#4 スイカのゲームしかやる気しない町野さん
ゴールデンウィークが明けた五月の初め。
僕はいつものように、部室の床にドミノを並べていた。
「そろそろ、新入部員とかきてもいい頃だけど……」
うちの学校はいまどき珍しい、「全員部活加入」という校則がある。
とはいえ自由に部を創設できるので、ブラック校則というほどじゃない。
しかし最初に選んだ部活になじめず、部を創設するのも面倒なんていう人は、「どこかに籍を置かなければ」と、あちこち見学をする時期だった。
「ドミノはこんなに楽しいのに、なんで人気がないんだろう」
並べて倒すだけで、生産性がないと思われているのだろうか。
「それなら『学年一位の彼は、ドミノを並べて集中力を養っているらしい』とか、『モテたい人はドミノを買いなさい 〜並べて倒す恋のドミニケーション〜』とか、自己啓発系のアピールをしていくべきかも……」
いっそ僕が書こうかと思っていると、ふいに部室の引き戸が開いた。
「わらひも、ふうふうもふ、ほひー」
現れたのは、スポーツバッグを斜めがけにしたポニーテールの女子生徒。
以前はジャージを羽織っていたけれど、五月は長袖ブラウスがメインの模様。
「町野さん。ちくわを食べ終わってから、もう一回お願い」
水泳部に顔を出すまでの数分間、町野さんはここで雑談をしていく。
アスリートのタンパク源として、ちくわは優秀な食べ物らしい。
「『わたしも集中力欲しい』って言った。記録会が近いから」
「それならドミノじゃなくて、普通に練習したほうがいいと思うよ」
「自分の競技とは違うスポーツに取り組む、って練習方法があるでしょ。野球選手がゴルフしたり、サッカー選手がゴルフしたり」
「それオフの趣味だね」
「というわけで、わたしもドミらせて」
町野さんが部室の隅に移動して、半透明の衣装ケースからドミノ牌を取りだした。
「別にかまわないけど……うっ」
木の床にひざまずいた町野さんを見て、僕は思わず目をそらす。
スカートの丈が短いので、たいへんに危うい。町野さんは水泳部だから下は水着の可能性もあるけれど、今日は体育もないし、朝から放課後まで着っぱなしは考えにくい。
「なるほど。わたし初めて並べたけど、たしかにこれは集中力が養われるね」
「そ、そうだね。S字とか円の形で並べるときは、1ミリのズレでも失敗するし」
「ふーん。つまり二反田は、集中力に自信があると」
いままさに集中できないのだけれど、それを白状できるわけもない。
「自慢みたいになるけど、僕は中学のときドミノの国際大会デザイン部門で入賞したんだ」
「えっ、すご」
「すごくないんだ。デザインは一発ネタで、七十人くらい賞をもらえるから。そのときは自分でも驚く集中力で。並べていて気がつくと、八時間たってたとかはあったかな」
「どうしよう、二反田。わたしたち、無人島に漂着したみたい」
「展開についていけない僕に、どうかご説明を」
「いまから二反田は、無人島に漂着したって設定でドミノを並べる」
「なんて?」
「無人島に漂着してなおドミノを並べる、ドミナーの鋼の精神を見たい」
「その人もう手遅れだよ」
町野さんは請けあわず、力のない表情でため息をついた。
「二反田。今日でかれこれ、漂着三日目だね……」
「えっと……そうだね。ずっと雨水以外を口にしていないけど、僕はドミノを並べるよ」
「わたしはドミノより、お風呂に入りたいなあ」
「僕だってそう思いたい」
「ドミナーポイントマイナス一点。気をつけて。マイナス五点で、『電車の中で突然イヤホンの接続が解除されて、スマホから爆音でなんか流れる呪い』がかかるから」
「『なんか』が健全なやつでも、異様に恥ずかしいやつ!」
