#6 マックのJKになりたい町野さん
カーテン越しの光がほどよくあたたかい、晩春の一日。
僕は放課後の空き教室で、水筒のお茶を飲みながら床にドミノを並べていた。
なぜなら僕はドミノ部で、ここはドミノ部の部室だから。
「いや老後か!」
ドミノをはさんだ僕の正面で、逆向きで椅子に座った少年が叫ぶ。
このアフロもどきの髪型をした少年は、僕のクラスメイトで放送部に所属する八木。
今日は部活が休みだとかで、僕をひやかしにきたらしい。
「まあ老後も、僕はこうしてるんじゃないか、なっと」
あえて音が出るように、ドミノ牌を床に設置する。
「パチンじゃないんだわ。碁を打つみたいに並べやがって。俺たちはまだ十六だぞ」
「まだ五月だから、大半が十五だと思うよ」
そういえば、町野さんの誕生日はいつだろう。すぎてなければいいけれど。
「細けぇことはいいんだよ! おまえそれでも若人か。『男子十六になれば、突発的な海水欲に衝き動かされるものなり』とリョーマも言ってるだろ!」
ここで言う『リョーマ』は、同じくクラスメイトの坂本くんのあだ名だ。
「聞くまでもない気がするけど、海水欲ってなに」
「海へ行って水着のおねえさんを見たい欲……と思うじゃん?」
「こっちの反応を見て変えてきた」
「水着のおねえさん見ようぜって、早朝五時にチャリかっ飛ばして昼すぎに海に着いて、半分徹夜の変なテンションでナンパしようぜって盛り上がって、でもタトゥー入ってるギャルとかチキって声かけられなくて、自分たちでもギリいけそうな黒髪の子を探してやっぱり声かけられなくて、帰りにラーメン食いながら反省会したいって欲望だ!」
「それしばらくは『黒歴史』で、十年たったら『青春』って呼ぶ事象だと思うよ」
でも頭に浮かんだ情景は、悪くない気がする。
「そう! つまり俺は、輝かしい青春を送りたいんだ! そのはじめの一歩として、二反田に部活をサボらせてマックに行く!」
「目標に比べて、歩幅がアリエッティすぎる」
「そういうわけで、行こうぜ親友」
「ぼっちがみんな、『親友』って言葉で釣れると思ってる?」
「あとひと押しの、ニチャァ顔だが」
それはまあ、うれしいもの。
「ともかく、僕は行かないよ。部活があるんだから」
「二反田。俺たちは文化部だぞ。運動部みたいに試合があるわけでもないのに、なぜかたくなに毎日ひとりでドミノを並べる……?」
「子どもがレゴやマイクラに夢中になるのと同じだよ。僕はドミノが好きなんだ」
「そんなの俺だってそうだ。将来は自分で番組を作るって決めてる。だからこそ、青春が必要なんだ。この松ぼっくり頭以外の、残念エピソードが」
「だったらそれこそ、雪出さんを誘えばいいじゃないか」
雪出さんは金髪碧眼で身長低めな、ミックスルーツのクラスメイト。
八木とは出身中学が同じで、部活も同じ放送部に所属している。
「無理に決まってるだろ! 雪出さんは外国文化で育まれたんだ。タキシードを着てリムジンで迎えにいかなきゃ、鼻にもかけられない。俺はまだ免許を取れない……!」
「外国人はアカデミー賞のセレブみたいな人だけじゃないし、リムジンは自分で運転しないんじゃないかな」
「だから二反田。俺が立派な外国人になるために、マックへ行こう!」
「ここへきて、目的と手段が合致した……?」
そんな錯覚に陥りかけたところで、部室の引き戸が開いた。
「こんちくわっと」
くわえちくわで現れたのは、スポーツバッグを斜めがけしたポニーテールの女子生徒。
水泳部に所属する町野さんは、いつも部活の前に僕と雑談していく。
「うお、町野さん」
驚いた様子の八木が、説明を求めるように僕を見た。
「えっと……その、最近なんとなく、仲よくなって……」
「かー、そういうことか! かー! どうりで部室に入り浸る、かー!」
「残念。そういうんじゃないんだー。二反田とはなんか気があうから、部活の前に軽くおしゃべってるだけだよ」
町野さんは逆ギレもせず、照れたりもせず、笑顔で言い切った。
こうなると八木も、興をそがれていじれない。
