたは私の愛刀になったのです」
ぴとり、と、夜凪ノアの人差し指が俺の首筋に添えられた。
血を吸われた時の官能的な感覚が蘇り、俺は慌てて彼女の指を払った。
「俺はお前のモノになったつもりはない」
「ダメですよ古刀さん、そんなこと言っちゃ」
カルネが夜凪ノアのコップに水を注ぎながら言った。
「夜煌錬成をされた人間は、夜煌錬成をしたナイトログと強固に結ばれているんです。生涯のパートナーみたいなものですよ。ねえ水葉」
急にカルネが座敷のほうへと話を振った。
それまでPCをいじっていた少女が面倒くさそうに「そうだね」と呟いた。
毒々しいバンドTシャツと、メッシュの入ったつややかな黒髪。
言い方は悪いが、やさぐれた家出少女という雰囲気だ。
「彼女はカルネの夜煌刀で、名前は石木水葉。ドラゴン亭の経理担当でもあります」
夜凪ノアがメンマをもきゅもきゅ咀嚼しながら言った。
石木はこちらに関心がないのか、振り向くこともせずにキーボードを叩き始める。
「水葉は私との接続礼式が好きじゃないみたいなんですよぅ。夜煌刀は定期的に刀剣形態にならないと身体が鈍っちゃうのに……でもまあ、口では嫌がってますけれど、なんだかんだ私に協力してくれる優しい子ですよ」
「……だいたい理解した。この世には不思議なことがたくさんあるってことだな」
「理解が早くて助かります」
「だが、俺の知りたい情報は手に入っていない」
俺はまっすぐ夜凪ノアを見据えて言った。
「お前たちは……ナイトログは、この街で起きている事件に関係しているんじゃないか?」
「事件、とは何でしょうか?」
「とぼけるな。連続失踪事件のことだよ」
夜凪ノアとカルネは困ったように顔を見合わせた。
こいつらは何かを知っているのだ。やはり夜凪ノアのストーカーになって正解だった。
「俺の妹、古刀湖昼は、一カ月前の四月二十八日に行方不明になった。それからずっと捜索を続けているが、成果は出ていない」
「ふむふむ。だからナイトログ関係が怪しいのではないかと思ったのですね」
「それと一週間前に差出人不明の手紙が届いたんだ。『夜凪ノアが鍵を握っている』──それだけ書かれた手紙だ。だから俺はお前が事件の犯人なんじゃないかと疑っている」
「え……」
「もちろん半信半疑だ。でもそれ以外に手がかりがなかった。……確認するが、お前が湖昼をどうにかしたわけじゃないよな? たとえば夜煌刀にしてしまったとか」
「そ、それはありえません」
夜凪ノアが目を逸らして呟いた。カルネも「そうですよ」と同調する。
「ノア様は人間をどうにかしようと考えられるほど肝の大きいナイトログではありません。それに、ノア様が夜煌錬成を発動させることができたのは今日が初めてですから。成功させたのが初めて、ではなく、発動させたのが初めてなのです」
その違いの意味がよく分からない。
「ナイトログは人間を狩る、みたいなことを言ってなかったか?」
「そ、そうなのですが、私にはできません。私は何故か夜煌錬成を発動できない体質で、戦う時は木刀を振り回していました。言ってしまえば、その……」
「落ちこぼれなんですよね、ノア様」
夜凪ノアは「うっ……」と呻いてうつむいてしまった。
「……じゃあ、別のナイトログの仕業ってことか」
「はい。おそらく六花戦争の参加者だと思います」
「六花戦争……?」
「夜ノ郷を支配する常夜神が開催するイベントです。ナイトログ六人を籤で選出し、昼ノ郷に送り込んで武力を競わせます。今回の優勝賞品は天外という特別な秘宝だそうで、どの陣営も張り切っているみたいですね」
夜凪ノアはポケットから何かを取り出した。
ピンポン玉くらいのサイズの、それは紅色の球体だった。
「これは六花戦争参加者の証・紅玉です。これを手放すと失格になるため、常に肌身離さず持ち歩く必要があります。六つ集めた者が優勝です」
「それとこれと何の関係があるんだ?」
「本来、新規に夜煌刀を作る夜煌錬成は一日に一度しか発動できません。あんまり刀にしすぎると人的資源が枯渇してしまいますから、常夜神によって制約が課されているんです。でも紅玉を持っていれば──六花戦争に参加していれば、その回数が拡大されます。武器を使い捨てるつもりで全力で戦え、というのが常世神のお考えらしくて」
「参加者の誰かが夜煌錬成を毎日上限いっぱいまで使っているのかもしれませんねえ。それが世間では連続失踪事件として受け止められて騒ぎになっている、と」
カルネが他人事のように補足した。
「……もし刀にされた場合、どうなるんだ? そのナイトログの武器になるってこと?」
「夜煌錬成が成功すれば夜煌刀になりますね、あなたみたいに。でも失敗した場合は──むしろ失敗する場合のほうが多いのですが、その時は何の変哲もないナマクラに変換されてしまいます。夜煌刀としての呪法を持たない、ただの鉄の塊ですね」
「そうなったら──」
「元の形には戻りません。ナマクラは夜煌刀ではないのですから。ちなみに私の場合は成功失敗以前に一度も夜煌錬成を使えたことがなかったので、人間に被害が及んだことはありません」
目眩がしてならなかった。
ナイトログは好き勝手に人間を狩っている。夜煌刀になれればまだマシなほうで、その大半は物言わぬナマクラと化す。そして妹の湖昼もそれの餌食になった可能性がある。
「……あの甲冑も参加者なのか」
「はい。あれは首崎館から選出された六花戦争参加者、首崎ナガラというナイトログです。アジトの様子を探るために尾行していたのですが、奇襲されてしまいました。瀕死の重傷を負ったところに逸夜くんが来て──この紅玉を手にすることができました」
夜凪ノアはもう一つの玉を取り出した。
それは首崎ナガラを倒した証に他ならない。
球体と同じ色をした瞳が、ジッと俺を見つめてきた。
「話を聞いた限りだと、あなたの妹さんはナイトログの毒牙にかかった可能性があります。もしナマクラに変換されていた場合、助ける方法は一つだけ。天外を手に入れるしかない」
「どういうことだよ」
「六花戦争の優勝賞品である天外は、所持者の願いを一つだけ叶えてくれるそうです。仮に妹さんがナイトログとはまったく関係ない理由で失踪していたのだとしても、これを使えば必ず見つけ出すことができます」
「一個しか願いは叶わないんだろ。お前はいいのか?」
「構いません。私が欲しいのは……優勝の栄光だけですから」
古びた首振り扇風機が夜凪ノアの白髪をさわさわと揺らすのを見て、俺は頭を抱えた。
荒唐無稽な話だと思う。否定もできないし、素直に受け入れることもできない。
「あ、古刀さん。ノア様の話を全然信じてませんね?」
「全然ってわけじゃないけど……めちゃくちゃすぎてついていけないんだ」
「ノア様の刀として一回戦ったのに?」
「あれは夢だったんじゃないかと未だに思っている」
「では。これが現実であることを教えて差し上げます」
「え……?」
抵抗をする間もなかった。夜凪ノアがゆっくりと口を近づけてきて、かぷり、と、俺の首筋に歯を立てる。悲鳴をあげて後退ろうとしたが、がっしり抱きしめられて動くことができなかった。滴る血液がちゅうちゅうと吸われていき──
俺の身体は突如として闇のうねりへと姿を変える。