#5 デジタルデトックスしたい町野さん

 放課後の部室、すなわち校舎の隅にある空き教室。

 僕は床にドミノを並べる手を止め、立ち上がってカーテンを開けた。


「今日も、五月晴れだなあ」


 窓越しの太陽がクリスタルのような形になって、僕の視界できらきらと輝く。

 陽射しはまぶしいけれど、そこはかとなく気持ちがよかった。


「僕たちの目はずっとスマホの画面を見ているから、たまにはこうして天日干しをしたほうがいいかも……って、うわぁ!」


 窓に背を向けて振り返ったところ、入り口の引き戸に人の顔がはさまっていた。


「町野さん、なにやってるの」


 引き戸に顔をはさまれているポニーテールの女子生徒は、僕のクラスメイトだ。


「当てて」


 町野さんが無表情のまま、ぼそりと言う。


「サイコホラー映画、『シャイニング』の再現?」


 あのシーンの場合、厳密には壊したドアの隙間から顔を見せるのだけれど。


「はずれ。YouTuberが『緊急で動画回してます』って言ったときの猫のまね」

「たしかに猫ははさまるの好きだけど、なに見てもそんな顔じゃないかな」

「なんか最近のネットって、人の感情を利用するところがあるでしょ」


 どうやら今日の町野さんは、機嫌がよろしくないらしい。


「それこそYouTubeでよく見る、『大切なお知らせ』とか?」

「そう。黒背景に白文字サムネで驚いて見にいくと、グッズの販売告知だし」


 町野さんが部室に入ってきて、机を椅子代わりにして座る。


「あるね。極論をタイトルにして、読者を釣るネットニュースとか」

「ほんとそれ。『アイドルノーバン始球式』とかさあ。こっちは心配して見にいくのに、ちゃんとはいてるし」

「それ本当に心配した?」

「でも心理学的っていうか、膝をコンってたたいたら足が動くみたいな感じで、情緒を勝手にコントロールされてる感じがやなんだよ。二反田、この感覚を言語化して」

「最近の集客方法はゲスい」

「手抜き。でもその通りなんだよね。人の子はやりすぎた」

「妖怪の目線」


 少し機嫌がよくなったようで、町野さんの口が「ω」の形になる。

 クラスでは見せない町野さんのこの笑いかたが、僕はけっこう好きだ。


「というわけで、二反田。ネット断ちしよう」

「IT系の社長さんとか、よくやってるね。デジタルデトックス」

「そう。スマホをぽいーして、山の中とかで一週間暮らすんだよ。ぶらぶら散歩したり、下駄を履いたり、鼻を伸ばしたりしてね」

「手頃な妖怪として、天狗を目指そうとしてる?」

「あー、空気がおいしい。やっぱり山は最高だなー」


 町野さんはシームレスにコントインしたらしく、両手をあげて伸びをしている。

 僕も日光浴の気分になっていたので、少しつきあうことにした。


「そうだね。たまにはこういう静かなところで、本でも読んで──」

「ジジジジジ! ミーンミンミン! ニイニイ! ほっすぃ、つくつく! シャンシャンシャン! カナカナ! ミョーキン、ミョーキン、ケケケ!」

「各種セミがけたたましい! あと最後に変なのいる!」

「エゾハルゼミのこと? ぜんぜん普通のセミだよ? ちょっと生息域の標高が高いけど」

「あだ名が『昆虫博士』の小学生みたいなマウントの取りかた」


 さておき町野さんが昆虫に詳しいという情報は初出なので、スマホにメモしておこう。


「さて、二反田。今日からこの山小屋が、わたしたちの家だよ」


 僕は少し目を閉じて、それっぽい情景を思い浮かべた。


「……うん。ログハウスっていうのかな? 味があっていいね」

「キッチンもかわいい! 二反田、コーヒー飲む?」

「あ、うん。もらおうかな」

「アレクサー、お湯沸かしてー」

「町野さん、ネット断ちする気ある?」

「ありまくりだよ。じゃあお湯を沸かすために、まずは木を伐ろう」

