自分でも理解はしているが、何となく今のスタイルのほうが性に合っている。
「あ、あの、よかったら今度……」
「うん?」
「い、いえ、何でもないです……」
野添がいつも以上に遠慮がちに発音したため僕が反射的に聞き返すと、彼女は結局言いかけた言葉を吞み込んでしまった。
それから今度は、たたっ、と逃げるように窓へ寄る。
「あ、やっぱりうちが見えますね」
やけに嬉しそうにそう言うもので、気になって僕も野添の隣に並んだ。
「ほら、あそこ。あそこがうちです」
ここは坂の多い街だ。おかげでこのマンションも街の外れの斜面に立っていて、街全体がよく見えた。ただ、野添は自分の家があるらしいあたりを指さしているが、もう少し特徴を言ってくれないと僕にはどれがそうなのかわからなかった。
「あ、もうこんな時間。そろそろ出ないといけませんね」
野添は腕時計の文字盤を見て小さく声を上げた。
確かに予定通りの時間と場所で落ち合うつもりなら、もうとっくに家を出ておかないといけないタイミングだ。だが、その野添はここにいる。約束は完全に崩壊していると言っていいだろう。
野添が再びきょろきょろと部屋を見回し──申し訳なさそうに口を開いた。
「す、すみません、赤沢さん。ちょっとあっちを向いててもらっていいですか?」
「うん?」
いったい何がはじまるのかわからないが、僕は言われた通り野添に背を向ける。
「どうした?」
「出かける前に着替えようと思って」
「ちょっと待て」
僕は慌てて声を上げた。確かに野添がここに寄ったのはそれが目的だが、僕に背を向けさせただけで着替えはじめるやつがあるか。
このタイミングならまだ服は脱いでいないだろうが、念のため振り返らずに続ける。
「あっちに脱衣所があるからそこを使え」
「そ、そうですね……」
言われてようやくそのことに気づいたようで、野添は恥ずかしそうにそう答えると、僕の横を抜けて脱衣所へと入っていった。
彼女の姿が見えなくなると、僕はため息を吐いた。それは野添に呆れたからか、それとも緊張から解放されたことによるものか。
「お待たせしました」
程なくしてそんな声とともに野添が出てきた。
彼女は赤いタータンチェックのスカート姿だった。上は肩も露なオフショルダーのトップス。大きめのシルエットで、肩以外の体の線は出ていない。
「洗面台もお借りしていいですか?」
僕が何か感想を言うよりも先に、野添がそう聞いてきた。どうぞ、と僕がジェスチャーで答えると、彼女は再び脱衣所の中へと引き返していった。
つられるようにして僕も後を追い、中を覗く。と、野添が鏡に向かってメイクをはじめていた。楽しそうだ。だが、すぐに横で様子を窺っている僕に気づく。はっとして、途端に恥ずかしそうに顔を赤くした。
「あ、あの、そこでじっと見られると、その……」
「悪い」
僕はその声に追い立てられるようにして、その場から離れた。
意味もなく窓の外を見る。先ほど野添が指さしていたあたりに目をやれば、そこには古くからありそうな大きな邸宅がいくつか点在していた。このどれかが野添の家なのだろうか。
それにしても落ち着かない気分だった。
教室では深窓の令嬢然としている野添瑞希が実はギャル系のファッション好きで、僕をおともに指名して出かけると言い出し、その準備をこの部屋でしているのだ。いったいなぜこんなことになったのか。
とは言え、彼女には自分を解放する場所が必要なのかもしれないとも思う。
「終わりました」
野添の声が僕を思考から呼び戻した。
「ど、どうでしょうか……?」
そこにいた彼女は先ほどの服に加え、はっきりめのメイクに凝ったヘアスタイルをしていた。こうして見ると、明るい茶髪が今のスタイルによく似合っている。バリバリのギャル系というわけではなく、ややひかえめなそれだった。まぁ、もとがあの野添瑞希だからこんなものかもしれない。
「ああ、似合ってるんじゃないか」
「ほんとですか? よかったです」
僕のひと言に、彼女はほっと胸を撫で下ろす。
「じゃあ、行こうか」
尤も、こういう恰好で街を歩きたいというのが野添の希望で、僕はそのおともをするだけ。行き先を知っているのは彼女しかいない。
「あ、待ってください」
そう言って野添は、持ってきた大きなバッグに駆け寄った。中から取り出したのはハイカットのスニーカーだった。いま着ている服に合いそうなデザインのその靴が、最後の仕上げのようだ。