#7 メイド解像度が高い町野さん

 六月に入ると、衣替えというものがある。

 僕はブレザーから半袖シャツに切り替わるだけだけれど、人によってはインナーにこだわったり、脱毛してみたりと、それなりにたいへんであるらしい。


「そういえば、町野さんの夏服はどんな感じかな」


 床にドミノを並べながら、ふと考える。

 町野さんは僕のクラスメイトで、水泳部に所属する人気者の女子。

 なぜかドミノ部の部室を気に入っていて、部活の前によく寄ってくれる。


「クラスでは席が遠いからよく見えなかったけど、なんかひとボケしてきそう……」


 過去の経験からそんな予測を立てたとき、部室の引き戸がガラリと開いた。


「新成人、約四割の女性が交際経験なし」


 現れたのはやっぱり町野さんだったけれど、その装いが予想外すぎる。

 上は半袖の夏服ではなく、パフスリーブの白ブラウス。

 黒髪のポニーテールには、白いヘッドドレスまで飾っている。


「なにからツッコむべきか迷うけど……とりあえず、なんでメイド服なの町野さん」

「世間一般の男子と同じく、二反田みたいな者もメイドさん好き?」


 うっすら鼻で笑いながら、町野さんが尋ねてくる。


「なんか下に見られてるけど……まあ、きらいではないよ。あと僕の質問はスルー?」

「じゃあ、ためしてみようか。わたしメイドさんやるから、二反田はお客さんね」

「慣れを感じる、漫才コントの入り」

「ただいま、ご主人さま」

「えっ、メイドさんが家にくるパターン知らないけど……とりあえず、おかえり?」

「あー、今日も疲れたよ、ご主人さま。うちのお店、キャストの仲が悪すぎでさー。オタクの取りあいとか、リアルタイムで専スレに悪口とか、もう出勤するだけでスタミナ全消費。いいかげん、別のコンカフェに転生したいわー」