「そこまでエクストリームにしなくても」

「えっと斧は……あったあった」

「ところで町野さん。これって一週間素泊まりなの?」

「インスタのストーリー野郎?」

「言ってないよ! 耳がネットを求めてるよ!」

「自炊設定でいこっか。晩ごはんは焼きちくわでいいよね? あっ、スマホがないからレシピが検索できない……」

「焼きちくわ、レシピいるかな……?」


 さておき妄想の中ですら、ネットがないとなかなかに不便だ。


「あ、窓の外にスズメ!」

「最近はスズメも見なくなったよね」

「二反田、マスターのボール持ってる?」

「スズメ相手に過剰! ……じゃなくて、現実の鳥は捕まえちゃだめだよ」

「見て見て。外に出たら雪が降ってる」

「五月なのに?」

「山の天気はあなどれない……フフ。もうどこにも行けないね、わたしたち」

「いま僕の脳内を、各種ホラー映画のあらすじが駆け巡ってるよ」

「わたしごはん作っておくから、二反田はお風呂入っちゃいなよ」

「そうさせてもらおうかな。町野さん、ちくわを焼くのは弱火でね。屋根裏で変なもの見つけたりしないでね。無駄に大きい冷蔵庫とか、絶対に開けちゃだめだからね」


 死亡フラグつぶしは、このくらいでいいだろう。


「二反田、お湯加減どうかなー?」

「いい感じだよー。『二反田を煮たんだ』とか、B級ホラー展開されなかったしー」

「え、なに、聞こえない。ちょっと待ってて……どごっ、ばきっ、ばりばり」

「これはたぶん、斧でお風呂のドアを壊してるんだね」

「『二反田のダジャレセンス、うちのお父さんと大差ないねえ!』と、ドアの裂け目から笑顔を出す町野」

「冒頭の『シャイニング』を回収するために、そこまでしなくても」


 でもちょっと楽しいし、悲しくもあるので、「ぎゃー」と悲鳴も上げておいた。


「さて。ごはんも食べたし、暖炉の前でくつろごっか。右手にはシャンメリー。チルいね」

「うん。薪の爆ぜる音とか、ロッキングチェアーとか」

「やっぱりネットがないと、人生が色づく気がするね。しゅぽっ」

「左手がエアータイムライン更新してる!」

「#やだな #そんなわけ #ないでしょ」

「自己顕示欲の禁断症状!」

「じゃ、二反田。そろそろ寝ようか。恐ろしくやることがないし」

「それをしにきたんだけどね」

「二反田って、好きな人いるの?」

「なんか修学旅行の夜みたいになってきた」

「え、わたし? わたしは……いるよ? えー、言えないよー」

「質問を求められてる気がする……その人は、身近にいる人?」

「たぶんそう。部分的にそう」

「アキネーターみたいに……それって、同じクラスの人?」

「いいえ」


 そう聞いて、ほっとしたような、悲しいような、複雑な感情を抱いた。


「どうしたの、二反田? 質問してくれないなら、勝手に答えちゃうよ。わたしが好きな人はねえ、野球をやってて──」


 今度は確実にショックを受けつつ、続く言葉を待つ。


「──ボールがちゃんと、キャッチャーまで届くの。アイドルなのに」

「よかった……ノーバン始球式のアイドルだった……」


 町野さんには聞こえない声でつぶやき、僕は胸をなで下ろした。まあアイドルを「身近にいる人」と考えている時点で、あまりよろしくはないのだけれど。


「おはよう、二反田。いい朝だね」

「おはよう、町野さん。やっぱりネットがないと、羽を伸ばせるね」

「二反田も? わたしも鼻を伸ばせたから、下山して人の子に制裁を下せるよ」

「町野さんが立派な天狗に!」


 いい感じにオチたところで、町野さんの口が「ω」の形になった。


「ありがとね、二反田。おかげで、めっちゃストレス解消できた」


 きたときよりも、笑顔で去っていく町野さん。

 気のせいかその足音は、一本歯下駄のごとくにカッカと聞こえた。