第1章 深窓の令嬢の夜の顔⑤

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 その日の夜。

 僕は先日と同じ時間に、同じコンビニに行ってみた。

 さりげなくイートインコーナーの全面ガラスの前を通ってみると、そこにぞえの姿があった。彼女は夜空をぼんやり見ていたらしく、僕に気がつくとわずかに目を見開いた。

 僕はガラス越しに片手を上げて応える。

「ま、まさかまたきてくれるとは思いませんでした」

 店の中に入ってイートインに回れば、ぞえは驚いた余韻を引きずったままそんなことを言ったのだった。

「何となくいる気がしたんだ」

 いなければいなかったでコーヒーでも飲んで帰るつもりだった。

「わたしもです。昼間目が合ったからでしょうか。ここで待っていたらあかざわさんがきてくれるような気がしました」

 どこかうれしそうにぞえは言う。

「ちょっと素敵ですね」

「なのかな」

 僕にはよくわからない感覚だ。

 ぞえと同じく、僕がここにきたのは昼間の件がきっかけだ。でも、何か意味が込められたわけでもない視線を動機にするのは合理的とは言いがたい。残念ながら僕はそう感じてしまう側の人間だった。

「あ、そうだ。ちょうどいいです」

 ぞえてのひらを合わせた。小さく音が鳴る。それはどことなく彼女らしからぬ子どもっぽい仕草に思えた。教室にいるときよりふわふわしている感じがする。

「どうした? 何か話か?」

 ぞえは僕に何か話があるらしい。彼女の横に腰を下ろす。どうやら今回もまた商品を買うのとイートインを利用する順番が逆転しそうだ。

「はい。えっと……」

 ぞえは一度口ごもる。

「実は今度、自分の好きな服で街に出かけようと思ってるんです」

 やがて口を開き、そう告げた。

 ぞえは固い決意を僕に伝えるかのように、ぐこちらを見つめてくる。

「いいんじゃないか。それは正しいことだと思う」

 要するにギャル系ファッションで出かけようという話なのだろう。周囲の勝手なイメージに振り回されず、自分の好きなかつこうをすることは正しい行為だ。僕は支持する。

「ありがとうございます……!」

 僕の肯定に、ぞえは胸をろす。

「そ、それでですね……あかざわさんにもついてきてほしいんです」

「うん?」

 だが、続く彼女の言葉に僕は首をかしげることとなった。

「なぜ僕が? 一緒に行ってくれそうな友達ならいっぱいいるだろう?」

「クラスの子たちには、わたしがこういう服が好きなのを知られたくないんです」

 人のためか自分のためかはわからないが、まだどこかイメージを崩したくない気持ちがあるのかもしれない。これがぞえみずの立場というものか。

「じゃあ、ひとりで行けばいい」

「そ、それもダメです」

 ぞえは言葉に詰まりながらも、きっぱりと否定した。

「前に一度やろうとしたことがあるのですが、たくさん男の人が声をかけてきて、怖くなってすぐに帰ったんです」

「なるほど。それは難儀だな」

 僕はうめくようにうなずいた。遊び慣れていそうな見た目に、男が次から次へと吸い寄せられてきたのか。まだこういった服で遠出をしたことがないと先日言っていたが、人目を気にする以外にもそういう理由も含まれているのだろう。

 それで今度は僕をつれていこうというわけだ。

「ひとついい案がある」

「はい、何でしょうか?」

 僕の提案に期待してか、ぞえは背筋を伸ばす。

「セレナをつれていけ」

「せれな?」

 どうやら誰のことかわからなかったようだ。

はいばらセレナ」

「ああ、はいばらさんですか」

 僕がフルネームを言えば、彼女はようやくその正体に思い至る。

「そう。セレナなら僕の価値観に近いから適任だ」

 好きなファッションについては知られてしまうが、範囲はセレナひとりにとどめられる。しかも、彼女は人の趣味をとやかく言うような女の子ではない。加えて男避けとしても十分に機能する。

「あ、あの、つかぬことをお聞きしますが……」

 ぞえはやけに丁寧な言い回しで切り出してきた。

はいばらさんのことはいつも名前で呼んでいるのでしょうか?」

「そうだけど? セレナも僕のことをチカと呼んでる」

 理由は言わずもがな。僕が孤立してしまって、好き好んで接してくれるのがりゆうすけとセレナだけになってしまい、親しくなった結果なのだが、それはぞえの前で言うことではない。

 たぶん彼女が誰よりもわかっていることだろう。

 と、そこでなぜかぞえが頰をふくらませた。わけがわからないが、僕は話を進める。

「どうだろう?」

「いやです。あかざわさんが一緒についてきてください」

 今までの自信がなさそうにひとつひとつ確認するような口振りから一転、ぞえはきっぱりと言いきった。

 僕は軽くめんらう。

「いや、僕よりセレナのほうが──」

「だいたい」

 と、ぞえは僕の発音を遮った。

「好きな服を着ればいいと言ったのはあかざわさんですよ。自分で言ったことの責任くらいとってください」

「その理屈は正しいとは思えないんだがな……」

 僕は思わず腕を組んで、天を仰ぐ。

 好きな服を着ればいいと言った以上、いざぞえがそうしようとしたときに障害があったら僕がそれを取り除く──正しいと言えば正しいのか?

 僕はしばし考えてから、

「わかった。つき合うよ」

「ほ、ほんとですか!?」

 途端、ぞえは目を輝かせて顔を寄せてきた。

「それこそ言ったことの責任だ。アフターサービスくらいするさ」

 そう答えてぞえのほうを見れば、思いがけず近い位置に彼女の顔があった。ぞえが慌てて離れる。顔同士の距離感は正しく測れるようだ。

「じゃあ、僕はこれで」

 僕は立ち上がった。

「あ、はい、また」

 ぞえのその声に見送られながら、僕は売り場へと向かう。今日の夕食になりそうなものを買わないと。

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孤独な深窓の令嬢はギャルの夢を見るかの書影