1 夜のいざない④

 ──こうとう

 心の奥底に、黒光りする日本刀のビジョンが残っている。

 これが刀としてのとういつの姿なのだろうか。

 困惑する俺をよそに、なぎノアはレンゲですくったスープをふーふーしていた。

 白い毛先がどんぶりに着水している。

 このポンコツ臭は相手を油断させるための演技なのか、それとも素なのか。

こうとうになれば傷が治る──つまり、お前は俺の命の恩人ってわけか」

「それを言うならば、あなたも私の命の恩人です。こうとうにはそれぞれじゆほうと呼ばれる異能が宿っていますが、あなたのそれは使い手の傷や疲労を一気に回復させる破格の代物。あれがなければ私は死んでいました」

「その通りですっ! 私からもお礼を申し上げます!」

 カルネが皿を持って飛び出してきた。

 ほかほかと湯気を立てるチャーハンが目の前にコトリと置かれる。

とうさんのこうとうとしての性能はトンデモですよ! たぶん、使い手のコンディションを最大限まで引き上げることができるのでしょう。どれだけ攻撃を食らっても回復できる不死身のじゆほう……【りん】と名付けましょうか。銘は〈夜霧〉がいいですかね」

「カッコいいです。採用で」

「おい」

 なぎノアは「こほん」とせきばらいをして話を戻した。

「本来、こうれんせいが成功する確率は極めて低いです。こうとうになるにしても相応の適性が必要だからです。私たちがあの修羅場を乗り越えることができたのは、ほとんど奇跡でした」

「俺はまた刀になれるのか?」

「私とせつぞくれいしきをすれば可能です。人間形態のこうとうを刀剣形態に変換する行為もまたこうれんせいと呼ばれていますね。ちなみにあなたは私と契約を結んでいますから、他のナイトログがせつぞくれいしきをしてもあなたを刀にすることはできませんよ。あなたは私の愛刀になったのです」

 ぴとり、と、なぎノアの人差し指が俺の首筋に添えられた。

 血を吸われた時の官能的な感覚がよみがえり、俺は慌てて彼女の指を払った。

「俺はお前のモノになったつもりはない」

「ダメですよとうさん、そんなこと言っちゃ」

 カルネがなぎノアのコップに水を注ぎながら言った。

こうれんせいをされた人間は、こうれんせいをしたナイトログと強固に結ばれているんです。生涯のパートナーみたいなものですよ。ねえみず

 急にカルネがしきのほうへと話を振った。

 それまでPCをいじっていた少女が面倒くさそうに「そうだね」とつぶやいた。

 毒々しいバンドTシャツと、メッシュの入ったつややかな黒髪。

 言い方は悪いが、やさぐれた家出少女という雰囲気だ。

「彼女はカルネのこうとうで、名前はいしみず。ドラゴン亭の経理担当でもあります」

 なぎノアがメンマをもきゅもきゅしやくしながら言った。

 いしはこちらに関心がないのか、振り向くこともせずにキーボードをたたき始める。

みずは私とのせつぞくれいしきが好きじゃないみたいなんですよぅ。こうとうは定期的に刀剣形態にならないと身体からだが鈍っちゃうのに……でもまあ、口では嫌がってますけれど、なんだかんだ私に協力してくれる優しい子ですよ」

「……だいたい理解した。この世には不思議なことがたくさんあるってことだな」

「理解が早くて助かります」

「だが、俺の知りたい情報は手に入っていない」

 俺はまっすぐなぎノアを見据えて言った。

「お前たちは……ナイトログは、この街で起きている事件に関係しているんじゃないか?」

「事件、とは何でしょうか?」

「とぼけるな。連続失踪事件のことだよ」

 なぎノアとカルネは困ったように顔を見合わせた。

 こいつらは何かを知っているのだ。やはりなぎノアのストーカーになって正解だった。

「俺の妹、とうひるは、一カ月前の四月二十八日に行方不明になった。それからずっと捜索を続けているが、成果は出ていない」

「ふむふむ。だからナイトログ関係が怪しいのではないかと思ったのですね」

「それと一週間前に差出人不明の手紙が届いたんだ。『なぎノアが鍵を握っている』──それだけ書かれた手紙だ。だから俺はお前が事件の犯人なんじゃないかと疑っている」

「え……」

「もちろん半信半疑だ。でもそれ以外に手がかりがなかった。……確認するが、お前がひるをどうにかしたわけじゃないよな? たとえばこうとうにしてしまったとか」

「そ、それはありえません」

 なぎノアが目をらしてつぶやいた。カルネも「そうですよ」と同調する。

「ノア様は人間をどうにかしようと考えられるほど肝の大きいナイトログではありません。それに、ノア様がこうれんせいを発動させることができたのは今日が初めてですから。成功させたのが初めて、ではなく、発動させたのが初めてなのです」