その恐ろしさに、僕は演技を続けることにした。
「おーい! ……あーあ、行っちゃった。二反田、また船が気づいてくれなかったよ」
「それでも僕は並べるよ。生きるために、明日への希望をドミノでつなぐんだ」
「一方その頃、町野は島の内部で水浴びに適した滝を見つけていた」
「あっ」
じゃらじゃらと、僕が並べたドミノが倒れていく。
「ポーン。『並べていて気がつくと、八時間たってたとかはあったかな』」
「プロフェッショナル風の編集を加えた辱め!」
「水浴びしたいという、煩悩に打ち勝ってこそのドミナーでしょ」
別に僕は、水浴びをしたくて動揺したわけじゃない。ただでさえ視野に大腿部がちらつくのに、水浴びなんて言われたら想像せざるを得ない。
「『ああ、気持ちいい』。町野は滝の下を泳ぎ、仰向けにぷかりと浮かんだ。滝のほとりに自分を見つめる巨大なチワワがいることに、町野は気づかない……!」
「あっ」
僕は再び、ドミノを倒してしまった。
「こんなパニック映画によくある演出で動揺するなんて、二反田は案外キッズだね」
「……面目ないです」
だって仰向けに浮いたってことは……と、チワワすらスルーする始末。
「あー、ドミノちっとも完成しないし、ひまだなー。電波はないけど、『スイカのゲーム』は遊べてよかったー」
「スマホがあるなら、もっと有益な使いかたしようよ」
「それじゃあ息抜きにならないんだよ! もう『スイカのゲーム』しかやる気しないの!」
「恋愛映画の『お互い仕事が忙しくて破局が近いカップルの彼氏』と同じテンション……末期症状かも……」
「二反田、おなか空いたね。なにか探しにいく?」
「意外と元気……いや、僕はドミノを並べるよ。ドミナーだから」
「二反田、セミつかまえたよ。食べる? 羽化したてのクリーミーなやつ」
「たとえ一週間この生活でも、絶対に食べないよ」
「はむほむ。おいしい」
「町野さんすごいね……って、なんでちくわ食べてるの!」
「泳いでいたのを、銛でひと突き」
「加工工程を省略しないで!」
「二反田、無人島生活楽しいね。フルーツいっぱい落ちてるし」
「それ楽しいの、『スイカのゲーム』だね!」
「二反田は楽しくない?」
「僕は……ドミノがあればどこだって楽しいよ」
「ひとりでも?」
「いままでドミノ部で、ずっとひとりだったし」
口にしてから、失言に気づいた。
「そっか。じゃあわたし、泳いで帰るね」
町野さんが、恋愛映画のラストシーンみたいな表情で悲しげに微笑む。
「待って、町野さん! 海は危険だよ! 危険な生物がうようよいるよ!」
「しかし町野は二反田の制止を振り切り、ちくわであふれかえる海へ飛びこんだ」
「なんの問題もなさそう」
「でも空想とはいえ食べ物で遊ぶのはよくないと、町野は戻ってきた」
「町野さんのそういうところ、素敵です」
「夜になってやることもないし、とりあえず寝よっか」
「そうだね。ドミノも見えないし」
「でも二反田、星が見えるよ。あの三角形はほら、有名な」
「夏の大三角?」
「ピ座。ドミノ部なのに、なんでわかんないの?」
「1ターンで2ボケ以上されてもツッコめないよ!」
「集中力が足りないんじゃない? ドミノもぜんぜん並べ終わってないし」
たしかに僕は倒してばかりで、まだ形にすらなっていなかった。
「そういう町野さんは」
「わたしは集中力バチボコに高いから、むずかしい形もちゃちゃっと完成させたよ。二反田には悪いけど、ひとりで先に脱出するね」
「ちくわの海へ飛びこむの?」
「ヘリで帰るんだよ。じゃね」
ふいに「ω」の形の口をして、楽しげに部室を出ていく町野さん。
「ヘリってなんの話……ああ」
町野さんが並べていたドミノ牌を見ると、『SOS』の形になっていた。