1 夜のいざない⑤

 そうだ。この感覚だ。やっぱりこれは夢じゃないのかもしれない。

「これがこうれんせい。人間としての肉体は宵闇となって霧散し、その奥に隠された核──つまりこうとうそのものを抜刀することによって変換が完了します」

 なぎノアが胸に手を突っ込んできた。

 しっかりと俺の核をつかんで──そのまま一気に引き抜いた。

「わあっ! すごいですノア様! これがとうさんの刀剣形態──〈夜霧〉なのですね!」

 カルネがぱちぱちと手をたたいている。

 ノアは刀となった俺を握り、周囲に滞留していた宵闇を振り払った。

「どうですか? 刀にされる感覚は」

《……分かった。分かったから元に戻してくれ》

「念じてください。人間形態への変換は自力でできるそうです」

 言われた通りにすると、もやもやとした闇が俺の刀身にまとわりついてきた。闇はうごめく粘土のように変形し、とういつとしての形状へと戻っていく。

 気がつくと、俺はなぎノアの手から離れ、ドラゴン亭の椅子に座っていた。

 再びこんなことをされたら信じないわけにもいかない。

「現実逃避をしたくなってきた」

「あなたはこれからどうするおつもりですか?」

「もちろんひるを捜す予定だけど……」

「選択肢が一つあります」

 細い人差し指がピンと立てられた。それは選択肢とは言わない。

「私のこうとうとして一緒に戦うこと。そうすればすべてが丸く収まります」

 俺はしばらく熟考した。

 メイドのカルネが「ほらほらうなずくしかないですよ~?」と肩をんでくる。

 とういつがこの場でとるべき行動は──

「──ごめん。無理だ」

「ふぁ」

 手から箸が落ちる。なぎノアはこいのように口を開いて固まった。

「な……? ひるちゃんが見つかるかもしれないんですよ……?」

「心の整理がつかない。保留にさせてくれ」

「チャーハンをおごってあげましたよね」

 俺は財布から千円札を取り出してテーブルにたたきつけた。

「このチャーハンは十万円です」

「なわけあるか。帰る」

 あたふたするなぎノアを押しのけて歩き出した。

 世界の秘密を教えてくれた彼女には感謝している。しかし、手を組むかどうかは別問題だ。右も左も分からない以上、あらゆるものを疑ってかかったほうがいい。

「──ノア様ノア様! こうなったら最終おうを使うしかありません!」

「最終おうですか……。仕方ありません……」

 背後で何かの計画が動き出す気配。

 直後、がしっと腕をつかまれてしまった。

「……待ってください。実はあなたを私のモノにするプランは考えてあるのです」

「まさか、暴力?」

いつくん」

 ちょっとドキリとした。下の名前で呼ばれるなんて。

「もともと私は利害関係であなたを縛るつもりはありません。もっと深い関係が理想だと思っているのです。正直、こうとうにすることができたのがいつくんで助かりました」

「俺がその【りん】とかいう能力を持ってたからか?」

「それもありますが。あなただからこそ実行できるプランがあるんです。あなたは学校で私のことをずっと見てますよね。というか、登下校中もずっと監視してますよね」

 バレてる。

「なので、あなたにアベック申請を行います」

「……へ?」

 いつものクールな声色で。

 耳を疑うようなセリフをのたまった。

「私のことが好きなんですよね? そのこまやかな願いをかなえてあげますよ。あなたが私の彼氏になれば、彼女のために働くしかありません。だから……私とつきあってください」

 カルネが黄色い悲鳴をあげた。

 いしは黙々とPC作業をしている。

 よく見れば、なぎノアの指先は小刻みに震えていた。そのとんちんかんな提案をするのに、清水の舞台から飛び降りるような勇気を消費したに違いなかった。

「……あ、あの。返事を聞かせてくれませんか」

 ああ。こいつは演技じゃない。

 素だ。ド素だ。

 申し訳ないと思うが、もちろん断った。



 ごーん、ごーん、と鐘の音が八回くらい鳴っています。近所迷惑としか思えない音色を鼓膜で感じながら、私はドラゴン亭のテーブルに突っ伏しました。

「…………………………………………………………………………………………しにたい」

 人生で初めて告白して(しかも超上から目線)、見事にフラれたのです。

 人間はナイトログと違って平和的な生き物なので、戦いに首を突っ込みたがるはずがありません。彼らを奮い立たせるためには愛の力が必要なのです、とカルネが言っていました。ノア様はわいいから大丈夫です、きっと告白は成功します、とカルネが言っていました。