「初手からメイド幻想ぶち壊しにきた!」

「でも平気。お金はわたしがなんとかするから、ご主人さまはバンドに集中して」

「いやな役を押しつけられたなあ……」

「え、三万貸して? 機材を買う? でも前もそう言ってパチスロ打って……ごっ、ごめんなさい! 殴らないで! わたしの『ちくわ天まくら』を殴らないで!」

「たぶん、デコボコして寝にくかったんだろうね……」


 しかしこの展開だと、僕はどこからコントに入ればいいのだろう。


「あーあ。ピが怒って出ていっちゃった。しょうがにゃい。オタクくんに慰めてもらお。『もうだめかも』っと……送信」

「ごめん、町野さん。そこで『話聞くよ』とは返せないよ。文化部男子のほろほろメンタルでは、その解像度高めの設定に耐えられません」


 町野さんが腕組みして、「うーん」とうなる。


「世間はさー、『恋愛はコスパが悪い』みたいに言ってるけどー。でも実際デートスポットに行くと、カップルだらけじゃない? 二反田、どういうこと?」

「パン屋さんに行って、『パンしか売ってない!』って言うようなもの」

「もっと忖度して」

「『四割が交際経験なし』はフェイクニュースで、みんなこっそり恋愛してるよね」

「でしょ? わたし、このままじゃ生涯独身かも」

「それだけは、絶対にないと思うよ」

「お父さんもそう言ってくれた。『メイド好きの男を捜せば結婚できる』って」

「父親には、もっとかっこいいこと言ってほしいな!」

「だから二反田を一般男子と想定して、メイド好き具合をテストしてみたわけ。どう? オムライスにハート描いたりしてほしくなった? ケチャップを詰めたちくわで」

「なんでちくわ経由するの……とりあえず、町野さんのメイド姿は似あってるよ」

「へへ、ありがと──」


 町野さんが照れたように笑い、すぐにすんと真顔になった。


「わたしのことは聞いてないから。わたしが知りたいのは、一般男性がどれくらいメイドさんを好きかってこと」

「みんなそれなりに好きだと思うけど……それが結婚に結びつくの?」

「結婚する夫婦が最初に向かう店って、結婚式場か不動産屋さんなんだって」

「例外は多そうだけど、まあ妥当かも」

「そういう店で男の人は、担当者の女性から『ご主人さま』って呼ばれるんだよ。つまり結婚すれば、あらゆるところでメイドカフェ気分が味わえるって、お父さん談」

「天才か……ってならないよ! お母さんが知ったら泣くよ」

「『私と結婚すれば、ほかの女性からご主人さまって呼ばれるかも』ってメイド好きを口説けばいいって、お母さん談」

「お母さんのほうが、闇が深かったね……」

「というわけで、最後のテストです」


 町野さんが振り返ったタイミングで、またも部室の引き戸が開いた。


「スズリ。ほんとに、こんなとこにいるデス?」


 ひょこりと顔を出したのは、くりっと丸い金髪ボブの女子。

 その瞳はカラコンではない青で、やはりと言うべくメイド服を身につけている。


「あ、雪出さん。こんにちは」


 この小さめなメイドさんも、僕のクラスメイトだ。北欧系のお母さんの血を引いているという美少女は、噂通りに内気で僕とは目をあわせてくれない。


「二反田はさー、いまいちメイドさんはまってないみたいだけど。でもベニちゃんの『お帰りなさいませご主人さま』を聞いたら、さすがに屈するでしょ」


 町野さんが適当に振ると、雪出さんが「えっ、えっ」と慌てた。

 しかし持ち前の空気読み力を発揮して、初めて会話する僕に上目遣いで言う。


「おっかーえルゥィナサイマァセェ、ご主人サムァ」


 雪出さんは、日本生まれの日本育ち。

 けれど周囲は「こんな金髪碧眼美少女が日本語を話すわけがない」と思いこみ、日本社会で育った雪出さんも空気読みに長けているため、親密でない人の前では、「誇張しすぎた外国人タレント風の日本語」を話すのだった。


「二反田、固まっちゃったね。メイドベニちゃんに、わからされちゃったね」


 町野さんが機嫌よさそうに、口を「ω」の形にする。

 個人的には「面白さ」が「かわいさ」を超えちゃった気がするけれど、即座にリアクションできない美少女パワーに圧倒されたのは事実だ。


「スズリ、二反田サンと仲いいんデスネ。教室で話してるの見たことないカモ……」


 雪出さんがちらと僕を見て、すぐに目をそらす。

 町野さんはいわゆる「一軍」の女子で、僕はモブキャラの文化部男子。ふたりが仲よくしゃべっていたら、違和感があって当然だろう。


「別に隠してるわけじゃなくて、単に教室だと居場所が違うっていうか。ほら、クラス公認のカップルなのに、学校ではほぼほぼ話さない男女とかいるでしょ?」


 町野さんの最悪なたとえに、雪出さんは予想通りの反応をする。


「ふたりはつきあってるデス!?」

「えっ、違うよ。えっと、仲はいいけど、まだ……あっ、また誤解を招く」


 町野さんが珍しく慌てているので、カップル発言は天然だったらしい。


「いま町野さんが言いたかったのは、テニス部の人がダブルスを組む相手と、部活が終わって一緒に帰る友だちは別、みたいな話だと思うよ」

「……ソウナンディスカ」


 僕の返答に、雪出さんが距離を感じるカタコトで返した。


「二反田、ナイスフォロー。じゃ、ベニちゃん。そろそろ、ずらかろっか」

「えっ、えっ?」


 うろたえる雪出さんの手を取り、町野さんが去っていく。

 そして入れ替わりに、見慣れたアフロ気味の頭が部室に入ってきた。


「おい、二反田! いま学校中に、メイドさんがあふれてるぞ!」

「いまその片鱗に触れたけど……なんでそんなことになってるの」

「学校のどっかで、昔の文化祭の衣装が大量に見つかったらしい。その場にいた女子がノリで着て、ゾンビみたいに仲間を増やしてる。俺たちの雪出さんもメイドだ!」

「その騒動の主犯、ケチャップの詰まった違法ちくわも所持してるよ」

「二反田、ドミノってる場合じゃねえぞ。気づいた教師たちが、メイド狩りを始めてる。俺の頭が松ぼっくりみたいなうちは、雪出さんに指一本触れさせないぜ!」


 八木にうながされ、僕は渋々に外へ出た。


 小雨が降る中、笑いながら逃げるメイド服の女子たち。

 女子を「こらー!」と追い回す、まっとうな先生がた。

 先生がたへタックルを決める、不純な男子生徒ども。

 最後は虹まで出ちゃったエンタメ感あふれる光景を、僕は一生忘れないと思う。