 その違いの意味がよく分からない。

「ナイトログは人間を狩る、みたいなことを言ってなかったか?」

「そ、そうなのですが、私にはできません。私はこうれんせいを発動できない体質で、戦う時は木刀を振り回していました。言ってしまえば、その……」

「落ちこぼれなんですよね、ノア様」

 なぎノアは「うっ……」とうめいてうつむいてしまった。

「……じゃあ、別のナイトログの仕業ってことか」

「はい。おそらくろつせんそうの参加者だと思います」

ろつせんそう……?」

夜ノ郷ナイトピアを支配するとこがみが開催するイベントです。ナイトログ六人をくじで選出し、昼ノ郷デイトピアに送り込んで武力を競わせます。今回の優勝賞品はてんがいという特別な秘宝だそうで、どの陣営も張り切っているみたいですね」

 なぎノアはポケットから何かを取り出した。

 ピンポン玉くらいのサイズの、それは紅色の球体だった。

「これはろつせんそう参加者のあかしこうぎよくです。これを手放すと失格になるため、常に肌身離さず持ち歩く必要があります。六つ集めた者が優勝です」

「それとこれと何の関係があるんだ?」

「本来、新規にこうとうを作るこうれんせいは一日に一度しか発動できません。あんまり刀にしすぎるとかつしてしまいますから、とこがみによって制約が課されているんです。でもこうぎよくを持っていれば──ろつせんそうに参加していれば、その回数が拡大されます。武器を使い捨てるつもりで全力で戦え、というのがとこがみのお考えらしくて」

「参加者の誰かがこうれんせいを毎日上限いっぱいまで使っているのかもしれませんねえ。それが世間では連続失踪事件として受け止められて騒ぎになっている、と」

 カルネがごとのように補足した。

「……もし刀にされた場合、どうなるんだ? そのナイトログの武器になるってこと?」

こうれんせいが成功すればこうとうになりますね、あなたみたいに。でも失敗した場合は──むしろ失敗する場合のほうが多いのですが、その時は何の変哲もないナマクラに変換されてしまいます。こうとうとしてのじゆほうを持たない、ただの鉄の塊ですね」

「そうなったら──」

「元の形には戻りません。ナマクラはこうとうではないのですから。ちなみに私の場合は成功失敗以前に一度もこうれんせいを使えたことがなかったので、人間に被害が及んだことはありません」

 まいがしてならなかった。

 ナイトログは好き勝手に人間を狩っている。こうとうになれればまだマシなほうで、その大半は物言わぬナマクラと化す。そして妹のひるもそれのじきになった可能性がある。

「……あのかつちゆうも参加者なのか」

「はい。あれはしるしざきかんから選出されたろつせんそう参加者、しるしざきナガラというナイトログです。アジトの様子を探るために尾行していたのですが、奇襲されてしまいました。ひんの重傷を負ったところにいつくんが来て──このこうぎよくを手にすることができました」

 なぎノアはもう一つの玉を取り出した。

 それはしるしざきナガラを倒したあかしに他ならない。

 球体と同じ色をした瞳が、ジッと俺を見つめてきた。

「話を聞いた限りだと、あなたの妹さんはナイトログのどくにかかった可能性があります。もしナマクラに変換されていた場合、助ける方法は一つだけ。てんがいを手に入れるしかない」

「どういうことだよ」

ろつせんそうの優勝賞品であるてんがいは、所持者の願いを一つだけかなえてくれるそうです。仮に妹さんがナイトログとはまったく関係ない理由で失踪していたのだとしても、これを使えば必ず見つけ出すことができます」

「一個しか願いはかなわないんだろ。お前はいいのか?」

「構いません。私が欲しいのは……優勝の栄光だけですから」

 古びた首振り扇風機がなぎノアの白髪をさわさわと揺らすのを見て、俺は頭を抱えた。

 荒唐無稽な話だと思う。否定もできないし、素直に受け入れることもできない。

「あ、とうさん。ノア様の話を全然信じてませんね?」

「全然ってわけじゃないけど……めちゃくちゃすぎてついていけないんだ」

「ノア様の刀として一回戦ったのに?」

「あれは夢だったんじゃないかといまだに思っている」

「では。これが現実であることを教えて差し上げます」

「え……?」

 抵抗をする間もなかった。なぎノアがゆっくりと口を近づけてきて、かぷり、と、俺の首筋に歯を立てる。悲鳴をあげてあと退ずさろうとしたが、がっしり抱きしめられて動くことができなかった。したたる血液がちゅうちゅうと吸われていき──

 俺の身体からだは突如として闇のうねりへと姿を変える。

刊行シリーズ

吸血令嬢は魔刀を手に取る2の書影
吸血令嬢は魔刀を手に取るの書影