 でもカルネはうそきだったみたいです。

「元気出してくださいノア様! とういつが妹さんに辿たどくためにはノア様の協力が必要不可欠なんです! そのうち泣きついてきますよ」

「じゃあ私が告白する必要なくないですか……?」

 よく考えてみれば、いつくんが私を追いかけていた理由は「好きだから」ではなく「連続失踪事件の容疑者だから」だったのでした。自意識過剰にもほどがあります。

 カルネが「てへ」と舌を出しました。

 私は激怒してぽかぽかとメイドを殴ります。

「どうしてくれるのですか! 変な子だって思われたかもしれません!」

メイウエンテイですよ! 少年少女はそうやって大人の階段をのぼっていくんです」

「ううううっ……!」

 いつくんには嫌われたくありません。

 契約を結んだナイトログとこうとうは、身体的にも精神的にも強固なつながりを持つことになります。いわば伴侶のようなもの。できることならいつくんには心を開いてほしい。

 自分だけの愛刀と仲を深めることは、私の夢でもあるのです。

「失敗しました。カルネに頼った私が愚かでした」

「えぇ? でもみずは『私のパートナーになってください』って言ったらOKしてくれましたよ? ねーみずーっ」

「うざい……」

 カルネがみずに頰擦りをし始めました。

 みずは鬱陶しそうに暴れていますが、満更でもなさそうです。

 羨ましい、私も自分のこうとうと仲良くなりたい、いつくんとああいうことをしたい……!

「そうだノア様、みずに協力してもらえばいいんじゃないですか?」

「へ?」

「同じこうとうなら話し合いもしやすいかと思いまして。ナイトログに使われることの素晴らしさを正しく伝えられるかもしれません!」

 私は期待を込めたまなしでみずを見つめます。

 彼女は居心地悪そうに身じろぎをして目をらしました。

「僕は協力しない。あんたらで勝手にやってれば」

「え~? もしかしてとういつのこと、キライですか?」

「僕はあの人に同情してるだけだよ。いきなり刀にされたら誰だって困惑するでしょ。普通の人間だったら受け入れられないって。まー僕はこうとうになるを取ったけどね」

 みずは「それよりも」とノートPCの画面を指差しました。

「カメラの映像」

「おぉ?」

 そこに映っているのは、刀を構えた少女の姿でした。

 みずは偵察用のドローンを飛ばしているのです。

「これは……ナイトログですね」

「場所はここからそう離れていないよ。近いうちに仕掛けてくるかもね」

 私は不穏な気分になって画面を見つめました。

 彼女の足元に散らばっているのは、無数の折れた刀。

 どう見ても普通の刀剣ではありません。間違いなくこうとうのなり損ない──ナマクラです。

 もしかしたら、彼女が連続失踪事件の犯人なのかも。

 やつらに対抗するためにも、はやくいつくんを懐柔しないといけません。



 翌朝。俺はもやもやした気分で登校することになった。

 昨日のことがいまだに頭から離れないのだ。

「おはよういつ。なんか顔色悪くない?」

 重たい足取りで廊下を歩いていると、中学時代からつるんでいるおぎまことが肩をたたいてきた。柔和な顔立ちなので女子に間違われやすいが、れっきとした男子生徒である。

「寝不足? ひるちゃんが心配なのは分かるけど、無理はよくないよ」

「分かってるさ」

「体調崩すと成績にも響くし。また赤点とって補習になったら面倒でしょ」

 補習になったところでいたくもかゆくもない。

 俺にとって重要なのはひるの安否だけだからだ。

「ああ、そういえば。また消えたんだって」

「何が?」

「塾帰りの中学生が行方不明になったらしいよ。うちの学校もピリピリしてて、生徒たちを集団下校させようかって話になってるみたい」

「高校で集団下校かよ」

 連続失踪事件には色々な解釈がなされている。

 ただの偶然。集団幻覚。犯罪組織の陰謀──いずれも的を射たものではなかった。

 普通の人間はナイトログと接点がないからだ。

「あ、とうまことくん! こっちこっち!」

 色々と考えながら教室に入ると、無駄に元気のいい声が響きわたった。

 ど真ん中の席で手を振っていたのは、きさらぎひかという女子生徒だ。

 身長はうちの妹よりも小さく、露出したでこっぱちが幼い印象に拍車をかける。

 俺は彼女のもとへ向かいつつ、横目でまどぎわの席をうかがった。

 なぎノアはまだ来ていないようだ。

「どしたの? とう、死にかけって顔してるよ」

「元からこんな顔だよ」

 きさらぎは「ぎゃははは」とギャルみたいに笑った。

 近くにいた女子ももれなく爆笑する。なんだかたまれない。苦手だ。

「で、何か用事?」

刊行シリーズ

吸血令嬢は魔刀を手に取る2の書影
吸血令嬢は魔刀を手に取るの書影