第1章 深窓の令嬢の夜の顔⑦

 自分でも理解はしているが、何となく今のスタイルのほうが性に合っている。

「あ、あの、よかったら今度……」

「うん?」

「い、いえ、何でもないです……」

 ぞえがいつも以上に遠慮がちに発音したため僕が反射的に聞き返すと、彼女は結局言いかけた言葉を吞み込んでしまった。

 それから今度は、たたっ、と逃げるように窓へ寄る。

「あ、やっぱりうちが見えますね」

 やけにうれしそうにそう言うもので、気になって僕もぞえの隣に並んだ。

「ほら、あそこ。あそこがうちです」

 ここは坂の多い街だ。おかげでこのマンションも街の外れの斜面に立っていて、街全体がよく見えた。ただ、ぞえは自分の家があるらしいあたりを指さしているが、もう少し特徴を言ってくれないと僕にはどれがそうなのかわからなかった。

「あ、もうこんな時間。そろそろ出ないといけませんね」

 ぞえは腕時計の文字盤を見て小さく声を上げた。

 確かに予定通りの時間と場所で落ち合うつもりなら、もうとっくに家を出ておかないといけないタイミングだ。だが、そのぞえはここにいる。約束は完全に崩壊していると言っていいだろう。

 ぞえが再びきょろきょろと部屋を見回し──申し訳なさそうに口を開いた。

「す、すみません、あかざわさん。ちょっとあっちを向いててもらっていいですか?」

「うん?」

 いったい何がはじまるのかわからないが、僕は言われた通りぞえに背を向ける。

「どうした?」

「出かける前に着替えようと思って」

「ちょっと待て」

 僕は慌てて声を上げた。確かにぞえがここに寄ったのはそれが目的だが、僕に背を向けさせただけで着替えはじめるやつがあるか。

 このタイミングならまだ服は脱いでいないだろうが、念のため振り返らずに続ける。

「あっちに脱衣所があるからそこを使え」

「そ、そうですね……」

 言われてようやくそのことに気づいたようで、ぞえは恥ずかしそうにそう答えると、僕の横を抜けて脱衣所へと入っていった。

 彼女の姿が見えなくなると、僕はため息を吐いた。それはぞえあきれたからか、それとも緊張から解放されたことによるものか。

「お待たせしました」

 程なくしてそんな声とともにぞえが出てきた。

 彼女は赤いタータンチェックのスカート姿だった。上は肩もあらわなオフショルダーのトップス。大きめのシルエットで、肩以外の体の線は出ていない。

「洗面台もお借りしていいですか?」

 僕が何か感想を言うよりも先に、ぞえがそう聞いてきた。どうぞ、と僕がジェスチャーで答えると、彼女は再び脱衣所の中へと引き返していった。

 つられるようにして僕も後を追い、中をのぞく。と、ぞえが鏡に向かってメイクをはじめていた。楽しそうだ。だが、すぐに横で様子をうかがっている僕に気づく。はっとして、途端に恥ずかしそうに顔を赤くした。

「あ、あの、そこでじっと見られると、その……」

「悪い」

 僕はその声に追い立てられるようにして、その場から離れた。

 意味もなく窓の外を見る。先ほどぞえが指さしていたあたりに目をやれば、そこには古くからありそうな大きな邸宅がいくつか点在していた。このどれかがぞえの家なのだろうか。

 それにしても落ち着かない気分だった。

 教室では深窓の令嬢然としているぞえみずが実はギャル系のファッション好きで、僕をおともに指名して出かけると言い出し、その準備をこの部屋でしているのだ。いったいなぜこんなことになったのか。

 とは言え、彼女には自分を解放する場所が必要なのかもしれないとも思う。

「終わりました」

 ぞえの声が僕を思考から呼び戻した。

「ど、どうでしょうか……?」

 そこにいた彼女は先ほどの服に加え、はっきりめのメイクに凝ったヘアスタイルをしていた。こうして見ると、明るい茶髪が今のスタイルによく似合っている。バリバリのギャル系というわけではなく、ややひかえめなそれだった。まぁ、もとがあのぞえみずだからこんなものかもしれない。

「ああ、似合ってるんじゃないか」

「ほんとですか? よかったです」

 僕のひと言に、彼女はほっと胸をろす。

「じゃあ、行こうか」

 もつとも、こういうかつこうで街を歩きたいというのがぞえの希望で、僕はそのおともをするだけ。行き先を知っているのは彼女しかいない。

「あ、待ってください」

 そう言ってぞえは、持ってきた大きなバッグに駆け寄った。中から取り出したのはハイカットのスニーカーだった。いま着ている服に合いそうなデザインのその靴が、最後の仕上げのようだ。

刊行シリーズ

孤独な深窓の令嬢はギャルの夢を見るかの書影