「まあドミノ部の部室は、橋の下みたいな居心地のよさがあるからな……」
「ね。んで八木ちゃんは、橋の下でなにしてんの?」
町野さんがすぐに乗っかる。
「なんも。部活休みでヒマだから、マック行こうぜって二反田を誘ってた」
「いいなー。わたしも行きたーい。練りこんだエピソードトークを話して、『〜って、マックでJKが言ってた』って、盗み聞かれて無断投稿されたーい」
「マックのJKって、ネットミームじゃなくてガチだったの?」
みんなおじさんの創作だと思っていたのに。
「さすが運動部はノリいいね。んじゃ、町野さんも俺らと行っちゃう?」
「んー……今日はやめとこっかな。わたしがサボっちゃうと、体育会系の先輩たちがまあまあさびしがるから」
町野さんの水泳部は人数が多く、大半がジム代わりにプールを利用するカジュアル部員らしい。おかげで体育会系は居心地が悪いという、ちょっと珍しい運動部だ。
「んじゃ、町野さんが行ける日があったらってことで。俺、学校帰りにマック寄るの好きなんだ。駅前で詩を売ってるやつ風に言うと、『かけがえのない無駄』って感じで」
「わかるー! その『これで五百円……』って感じのフレーズ、ちょうどいいよね」
なにやら町野さんと八木が、意気投合している。
「じゃ、今日は帰るわ。アディオス、アミーゴス!」
八木はあっさり部室を出ていった……かと思いきや、再び顔だけを出した。チョキを作って自分の両目に向け、次いでそれを僕に向ける。「見ているぞ」のジェスチャーだ。
「八木ちゃんて、絶対ドラゴンの書道セット使ってた感じだけど、いい人だよね」
「独特な偏見……まあ悪人ではないと思うよ、悪人では」
「最初は二反田とふたりでマック行くはずだったでしょ。八木ちゃんは、わたしに気を使ってくれたんだよ。目の前できみたちがいっちゃったら、わたしがさびしいもんね」
「そこまで大人な判断するかなあ」
「大人と言えばさ。ゴールデンウィーク明けから、なんかみんな大人っぽくない?」
八木が座っていた椅子に、町野さんが同じ姿勢で腰を下ろす。
「ちょっとわかるかも。髪型とか制服の着こなしかたとか、かっこいい男子を見るとドキッとするよ。自分が幼く感じて」
「みんな色気づいちゃって焦るよ。この間まで一緒にダンゴムシ丸めてたのに」
「町野さんの場合、盛ってるのか本当なのか」
「恋バナとかは好きだけど、恋愛はさすがにちょっと遠いなー」
「僕もそうかな。でも町野さんは、モテそうだけどね」
うちのクラスには雪出さんがいるから、美少女という軸では見られていないと思う。
けれど町野さんは顔もいいし、性格も含めた総合人気は間違いなく一位だろう。
「それはね。二反田よりは、どうしてもモテちゃうよね」
「並んで泳いでいたはずなのに、急に背中が見えなくなった」
町野さんの口が、機嫌がよいときの「ω」の形になった。
「わたしの速さはレベチだからね。でもターンして、二反田のところに戻ってくるよ。わたしはこの部室で息継ぎしてる、みたいなとこあるし」
「それって……ここ以外では苦しいこともあるって意味?」
町野さんがうつむいて、さびしそうに笑った。
「ごめん、二反田。意味ありげな表情したけど、シリアス展開に至る悩みなかった」
「そこまで打ち明けてくれると、本当だって信じられるよ」
とはいえ町野さんはクラスの中心にいるし、部活でもおそらくは体育会系のまとめ役。
ストレスみたいなものは、それなりにあるのだと思う。
「八木ちゃんも言ってたけどさー、ここは居心地がいいんだよね」
「じゃあドミノを並べてないときは、まめに換気しておきます」
僕にできるのは、息継ぎをしやすくすることくらいだろう。
「さて。わたし、そろそろ部活いくね」
「あ、うん。がんばって」
町野さんは部室を出かけたところで、くるりと振り返る。
「二反田。いつか絶対、マック行こうね」
「う、うん。必ず」
たかがファストフード店に行くだけのことを、僕たちは大事な約束のように扱った。
たぶん「かけがえのない無駄」が、十年後に輝くような気がするからだろう。